ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

第11回山行μ+第1回山行χ 1/3―――K君には酷な777段の階段から竜峰山へ

2015年02月01日 | ハイキング/山行μや山行χ

2014/12/30  熊本へ行くと毎回必ずMちゃんと山へ登ります。それは彼女が小学校へ入学する前から始まっています。悪天で行けなかった時も1回ありましたから、今回で11回目です。

MちゃんにはK君という弟がいます。来春から小学生。ですから、K君も山へ誘ってみました。Mちゃんが山へ行く姿を今まで見てきたからでしょうか。とっても行きたそうにしていましたし・・・・・・
2013年の7月にはMちゃんとK君と両親の家族全員で霧島の韓国岳へ登りました。4歳だったK君も見事に完歩しましたから、山を歩く体力は普通の同い年の子供よりあるようです。

Mちゃんにはちょっと物足りないかもしれない、K君には少しハードかもしれない、そんなコースを選んでみました。


▲新八代駅からはタクシーで登山口へ向かいます。9:33ころ。


▲いきなり今日の核心部です。ここから777段の階段がスタートするのです! 9:46ころ。

このコースのことは2年前の冬に別の登山口から竜峰山へ登った時に知りました。いつか来てみたいと思っていましたが、意外と早くチャンスが訪れたという訳です。


▲Mちゃんがドンドンと先陣を切って登ります。S子は通常ペースで歩みを刻みます。元気なK君も駆け上がらんばかりの勢いは見せるのですが、さすがに長続きしません。10:00ころ。


▲Mちゃんの姿はすぐに見えなくなってしまいます。さすがにK君も辛くなってきたようで、「あとどれくらい階段が続くの?」と、いやそうな表情をします。
階段は僕も嫌いですから、僕自身もこのコースを選んだことを後悔し始めていました。小さな少年にはなおさらこの階段の一段一段が辛い登りとなっているはずです。
K君がもしこの階段で駄々をこねて、もう登らずに帰りたい、と言うことになったら、引き返すことすら考えていました。10:02ころ。


▲長~い階段の途中にあった踊り場のような場所で小休止。再び階段登りの開始です。口数も減って、黙々と登るK君。10:05ころ。


▲やっと終わりが見えて来ました! 6歳の少年にはかなりきつかったことでしょう! 10:13ころ。


▲777段の階段を登り終えると、聖徳太子堂がありました。ここの聖徳太子像は日露戦争に従軍し生還した一軍人が、亡くなった多くの戦友の霊を慰めるために信仰したものだそうです。地元の有志の方々の手によって、平成4年、この地に祀られることになりました。10:16ころ。


▲ここまで階段で標高差およそ150mを登って来ました。八代市の方を望みましたが、今日は暖かい好天で霞んであまり見えませんね。10:18ころ。


▲Mちゃんは余裕ですし、K君も777段の階段を征服した達成感があるのか、元気が出て来ました。10:21ころ。


▲最終目的地の竜峰山の標高が517.2mですから、まだまだ登らないといけませんし、アップダウンもあるので積算の標高差はかなりになるはずです。でも、これまでの単調で人工的な階段とは違って、土の道ですし、なだらかな山道もありますから、楽しい気分で歩けますよね。K君にも笑顔が戻って来ました。10:31ころ。


▲次の目標地点は射鳥峠です。10:33ころ。


▲九州の山は冬でも森の中にはあまり陽が射し込みません。今日は晴れていますが、木陰の中を歩いています。10:40ころ。


▲誰がこんなものを作ったのでしょう。どなたか個人だと思われます。10:52ころ。


▲ポカポカ陽気の日はK君がいま座っているベッドで昼寝でもするんでしょうかね? 10:54ころ。


▲トイレもちゃんとありました。垂れ流しですけれど。10:58ころ。


▲非常用、緊急用の鐘と言うか、銅鑼と言うか、知らせるためのものです。フライパンに木槌。「非常用なんだから、鳴らしちゃ駄目!」といくら言っても、子供には効果ありませんよね。カンカンカンカン打ち鳴らしていました。他のハイカーも鳴らしてましたから、本当に必要な時には役に立たないのでは・・・・? ここばかりではなく、いっぱいこんな鐘がありました。11:08ころ。


▲またしても、ありました。ここの方が本格的なウッディハウスです。11:17ころ。


▲K君にはちょうど手頃な遊び場です。11:19ころ。


▲すっかりこの小屋の主人気分に浸っているようですね。11:20ころ。

僕自身はこのころ少し心配な気持ちを抱え始めていました。と言うのも、まだ射鳥峠にも着いていません。射鳥峠で全行程の3分の1くらいですから、6歳児の足では大人の標準コースタイムの倍以上はかかると考えなければなりません。まだまだ登りは続きますし、K君の楽しいという気持ちが切れてしまわないかと、心配でした。いくら元気でタフで頑張り屋さんのK君でも山登りが辛いとか楽しくないとか少しでも感じ始めると、一挙に足を重くするものです。


第10回山行μ――阿蘇の烏帽子岳をリベンジ登頂! ミヤマキリシマが満開でした!

2014年06月18日 | ハイキング/山行μや山行χ

昨年の7月7日に烏帽子岳に西麓の湯の谷温泉から登りました。でも、草千里に着いた時には雨。そこからバスで下山するしかありませんでした。
今回はそのリベンジです。ただ、同じコースからではつまらないですから、反対側の草千里東端からのルートを選択しました。
前回の記録は http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/d/20130720 を読んでみてください。

2014/5/21  豊肥本線の平成駅8:48の列車に乗ると、阿蘇駅に10:08到着。バスが10:15発ですから、連絡は最高でした。

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▲阿蘇駅前から阿蘇の中央火口丘が見渡せます。上の写真の右から杵島岳と往生岳が重なり合い、左端には中岳と高岳が見えています。下の写真の中央も同じですが、僕には中岳と高岳の区別はよく分かりませんね。いちばん左のゴツゴツした山は根子岳。この山には是非登ってみたいものです。10:15ころ。
往生岳以外は阿蘇五岳なのですが、もうひとつの阿蘇五岳である烏帽子岳は見えていません。その烏帽子岳が今日のターゲット。

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▲草千里の火山博物館のバス停のひとつ先で下車します。ヘリポート前バス停です。一面ガスに覆われていて、杵島岳も烏帽子岳もまったく見えません。10:58ころ。
二人をバス停に残して、僕は登山口を探しに行きました。

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▲バス停から200mほど草千里側へ戻ったところに登山口らしき道がありました。道路がカーブするあたりです。でも、標識などは全然ありません。上方を見上げてもガスがかかっているので、尾根の続き具合など目視での確認は出来ません。とはいえ、地図と照らし合わせると、この辺りの尾根沿いに登山道が付いているはず。11:03ころ。

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▲道はすぐに踏み跡程度になりましたが、高度を上げることなく続いていました。11:07ころ。

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▲踏み跡は山へ登ることなくずうっと先まで続いているようです。いくらなんでもこの道ではありません。11:08ころ。
とりあえずここで小休止。

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▲少し休んで、地図を見直したりしました。少しだけ元に戻り、写真のこの設備(何のためのものでしょう?)あたりから登ってみることにしました。この辺りが登山道が付いているはずの尾根の末端だからです。11:24ころ。

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▲十数分間は藪漕ぎでした。僕とS子にとっては慣れた藪漕ぎですからさほど大変ではなかったのですが、Mちゃんにとっては初体験! 灌木がまだらに生えた場所で登山道のないところを歩いたことはあるMちゃんですが、灌木を腕力で押し分けながら、体を木の隙間をくぐらせるようにしながらの本格的藪漕ぎは初めてです。
途中「もう帰ろ~ぉ!」と泣きも入りましたが、「すぐに登山道に出るから」と、なだめすかして引っ張ったというわけ。登山道がどこにあるのか定かではないせいで藪漕ぎしているわけですから、「すぐにある」と言うのは嘘八百ですけれど、まあ、一時間もこんな藪漕ぎが続くはずもないですしね。藪がうるさいだけで、危険はありませんし。
写真は藪漕ぎから脱出して登って来たMちゃんとS子。11:40ころ。
後ろにはバスで通った道路が見えています。

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▲登山道かどうかは分かりませんが、尾根沿いのしっかりした山道が出て来ました。11:42ころ。

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▲思いがけない出会いでした! ミヤマキリシマです! 11:48ころ。
かつて、九重山の大船山や阿蘇の仙酔尾根で季節外れのミヤマキリシマを僅かだけ見たことはありましたけれど、本当の旬の季節にこんなに満開のミヤマキリシマを見るのは初めてです。

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▲ハルリンドウも咲いていました。小さな可愛らしい花。11:51ころ。

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▲マイヅルソウです。小さくて可憐な花を舞う鶴に例えたのかと思いきや、そうではないそうです。葉の葉脈模様が舞う鶴のようなのだそうです。11:52ころ。

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▲ミヤマキリシマの中を登るMちゃんとS子。11:54ころ。

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▲再び、ハルリンドウです。ハルリンドウは1本の茎にひとつの花が咲くそうです。よく似ているフデリンドウは1本の茎に複数の花を付けますから、混みあった状況で咲くそうです。11:58ころ。

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▲ガスに覆われ、ミヤマキリシマに囲まれ、二人は登り続けます。12:03ころ。

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▲標識が初めて出現しました。昭文社の地図には出ていませんが、草千里からの登山道もあるようですね。12:05ころ。

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▲イワカガミも咲いていました。綺麗な淡いピンクです。マイヅルソウの葉っぱもありますね。12:19ころ。

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▲両サイドには途切れることなくミヤマキリシマが咲き誇っていました。12:21ころ。

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▲葉も茎も艶やかで美しいですね。12:29ころ。

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▲山頂から草千里が薄っすらと見えました。ふたつの池も確認出来ますし、火山博物館の建物も見えています。12:36ころ。

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▲草千里は2万7千年前の大噴火の噴火口だったのですね。詳しくは写真をクリックして拡大し、説明板を読んで下さい。12:37ころ。

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▲今日は小コッフェルとバーナーを持って来ていますから、お湯を沸かしてカップヌードルを食べるつもりです。12:52ころ。
ところで、これまで写真の顔を塗りつぶしたりして、個人が特定できないように、プライバシーを守る努力はして来ました。顔を塗り潰す色を色見本の中から選んでいたのです。ところが、写真画面の中から色を選択できることを今回初めて知ったのです。
このコッフェルにはマジックで僕の名前が書いてあったのですが、それを消す作業を加えています。初めて知った方法でやっているのですが、まったく分かりませんよね。
知っている方にとっては、笑ってしまうようなことでしょうけれど、僕にとっては進歩の大発見でした。

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▲もうひとつ説明板がありました。南側の外輪山はガスで見ることが出来ません。13:11ころ。

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▲烏帽子岳1337.2mでの記念写真。S子とMちゃん。13:12ころ。

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▲下り初めは急下降です。Mちゃんは何度も滑ります。そこを僕が待ち構えて、パチリ! 13:23ころ。

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▲ミヤマキリシマはところどころに咲いていますが、この下る道で優勢なのはススキ。
この辺りは山の高い傾斜地なので放牧地ではないと思います。春先の野焼きはしないでしょうから、ススキが思いきり伸びるのですね。昔なら屋根を葺くススキを採る茅場だったのかもしれません。13:26ころ。

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▲下る山道の左側はとても急な斜面でした。ミヤマキリシマがポツポツと咲いています。13:34ころ。

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▲草千里の端が見えました。池のひとつと火山博物館が見えています。13:36ころ。
少し前から「おかしいな?」と思い始めていました。昭文社の地図の通りだと、ずう~っと草千里が見えていても良さそうなのに、全然見えないからです。
おそらく正しい登山道は池と博物館手前に見えている尾根にあるのだと思います。そして、池に近づいた辺りで左へ方向転換し、垂玉温泉へと向かうのです。今日僕たちが歩いているこの尾根は烏帽子岳の西尾根なのだと思います。途中に1046m標高点を持っている尾根でしょう。
でも、しっかりした山道がありますし、登山道へ合流する方向へ延びていますから、大丈夫だと判断したのです。

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▲だいぶん下って来ました。振り返ると、烏帽子岳山頂付近のガスも消えかかっています。僕たちが下って来たのは、中央の顕著な谷も見えますから、烏帽子岳の西尾根に違いありません。14:12ころ。

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▲フジのような花が地面にたくさん落ちていたので、辺りを探すと、背丈の低い藤の花が咲いていました。高い灌木がないせいか、フジの木自体も低いようです。14:18ころ。

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▲正式な登山道へ出ました。右へ行くと、草千里の縁を経て烏帽子岳へ至るのです。左へ行くと、垂玉温泉。14:18ころ。
その後、じっくりと地図を見直しました。結論は昭文社の地図に記されている烏帽子岳から草千里の縁へ下る登山道は間違っています。二万五千図に記された登山道の方が正しいのだと思います。
つまり、こうです。烏帽子岳は小さな双耳峰のようになっていて、すぐ近くなのですがピークがふたつあるのです。二万五千図ではそのうち北東側のピークからまずは北へ、そしてすぐに北西へ登山道が出ています。一方、昭文社の地図では南西側のピークからまずは西へ、そして徐々に北を向くように登山道が記されているのです。その赤い線は昭文社の地図上でもあきらかに烏帽子岳の西尾根と外れており、急な谷筋に付けられた登山道のようです。
実際に昭文社に記されたコースに近い道を今回は歩きましたから、その間違いは確認できました。でも、二万五千図のコースを歩いたわけではありませんから、そちらが正しいとの確認は出来ていません。とは言えおそらく、二万五千図の方が正しいでしょうね。
一般的には、昭文社の地図の方が最新の登山道の状況を正確に反映していることの方が多いので、どちらかと言えば昭文社の地図を信頼することが多いのですが(二万五千図では地形の確認が主なので)、こういうことがあると、やはり帰省時の登山でも地形図は必携ですかね?
※最近になって昭文社の2014年版を見直してみました。烏帽子岳からの登山道は正しく訂正されていました。ちなみに、僕が持っていたのは2006年版。
今回はこの西尾根にしっかりした山道が付いており、見通しもきいてどの辺りに行くかが分かっていたので、安心感はあったのですが、そうでなければもう一度山頂へ登り返して、草千里へ至る山道を探すことになったと思います。

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▲僕はこういう花を見ると、なんの疑いもなくナルコユリ(鳴子百合)だと考えるのですが、調べてみると、アマドコロなのかもしれません。ふたつの花の違いはなかなか区別しづらいのだそうです。14:53ころ。
鳴子というのは時代劇などで侵入者の存在を知らせるあのカタカタと音がするやつです。2枚の板きれを一組に、それらを長い紐に幾つも吊るしておくのです。その板をこの白い花に見立てて、似ているのでそんな名前がついたのです。
アマドコロは茎や根に甘みがあるのだそうですね。

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▲途中、林道を横切りました。小さな池があったりします。15:06ころ。

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▲牧場の柵の外に咲いていた花です。茎が角張っています。キク科の花だとは分かるのですが・・・・ 15:15ころ。

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▲ウツギの仲間だということは分かるのですが、何ウツギでしょう? おそらくハコネウツギなのではないかと思います。15:16ころ。

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▲山道は牧場の柵の脇を通っています。阿蘇の赤牛が寝そべっていました。15:19ころ。

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▲マムシグサにしては全体が緑色なので、アオマムシグサなのだと思います。15:21ころ。

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▲こんな牧場脇を歩いています。御竈門(おかまど)山1152.5mも見えていました。15:22ころ。

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▲垂玉温泉側の登山口。15:46ころ。
垂玉温泉からタクシーを呼んで最寄駅まで行くことにしました。

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▲垂玉温泉の山口旅館です。15:48ころ。

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▲金龍の滝というのだそうです。写真の中央下に茶色の小滝が見えますが、ここが垂玉温泉の源泉。塀で囲まれたところは露天風呂なのでしょうか。15:50ころ。

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▲垂玉温泉の由来が書いてあります。関心のある方は写真をクリックし、拡大してから読んでみてくださいね。16:02ころ。

垂玉温泉でタクシーの電話番号を教えてもらおうとしました。すると、すぐに電話して呼んで下さいます。心遣い有難うございます。そんな訳で地元の美味しい牛乳を1本購入して飲みました。

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▲タクシーが連れて来てくれた駅がこれ。駅名は『阿蘇下田城ふれあい温泉駅』です。切符売り場も改札口も待合室も何にもありません。このホームに入って来るための入口もないのです。
「どこから入るのかって?」
この写真の建物の脇から自由に入れるのです。16:23ころ。
ちなみにお隣の駅の名前は『南阿蘇水の生まれる里 白水高原駅』なのです。鉄道の駅名としては最長なんだとか。

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▲この建物の裏側にホームがあるのです。この建物が駅舎と言えるのかどうか分かりませんが、ひとつ確かなことは中央の入口から入ってもホームには通じていないこと。この建物の手前と向こう側のどちらかの脇を回って行けばホームに入れるのです。16:23ころ。

途中、立野駅と肥後大津駅で乗り換え、平成駅ではMちゃんのママに車で出迎えていただきました。
昨年5月に亡くなった母の法事のおかげで、この時季の九州の山に登ることが出来ました。気候もちょうど良く、花も咲いているので、山歩きにはいい季節ですね。


第9回山行μ――小岱山はたくさんの人に愛される山でした

2014年02月01日 | ハイキング/山行μや山行χ

2014/1/5  2009年の正月から熊本の実家へ年に二回の帰省をスタートさせました。親のもとへはまったくと言っても過言ではないくらいに、近寄らない息子でしたから、有り得ないような変貌でした。母が認知症にかかり、そんな母と少しでも長く顔を合わせていたいという気持ちがそうさせたのでしょう。
年に3回の長期山行のうち、夏休みと正月休みを山にあてられなくなるわけですから、山屋としては非常につらいわけです。本来ならば、昨年5月に母が亡くなり、もはや熊本へ帰省(?)する必要性はないはずなのです。山へ行こうよと、山友達からの誘いもありました。それでも、今回熊本を訪れたのは、熊本の甥っ子家族が僕にとっても家族同様の存在になってきたからだと思います。そのように感じられる肉親が増えるということは、心地よいことです。
そんなことも、亡くなった母が僕に遺してくれたプレゼントなのだと思います。

ところで、2009年8月には第1回山行μがスタートしています。甥っ子の娘・Mちゃんと一緒に行く山行が山行μなのですが、雨続きで行けなかったこともありますが、コンスタントに帰省のたび1回ずつ積み重ね、今回が9回目となりました。小学校入学前の少女が4年生になっています。今では、大人顔負けの健脚に成長しています。

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▲玉名駅までは熊本駅から鹿児島本線を北へ約30分ほどです。実家のそばからは熊本駅へ直接向かうバスはほとんどないので、交通センター行きへ乗り、駅へ最も接近するバス停で下車。そこから徒歩20分ほどで熊本駅へ着きました。
Mちゃんもだんだんとしっかり者になって来ているようで、朝も早く起きられるようです。「もっと早くだって大丈夫だよ」と言ってくれます。
玉名駅からはタクシーで小岱山(しょうだいさん)登山口の蛇ヶ谷公園へ向かいました。9:15ころ。

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▲蛇ヶ谷公園へはタクシーで10分ほど。春には5000本もの桜が咲き競い、見事なんだそうです。最初は舗装された公園内の道路を歩き、すぐに写真のような土の広い道を歩くようになりました。9:36ころ。

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▲展望所に着きました。でも、この日は晴れてはいるのですが、遠くの景色が霞んでいて、本当なら見えるはずの広々とした四囲が見えませんでした。残念! それでもこの頃はまだ、熊本市内の金峰山や有明海の近くの海岸線は薄っすらと見えていたのですが・・・・ 9:48ころ。

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▲よく整備された登山道が続きます。9:50ころ。

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▲途中、登山道の右側に金比羅様が祀られていました。岩がゴロゴロある小さなピークです。その岩に注連縄などを巻かないようにとの注意書きの立札がありました。ここの岩は御神体ではなくあくまでも金比羅様が神様だということなのでしょう。10:01ころ。

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▲アップダウンもさほどなく、穏やかな山道が続きます。10:11ころ。

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▲S子のすぐ前に竹がかたまって生えています。九州では竹がこのようにまとまって生えているのをよく見かけます。地下茎が遠くへ広がらない種類だということは分かったのですが、名前までは分かりません。10:32ころ。

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▲Mちゃんがキノコを見つけました。S子のザックに付けて家へ持って帰ります。霊芝(れいし)かどうかの同定は出来ませんが、とても似ていますよね。10:46ころ。

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▲笹千里の駐車場です。11:08ころ。

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▲だんだんとヤブツバキが多くなって来ました。花もたくさん咲いています。11:21ころ。

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▲心地よい天気のもと、歩いています。前を行くMちゃん。11:25ころ。

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▲丸山直下の長く続く階段の山道。11:38ころ。

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▲丸山391.9m山頂は展望所になっているのですが、この日はどんどん霞んでいって、ここからはほとんどどこも見えませんでした。休憩をして、出発するところです。12:04ころ。
このコースは人気があるようです。あちらこちらからのコースも多様で、山頂にも次々と登山者が到着します。

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▲この辺りの登山道の両側には、この薄茶色でスルッとした木ばかりが多く生えていました。ヤブツバキだろうとは思うのですが、何故かこの辺りには花が見かけられません。でも、少し行くと花名板がありました。やっぱりヤブツバキです。12:19ころ。

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▲ちょっと急な山道も出て来ます。12:29ころ。

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▲観音岳473mに到着です。子供たちが大勢いて走り回っていました。写真の右に「小岱山」の山名標識がありますが、小岱山(しょうだいさん)というのは丸山、観音岳、筒ヶ岳などの山体を総称する名前のようです。あくまでもこの山頂は観音岳とした方がいいと思うのですが・・・・ 12:38ころ。

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▲観音岳山頂は本当に広いです。野球だって出来そう。写真中央の岩の塔は、紀元二千六百年を記念して昭和十五年に建てられた石碑のようです。12:39ころ。

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▲鎌倉時代の名僧・俊芿律師(しゅんじょうりっし)が宋で勉学の後、ここに観音堂を建てたことから観音岳と呼ばれるようになったとの言い伝えが残っているようです。その時代のものではないでしょうが、現在でも山頂には写真のような観音堂がありました。12:42ころ。
なお、山頂の下方には唐渡岩(からといわ)と呼ばれる巨岩があるのだそうですが、この岩は俊芿律師の徳を慕って中国から飛来したのだと言われているそうです。

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▲観音岳にはあまりもの多くの人がいましたから、休憩せずに素通りしました。すると、この日初めての急下降です。12:55ころ。

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▲今度はこの登り階段! 12:59ころ。

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▲今度は不動明王でしょうか? 13:05ころ。

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▲筒ヶ岳のすぐ手前に、謂れのある巨岩がありました。説明は写真をクリックし、拡大して読んでみて下さい。13:13ころ。
筒ヶ岳城と出ていますが、人によるとここは熊本県下最大級の山城だとか。落城したのは秀吉の頃でしょうか? それとも家康の頃? だいたいその頃だと思います。
それなりの山城だったようですから、金貨財宝の伝説も残ったのでしょうね。

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▲筒ヶ岳山頂です。安土桃山時代まではここにどのような山城が建っていたのでしょうか? 13:14ころ。
この筒ヶ岳は標高501m、小岱山の最高峰です。1247年、武蔵国(今の埼玉県)児玉党の小代氏(鎌倉幕府の御家人)がその戦功ゆえに野原荘地頭職を賜り、ここに城を築いたのだそうです。海軍力に長けていた小代氏は中国とも貿易をしていたそうですから、想像以上に開明的で栄えていたのかもしれませんね。小代氏の治世は340年余続いたのだそうです。

これで小岱山の主だった三峰(丸山、観音岳、筒ヶ岳)を登り終えましたから、小岱山の名前の由来について考えたいと思います。
・直前の文章から容易に想像できるように、小代(しょうだい)氏が筒ヶ岳に城を築いたことで、小岱山と呼ぶことに。
・観音岳に観音堂を建てたといわれる名僧・俊芿律師は中国で勉学して来たのですが、帰国途中に立ち寄った中国の泰山(たいざん)に似ているからそのように名付けた。
・小岱山の麓の町でもある荒尾市には「小岱山正法寺」というお寺があります。俊芿が創建したお寺で当時は筒ヶ岳の八合目付近にあったのだそうです。お寺の山号からも分かるように「岱山」とあります。岱山とは補陀落伝説のある中国は舟山群島にある島で舟山群島は観音信仰の聖地なのだそうです。それで、お寺の山号を「小岱山」とし、その山も小岱山と呼ぶようになった。
ネットで調べると、この3案が考えられるようです。熊本県のHPには2番目の由来が書かれているそうです。しかし、個人的には3番目の考え方に説得力がありますよね。

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▲いよいよ下山です。ガイドブックには来たルートを忠実に戻るコースが載っていました。でも、同じところをまた歩くのはあまり好きではありません。というわけで、写真の標識にもあるように府本バス停へ降りることにしました。4キロしかないようですから、山道ですが、1時間半もあればバス停に到着するでしょう。13:51ころ。

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▲山頂を少し降りるとすぐに、標識が現われました。左へ進む山腹を巻くような山道の標識は「観音岳」へとなっていましたから、あまり考えもせずに、「針の耳、平山」へ下って行く山道を選択しました。13:53ころ。
この選択は間違いだったのです。府本バス停には遠回りの下山道になってしまいましたが、結果的にはラッキーな下山道ともなったのでした。

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▲途中、妙な木がありました。13:57ころ。
樹皮がボロボロと剥げ落ちそうな具合になっているのです。笹千里の駐車場の解説板にこの辺りにはポロポロノキという名前の落葉樹があると出ていました。この木の樹皮もポロポロと剥げ落ちそうですからこれに違いないと思いましたが、ネットで調べると違っていました。それによく見ると、この写真の木は常緑樹のようですよね。
アキニレ(でもこれは落葉樹)にも似ていますし、アカガシにも似ているようです。

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▲分かり易い尾根道を下って行くと、「針の耳」という奇妙な名の岩が現われました。写真がそれなのですが、いったいどのように「針の耳」なのかが分かりません。14:16ころ。

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▲上の写真の中央少し右に黒く三角の穴が開いています。この写真がそれなのですが、向こうが見えるほどの穴があいているのです。14:17ころ。
この「針の耳」とこの穴が「耳の穴」の意でつながっているのでしょうか? ネットで調べてもまったく由来については書かれていません。そうなると、想像するしかありませんが、この筒ヶ岳は山全体が城砦のようなものですから、「針の耳」はもともと「見張りの耳」だったのではないでしょうか? 下から攻めて来る敵の物音がこの岩の穴のそばにいるとよく聞こえていたのではないでしょうか? そんな想像をしてしまいます。

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▲針の耳のそばにはこんな石仏もありました。14:19ころ。
右手に宝剣、左手には如意宝珠を持っていますから、虚空蔵菩薩なのでしょうか? この針の耳で修業をする人がいたのでしょうか?

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▲岩っぽい急下降が時々あります。Mちゃんは上手に下れるようになっています。14:29ころ。

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▲林道の針の耳登山口に降りて来ました。14:44ころ。
最初は林道を右へ行ってみました。右の道の方がわずかに下っていたからです。でも、どんどん北へ東へと向かい、西方向へは行く様子がありません。しばらくしてその間違いに気付き、再びここまで戻って来ました。そして今度は反対側へ林道を歩きます。最初は少し上り坂でしたが、そのうち下るようになります。基本的には山腹を巻いている林道なのですが、そのうちもっと標高を下げることでしょう。
どれくらい歩いたのでしょうか。10分とか20分ぐらいだと思います。林道脇に車が停めてあり、下山したばかりの様子の車の持ち主らしい登山者がいます。挨拶をし、会話を交わすと、「乗って行きませんか?」と言ってくれるではありませんか! 以前も登山者を乗せてあげたことがあるようです。「みんな、府本のバス停へ行くと言うんですけどね、バスの本数が少ないですから、下山する頃にはバスなんてないんですよ」とおっしゃいます。
助かりました。荒尾在住の方で、70歳前後の男の人。自宅に近いJRの駅まで送ってくれることになりました。感謝! 感謝!

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▲南荒尾駅まで送って下さいました。15:50ころ。
下り列車が15:58に来ます。ちょうどのタイミング。
熊本駅ではY子さん(Mちゃんのお母さん)が車で迎えに来てくれて、17時前には帰宅できました。

小岱山は登山者が多く、市民に愛されているいい山です。登山道も整備され、多くの登山口もあって、コースを変えながら何度でも歩ける山だと思いました。しかも、ネットで調べて分かったことですが、歴史との関わりも様々な形であるのですね。また訪れたいと思える山です。


えびの高原キャンプ2日目は韓国岳登山――4歳の男の子が完歩!

2013年08月01日 | ハイキング/山行μや山行χ

2013/7/15  OCNのパスワード認証機能の故障で数日間ブログの編集・作成ができませんでした。やっと可能になってホッとしています。

霧島えびの高原キャンプ村での2日目です。
前の晩、寝たのは何時だったのでしょう? デジカメで寝る直前に撮影したデータは0:00となっていましたから、真夜中に床に着いたのでしょうね。翌朝はみんな意外と早く起き出し、朝食を食べ、登山出発の準備をしたのでした。

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▲まだ深い眠りの中に漂うMちゃんとK君。6:27ころ。
子供はもちろん早く寝床に着きましたよ。

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▲キャンプ場を出発したのは9:20ころ。高原の遊歩道の横でのんびりと朝食中のシカがいました。9:28ころ。

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▲お店でおにぎりとかを購入。車道脇の登山口からいよいよ登山開始です。先頭を歩くMちゃんとS子。9:38ころ。

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▲昨日は気楽なお池巡りでしたけれど、今日は本格的登山です。4歳のK君はもちろんですが、ママのY子さんにとってもハードな1日になることでしょう。9:49ころ。
前方に見える山が韓国岳です。

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▲D輔、Y子さん、K君。後方建物群の少し左にキャンプ場があるのです。9:54ころ。

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▲K君ダウンか!? 疲れたとかではなくて、眠くなってしまったようです。力強いパパで良かったよね。ただ、ママは大心配。肩車ではなく、おんぶに変えてと訴えています。もしパパが転ぶと酷いことになりますからね。10:04ころ。

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▲振り返ると、昨日歩いたお池巡りの火口湖が見えました。左の山は白鳥山1363.1m、その手前に見える池が白紫池です。右手前が不動池で、その先に見えてはいませんが、窪んだ地形が分かりますけれど、そこに六観音御池があります。10:34ころ。

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▲もうずいぶん登って来ました。5合目は過ぎ、どのあたりでしょう。左からK君、S子、Y子さんですが、K君は眠気を覚まし、元気いっぱいになっています。結局、2合目~5合目あたりでパパの背中にいたようですね。11:27ころ。
九州の夏山は暑い! もちろん、街の酷暑に比べると天国です。ここも陽射しは強いですけれど、下から吹き上げて来る風は涼しくて心地よいものでした。

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▲韓国岳の噴火口です。底へ降りてみたい誘惑に駆られますよね。11:36ころ。

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▲もうすぐ山頂! 手前から、K君、D輔、Y子さん。K君も楽しそうに歩いています。11:44ころ。

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▲韓国岳山頂です。1700.1m。11:48ころ。
山名の由来も諸説あるようです。遠く朝鮮半島まで見通せるから、「韓国を見ることができる山」という意味で韓国岳となったという説もあります。でも、いくらなんでもそれは嘘っぽいですよね。実際、見えはしませんし。もうひとつの説は、火山ですから山頂付近は岩がゴロゴロした場所で、草木の姿が乏しい山です。という訳で、空虚な地、空国(むなくに、からくに)あるいは虚国(からくに)と呼ばれるようになったというもの。まあ、こちらの方が本当っぽいですけれど、真相は闇の中でしょうね。

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▲山頂にて。S子とMちゃんです。この二人が常に先頭を歩いていました。あまり先へ行きすぎるなと、ブレーキばかり。僕が到着するずっと前に着いていました。背後に見えるのは火口湖の大浪池。11:49ころ。

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▲続いての到着はK君とD輔。K君は実に元気! 11:49ころ。

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▲最後の到着はY子さん。11:51ころ。初登山をよく頑張りました。愛娘の力強さに感心しっ放しのママでした。

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▲韓国岳山頂からは南東方向に新燃岳と高千穂峰がすぐ近くに見えます。11:51ころ。
新燃岳は記憶に新しいですが、一昨年の1月からの火山活動で、今も2km圏内には入れないことになっています。本当ならば、韓国岳から獅子戸岳~新燃岳~中岳~高千穂河原と縦走できるのですが、今はここ韓国岳しか登れません。僕は高校時代にその縦走をしたことがあります。中学校の修学旅行で高千穂峰にも登ったこともあるのですよ。

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▲噴火口の縁に立つD輔。柵も何もないので、何かに躓いて転ぶと、下降の底までまっさかさまです。冷や冷やしながら見ていました。11:57ころ。

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▲左からS子、Mちゃん、K君、そして小生です。12:00ころ。

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▲山頂でお昼ご飯にしたかったのですが、人も多く、日陰もなかったので、下山にかかることとしました。僕の記憶が正しければ、確か韓国岳登山は僕自身今日で4回目。そんなに登っているのに、これまで歩いたことがなかったコースが、大浪池方面への下山コース。今回歩くことにしました。最初はガレた火山岩のゴロゴロした急下降だったのですが、途中から写真のような木の階段が現われたのです。12:12ころ。
結局、この階段は避難小屋周辺までほぼ途切れることなく続くことになったのです。

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▲K君の元気はずう~っと継続中です。K君にとってはこんなに大きな段差の階段もパパに手を握ってもらって、ピョンピョン跳びはね駆け下りていました。12:12ころ。

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▲傾斜のない階段のない山道に来ると、K君はどんどんみんなの先頭に立とうとします。一人ではやっぱり危ないので、「大人全員を抜いたら駄目」というK君ルールを急遽確立。
大浪池の火口壁の下に建つ避難小屋でお昼ご飯を食べ、池には寄らずえびの高原へ降りることにしました。写真は大浪池とえびの高原の中間点あたりでしょうか? 13:35ころ。

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▲小さくて黄色のきりっとした花が咲いていました。ネットで調べると、確信はありませんが、サクラソウ科の「こなすび」のようです。実が小さななすびのようだからこんな名前が付いたようですね。13:41ころ。

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▲標高などによって様々な森の姿を見せてくれます。この辺りの広葉樹林はなかなかに美しい森でした。快調に先頭を行くMちゃん。「私の山の実力は?」と訊くので、「ベテランとはまだまだ言えないけど、だいぶん力も付いて来たのでベランダかな?」と答えると、何故だか受けまくっていました。13:54ころ。

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▲キャンプ場のすぐ近くまで帰って来ました。広大な芝生の広場があって、K君とパパはラグビーの練習なんでしょう、2人で走り回っていました。ちなみにD輔は熊本県代表として花園出場経験があり、K君は今キッズラグビーに熱中しています。15:02ころ。

今日のコースは約4時間のコースでした。それを休憩込みで6時間弱で歩きました。立派なタイムだと思います。K君の元気には大感心! 小さい子供ですから、いつガクッときて歩けなくなるか心配でしたが、パワフルなエネルギーはこれ位では涸れませんでしたね。

キャンプ場に戻り、テントを撤収しました。チェックアウトは本当は10時ころなんですが、この日のお客さんがほとんどいないということで、「登山が終わってからのチェックアウトでいいよ」と言われていたのです。いいキャンプ場でした。また泊まりたいですね。

帰路、霧島山を下る途中にある白鳥温泉で汗を流しました。熱い、いいお湯です。水風呂もあってK君はキャッキャッと叫んで水風呂に入っていました。
夕陽が沈み終わった頃、熊本へ戻り、居酒屋へ入ります。いつもながら、下山後の打ち上げで飲む酒は旨いものです。

今回初めて甥っ子家族と山へ行きました。他では味わえない楽しさがありますね。これからも続けられればと思っています。


初めての甥っ子家族との山行は、霧島えびの高原池巡り

2013年07月24日 | ハイキング/山行μや山行χ

2013/7/14  僕の母は孫の家族と同居していました。僕にとっては甥っ子家族です。80歳くらいから認知症を発症していましたから、僕もS子も正月と夏には熊本に帰って、出来るだけ長く母と顔を合わせることにしていました。
今から思うと、母の病気のおかげで甥っ子家族との交流も深まったのだと思います。母は先々月に他界したわけですから、今後は正月や夏に熊本に帰る必要性はなくなったのです。以前そうだったように、正月や夏休みに長期山行をすることが可能になったのです。北アルプスの剱岳や穂高の滝谷で登攀生活を送ることも可能なのです。(たいしたレベルの登攀ではないのですが・・・・)
でも、この数年間の甥っ子家族との交流の深まりは、僕にとって、家族だと思える人たちが増えたんだと実感させてくれました。正月や夏休みに帰る故郷が出来たのです。ですから、これからも熊本には帰ることでしょう。ただ、ときおりは帰れずに長期山行へ出かけることもあるかもしれませんが。

今回、甥っ子家族との初めての山行が実現しました。まあ、最初はみんなでキャンプしに行こうという話だったのです。海がいいか山がいいかと言った段階でした。連日暑苦しい真夏日が続いている熊本ですから、高原の涼しいキャンプ場がいいということに決まったのです。
僕としては、しめしめでした。
昭文社の地図も購入し、自分なりに計画も立案しておきます。

朝8時出発だぞ~っ! とは言っても、結局は9時すぎ。まあ、これも織り込み済みと言ったらそうなのでしょう。熊本市内から高速へ乗り、えびのICで降ります。今春出来たという新しい道の駅にちょっとだけ立ち寄って、一路、霧島はえびの高原へ。

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▲えびの高原キャンプ村に到着。さっそくテントを設営します。左奥からD輔、Y子さん、S子です。テントの中にMちゃんが見えています。12:49ころ。
アカマツ林の中の落ち着いたキャンプ場でした。海の日の連休にもかかわらず、テントサイトの半分くらいしか埋まっていません。
テントとは言ってもオートキャンプ用のでっかいテントですから、最初のうちは僕もS子もただ見守るだけ。山の極小、軽量テントとはまったく異なった代物です。

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▲テント本体の前にくっつけて、タープを設営します。僕が持っているタープなんて、手のひらに乗るサイズですが、これは巨大です。K君が何を想うか、佇んでいます。13:24ころ。

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▲行ったことのある人は知っているでしょうが、霧島は火山の集合体。あちらこちらにポコポコと火口があるのです。そのうちの幾つかには水がたまって火口湖になっています。えびの高原の北方にもそんな火口湖が3つあって、お池巡りのコースになっているのです。
標高差も100mくらいしかありませんし、コースタイムも2時間半くらいですから、登山初めてのY子さんやK君にも手ごろな足慣らしになることでしょう。
写真は少し登り始めたあたりです。子供たちは元気です。MちゃんとK君。14:44ころ。

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▲えびの高原にはシカがたくさん生息しています。笹が涸れていたりしていますから、生息密度はかなりオーバーの状況だと感じました。でも、可愛いです。15:11ころ。

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▲お池巡り最初の池は白紫(びゃくし)池です。K君は池のほとりで足を濡らしてしまいました。顔を塗りつぶされて、のっぺらぼうになってしまっています。15:26ころ。

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▲次の池に向かう途中、韓国岳がよく見えていました。左右二つのピークがありますが、それを直径とした大きな噴火口が韓国岳の正体です。15:49ころ。

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▲推定樹齢五百数十年の巨木杉です。六観音参拝の際に植えられたもののようです。16:01ころ。

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▲六観音御池が見えて来ました。16:04ころ。

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▲池のそばに建つ六観音堂。深い謂れはあるようですが・・・・ 16:05ころ。

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▲六観音御池のほとりへ降りる道にはロープが張られ、降りたらいけないようでした。しかし、それでH本家の面々が納得する訳がありません。Y子さん以外は全員降りてしまいます。陽光が水面を照らし、網目模様に揺れていました。16:14ころ。

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▲何やら由緒深そうな岩霧島神社です。16:24ころ。

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▲3つ目の不動池へ向かう途中です。S子とMちゃん。16:51ころ。

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▲登山初めてのY子さんとK君でしたが、これくらいのお池巡り程度は超楽勝! 16:53ころ。

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▲韓国岳へ向かって歩きます。噴火口の縁がどこだか分かりますか? 16:59ころ。

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▲道路沿いで水をたたえる不動池。17:02ころ。

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▲不動池のそばからは、ナント! 桜島が見えました! 左側に見える少し黒っぽい雲のようなものは、桜島の噴煙の様な気もしますが・・・・ 17:10ころ。

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▲キャンプ場に戻る途中で、またシカに遭遇しました。17:31ころ。
コースタイム2時間半のところ、寄り道や休憩を含めて3時間ちょっとで歩きました。ほぼコースタイムと同じと言ってよいと思います。Y子さんにはちょうど良い足慣らしになったと思いますし、K君は立派に歩き通し、感心しました。

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▲キャンプ場に戻り、ふいごで炭火を熾しているK君。遠すぎて、効果がないと思うよ! 18:53ころ。

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▲我々山屋から見ると移動式キッチンと呼びたくなるような豪華セットです。19:22ころ。

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▲夕食はキャンプ定番のバーベキュー。美味しいですね。ビールにワイン、ブランデーと、アルコールも進みます。19:23ころ。

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▲ランプの光が明るく写り過ぎていますが、モリモリ食べている最中です。K君はこのあと最初にバタンキュー。4歳の子供です。歩く以外でも動きまわっていましたからね。しばらくして、Mちゃんも。大人はどうだったか、少し朦朧としていて記憶はありません。僕とかがいちばん最後まで飲んでいたことだけは確かだと思います。19:42ころ。

初めて甥っ子家族みんなと山を共に歩きました。いいものですね。ほぼ「三世代同行山行」です。これが可能なのもそれほど長い年数ではありません。大事にしたいと思います。