山鹿市平山に残る西南戦争の台場を探索しました。
平山の台場は堂ヶ原の南東の山と平山城跡に残っています。
堂ヶ原には西南の役台場跡の標柱がありました。
先ずは堂ヶ原の山に残る台場を探しに行きます。
地図では古道が書いてあるのでその道を登って行こうとしましたが、既に消滅していました。
つづら折りになっている果樹園の整備された道を登って果樹園の最上部まで行きます。
こそから尾根沿いに山中に入りました。
しばらく登ると塹壕らしきものを確認。
少し下って塹壕を望むと土塁がしっかりと身体を隠す形状になっていました。
尾根沿いに登ってくる敵を上から射撃したと思われます。
その後、三角点を目指して再び登り三角点を確認。
三角点の北に塹壕が残っていました。
ここは土塁がはっきりわかります。
この山の少し離れた平地には薩軍の繃帯所(西南戦争史跡17)もありますから、この山に残る台場は薩軍側が構築したものだと考えられます。
ここで薩軍四番街大隊の小隊が第三旅団の兵を迎え撃ったのでしょうか。
台場を確認して下山する時落ち葉を踏みしめる音がしました。
人がいるのかと思いましたが、そうではありません。
小さな猪が4匹すぐ下の谷を走っています。
猪を見かけたのは照岳に続き2回目です…
無事下山して次の台場探索に向かいます。
続いては平山城跡です。
登城口近くの前川内公民館に車を止めていたら
地元の方が来られたので駐車していいか訪ねたら大丈夫とのことでした。
更に平山城跡の道も教えていただきましたが倒木で通るのが大変かもと…
とりあえず登城口からスタートします。
林道を登って行くと林道とは別に登城ルートと思われる山道の痕跡を発見。
登城ルートを進みましたがそれが大失敗…
倒木と低木で登るのには大変なルートで、ようやく視界が開けたと思ったら本丸跡の石柱があり、いつの間にか平山城跡に到着していました。
事前に入手していた資料を参考に台場を探します。
城跡の土塁だと思っていたらそこが台場でした。
これは資料がないと判別がつきません。
地元の方が話してくれていましたが城跡は荒れています…
堀切の木橋も2ヶ所ありますが橋は朽ち果てており、渡るのを躊躇してしまいます。
二の丸跡の石柱付近にも台場がありました。
この台場は資料によると官軍が構築したものとあり、薩軍が退却した後に構築されたのでしょう。
堂ヶ原も平山城跡もしっかり台場が残っていたので良い探索になりました。
下山は二の丸跡から林道があるのでそのまま林道を下ります。
途中2手に別れているので右側の林道を進みましたがやはり倒木が多く多少困難な林道でした。
台場の位置
翌日、仲間と待ち合わせして玉東町中央公民館の西南戦争講座に行くと個人的に講座に来ていた西郷南洲顕彰館の職員の方と知り合うことができました。
これも西南戦争がもたらした縁でしょうし、若い方が西南戦争に関心を持ってもらえていることが嬉しく思います。
もっと多くの方に興味を持ってもらえるのを願う1泊2日の西南戦争史跡探索の旅でした。
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