2014/1/25 仕事が多忙でなかなか休みが合わないA野さんと、久し振りに一緒に行ける日が来ました。同時に誘ったK美さんも参加できることになり、一番びっくりしたのはK美さんの旦那さんまでもが来るというのです。K松さん(K美さんの旦那さん)は異常なほど歩くスピードの速い人ですから、僕たちのペースでは苦痛と感じるほど遅いはずなのです。
ところが、こういう奇跡的な日に限って、アンラッキーなことも発生します。S子の具合が悪くなったのです。少し前から目まいが時折り襲い、昨日からは少しひどくなって来たのです。不安な気持ちを抱えたままでは山には入れませんから、この日は病院へ行くことにしました。
四方津の駅で顔を合わせたメンバーはS子の不参加をとても残念がってくれました。
▲四方津駅からタクシーで登山口になっている安達野バス停まで行ってもらいます。上の写真がバス停から見た登山口です。9:08ころ。
▲この標識を見る限り、誰しも右へ、山の中へ行くと思いますよね。安達野からの登山道は登山地図によるとまずは新田集落のそばを通っているのですから。9:08ころ。
山にはかすかな踏み跡がありました。それを辿って登って行きます。でも、新田集落の方角とは違います。しばらく登りましたが、明瞭な山道になりませんし、方角にも不安があったので、再び同じところまで降りて来ました。
K松夫妻が「こっちだと思う」と、写真の標識では上野原と記してある方向にある一車線の舗装道路へ入って行きます。
その道に入っても、なかなか登山口らしき場所が見つかりません。地元の方の姿が見えたので、登山口を教えていただきました。もう少し先にあるようです。
▲何やら立派な門構えのお屋敷がありました。門柱には『旧甲州街道新田宿尾張の殿様定宿家』との看板があります。9:22ころ。
一般的に参勤交代において名古屋から西の藩では東海道を通る藩がほとんどだったそうです。甲州街道を毎回通るのは信州の高遠藩くらいで、参勤交代が他藩と重なる場合に調整のため甲州街道を使うことがあったのだそうです。しかも、隣りの犬目宿が本陣なのに、脇宿の新田宿のこの米山家を定宿としたのには理由があるのだとか・・・・・・・・
その理由は次の次の写真のところで。
▲米山家の少し先に山へと向かう小路がありました。9:24ころ。
▲分かりますかね? 今日は空全体にうっすらと雲がかかって、霞に覆われているような天気なので。富士山です! 9:25ころ。
米山家からの富士山の眺めが甲州街道随一でしたので、尾張のお殿様がここを気に入ったのだそうです。早朝の赤富士を遙拝してから、出立したのだとか。
▲昭文社の地図に山の神と書かれているのがこれでしょうか? 金比羅神社です。9:52ころ。
▲麓を見下ろすと、手前には談合坂のサービスエリア、向こうには大野貯水池が見えました。9:55ころ。
▲最初の目的地、扇山1137.8mに到着。11:04ころ。
扇山は「秀麗富岳12景」のひとつです。霞んでいるので、きりっとした美しさには欠けますけれど、やっぱり富士山はいいですねぇ。
▲山頂は残雪や霜柱が融けて、泥だらけになっています。泥の少ない場所を選んで休憩をとりました。山頂をあとにする際、再び富士山をパチリ。11:29ころ。
▲扇山をスタートする3人。左の二人がK松夫妻、右端がA野さんです。11:29ころ。
▲いきなり雪の下降。滑らないように細心の注意を払いました。手前からK美さん、A野さん、K松さん。11:33ころ。
▲枯れ木越しに見えているあのピークが百蔵山1003.4mでしょうか? 12:18ころ。
▲百蔵山直下の急登。久し振りの登山にA野さんが少々ばて気味です。13:12ころ。
▲百蔵山到着です。13:23ころ。
百蔵山も「秀麗富岳12景」のひとつ。中央の富士山をはさむように、右に三ツ峠山1785.2m、左に御正体山1681.6m。
▲富士山の左には道志の山々が連なっています。この山塊には数回しか入ったことがありませんから、山座同定はほとんど無理です。13:23ころ。
▲さらに左(東)を望むと、北丹沢が見えるようになるはずです。写真中央少し左の山頂が平らに見える大きな山体の山が大室山1587.6mではないでしょうか? さらにその左の顕著なピークは蛭ヶ岳1672.7mでしょうか? 13:23ころ。
▲百蔵山を少し下ったところにある分岐から猿橋へ下山しました。14:02ころ。
▲思いのほか早く、山道は終了し、林道が出現しました。K松さんが言うには「これからが長い」んだそうです。14:31ころ。
▲浄水場とかがあり、さらに下って行くと、この和田美術館がありました。ネットで調べましたが、どんなところなのかは不明です。14:56ころ。
▲和田美術館入り口の狛犬です。左側にあるので決まり通りの吽形(うんぎょう・口を閉じたもの)。ただ、足元には小さな狛犬がいます。これは子取りと呼ぶらしく、子犬なのだとか。大概、玉取りと対になっているというので、確認してみると、上の写真で分かりますが、右の狛犬は確かに玉取りですね。14:56ころ。
▲里に降りて来て、K松さんに猿橋まで案内してもらいました。さすがに地元(K松夫妻は大月在住です)なので、道順に詳しいのです。
この橋が日本三奇橋のひとつ「猿橋」です。15:41ころ。
ちなみにその三つですが、猿橋の他には山口県岩国の錦帯橋、もうひとつは諸説あって定まっていないようです。錦帯橋は次を参考にして下さい。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/d/20130114
猿橋もこう見る限りは普通の橋に見えますが・・・・
▲橋の中央から下をのぞくと、この絶景! 狭くて深い峡谷に架かっている橋なんですね! 15:42ころ。
これは何か秘密がありそうです。
▲猿橋の解説板です。写真をクリックし、拡大して読んでみて下さい。15:43ころ。
古くは推古天皇の時代、今から1400年以上昔に橋の伝説が書き記されているそうです。史実としては15世紀には記録があるようですから、とにかく昔からある不思議な橋なのですね。
▲これが猿橋を横から見たときの写真です。両岸からだんだんに橋の土台を伸ばしていって作ったことが分かります。力学法則を駆使して作った橋なのですね。15:44ころ。
▲峡谷の下から見上げるとこんな感じです。わざわざこんな箇所を選んで橋を架けたことの方が不思議です。もっと他の場所で楽なところはなかったのでしょうか?
写真中央右にある格子状の橋は昔の国鉄時代の鉄道橋だとか。15:48ころ。
猿橋駅まで1km以上の道を歩いて向かいました。駅のそばで上り電車が行ってしまいましたし、猿橋駅周辺に食堂がありませんでしたから、隣り駅の大月まで行くことにしました。大月はK松夫妻の地元、気に入った食堂もあるようです。
大月駅前の庄屋はいい店でした。日本酒の「笹一」が切れていたのは残念でしたけれど、大いに飲み、食い、楽しみました。
ニュージーランドの話しをしたり、K松さんとは今年の夏、槍ヶ岳登頂のウウェストンルートを行こう! という話しになったり。ぜひ実現させましょう!