官軍瓦屋本陣跡(政岡邸)





村山砲台から人吉城を望む



現在も綺麗に管理されています。(下にある家の方なのでしょうか?)











大明神山


球磨郡球磨村




新宮禅寺



球磨郡錦町




葛掛神社へ行くにはファミリーマート横の細い道を真っ直ぐ進みます。(途中から道幅が狭くなります。)

球磨郡錦町


照岳(球磨郡山江村万江にある山)で指揮をしていた官軍別働第ニ旅団の山田顕義少将は明治10年6月1日戦況の進むのを見て山を下ります。
人吉に入ると球磨川に架かる大橋は薩軍によって落とされ渡河が不可能でした。
官軍は球磨川北岸に陣を張り、翌日の攻撃に備えるため本陣をここに定めました。



官軍砲台跡
官軍は村山台地に砲台を築き、球磨川南側の薩軍本拠地永国寺、新宮家、薩軍の軍列に砲撃を行いました。


村山砲台から人吉城を望む
(写真中央に黒い板張りの角櫓と白い海鼠壁が見えます。)


西南之役戦歿者慰霊之碑
ここはGoogle Mapsで見つけたのですが、何の情報もありません。
探し出せるかわからなかったのですが行ってみる事にしました。
Google Mapsを見ながら周辺をぐるぐる回り山の中に入る道を何本か入りましたが違います。
最後に入った山道で壊れかけた案内板を発見し辿り着くことができました。

現在も綺麗に管理されています。(下にある家の方なのでしょうか?)
裏の碑文から薩軍戦死者の慰霊碑かもしれません。
ご存知の方がいれば御教授お願い致します。
(投稿後コメントをいただき薩軍の慰霊碑だと教えてもらいました)
後日調べるとこの場所に多くの薩軍兵士が埋葬されていたと云われており、西郷隆秀氏(西郷隆盛の孫・西郷菊次郎の子)が慰霊碑を建立したとありました。人吉市史より

慰霊碑に行くにはHonda Cars人吉インター店近くの細い道に入ります。

その道を進むと左手に北向地蔵尊があります。

地蔵尊の先に左側へ登る山道があります。

その山道を進むと壊れかけた案内板が現れす。

案内板を左に進みます。

左下に民家がありますが、山沿いに進むと突き当りに慰霊碑があります。


池の下村台場
官軍は池の下村にある山上に台場を築き四斤山砲2門を備えます。
大明神山(一勝地阿蘇神社裏山)の薩軍陣地に向けて砲撃を行います。



大明神山


球磨郡球磨村

神瀬鹿三の墓(新宮禅寺)
人吉一番隊総長・神瀬鹿三は3月21日に植木にて戦死。38歳。

墓は新宮禅寺本堂から少し離れた場所にあります。


新宮禅寺



球磨郡錦町


西南戦争従軍記念の石灯篭
人吉隊の一員だった藤倉宗治が生還できたことに感謝して球磨郡錦町木上地区の葛掛神社の前に奉納した石灯篭です。
葛掛神社は地図で検索しても出てきません。


葛掛神社へ行くにはファミリーマート横の細い道を真っ直ぐ進みます。(途中から道幅が狭くなります。)
突き当りに民家があり、左に曲って上がって行くと神社があります。

球磨郡錦町

