2016/12/19 今回歩こうとしている小沢峠~黒山~棒ノ折山は、その前半部分を僕はまだ歩いたことがありません。山歩きを始めた大昔に、黒山や権次入峠あたりを歩いたことはあります。でも、黒山より東の尾根は僕にとっては未踏の地。そんな理由と、本当はもうひとつ、後でお教えしますが、理由があってこのコースにしたのです。
小沢峠には上成木から歩き始めるのですが、東青梅駅から上成木行きのバスは7:40の他は10:53しかありません。躊躇なしに後者を選択。
▲バスが来ました。東青梅駅北口バス停10:53発上成木行きです。ほんの少し遅れてますね。10:56ころ。
▲終点の上成木バス停で下車。ここは高水山への登山口でもあります。11:31ころ。
▲左に見えるのは小沢トンネルです。登山口は右の道。11:38ころ。
▲舗装道路を少し進むと、左に標識が現われ、山道になりました。11:40ころ。
▲山道はすぐに林道へ出ます。林道が二手に分かれ、右を選びましたが、小沢峠の下を右へと遠ざかります。上に林道が見えたので、斜面を登りその林道を右へ進むと、すぐに小沢峠でした。どうやら、最初に分かれた林道の左を選んだ方が良かったようです。写真のすぐ前方が小沢峠。11:51ころ。
▲小沢峠になかなか凝った作りの小さな祠がありました。瓦や板塀、土台の石組などがそれと分かるように作られています。11:53ころ。
▲ここ小沢峠から東の境界尾根には成木尾根と名前が付いているようです。けっこうハイカーも歩いているようですね。11:54ころ。
▲僕たちは西へ向かいます。11:55ころ。
▲こんな木の階段が出現! アスレチック遊具のようです。歩き辛いことこの上なしですが、遊びだと思って僕は歩きました。S子は振り向きもせず、土の上を歩きます。11:57ころ。
▲カンアオイ。根元の土を少しどかすと、花が二つ現われました。12:02ころ。
カンアオイ(寒葵)はギフチョウの食草だということはよく知られていますけれど、花粉媒介者が何者なのかは分かっていないのだそうです。半分土に埋もれたように咲いている花ですから、風媒花ではないでしょうし、通常の昆虫も難しそうです。ですから、珍しい仮説だけがあります。それはカタツムリやナメクジが媒介するのではと言う説。他にもワラジムシやヤスデではないかと言う説などがあるそうですが、真実は分かっていないようですね。
▲植林を抜け出すと、ちょっと低山らしい山道になりました。12:05ころ。
▲植林の中の急登です。12:17ころ。
▲八幡様を祀ったのでしょうか? 裏面には明治43年建立と彫られていました。濱名氏が作ったもののようです。12:23ころ。
ここで最初の休憩。
▲ベンチが出て来ました。ここで休めば良かったですね。12:49ころ。
▲ここにもリアルな祠がありました。12:50ころ。
▲熊野三社大権現と書かれています。熊野三社とは熊野本宮大社、速玉大社、那智大社のことですから、そこに祀られている神のことです。碑の横には「寛政十一巳未四月建立」と彫られています。江戸時代のものとしては素人目にも少し新しい感じがしますが、それはともかく、どういう思いでこの碑を置いたのでしょう? 12:51ころ。
▲石灰岩がゴロゴロした急登になりました。12:56ころ。
▲植林の中を参道のように山道が続きます。左の樹々は太いのが並んでいました。13:08ころ。
▲冬の低山歩きは落葉広葉樹の林に限りますね。13:09ころ。
▲高水山759mや岩茸石山793.0mが見えているはずなのですが、同定は写真だけでは難しいですね。13:15ころ。
▲ススキの中を歩きます。雰囲気最高ですが、すぐに終了。13:15ころ。
▲石灰岩がゴロゴロしている横を歩きました。13:25ころ。
▲標高690mの長久保山とありました。小沢峠と黒山のちょうど中間あたりに689mの標高点がありますから、きっとこの長久保山のことでしょう。旧名は「大クラ屋根ノ頭」とあります。13:36ころ。
▲まだまだ植林は続きますね。杉のようです。1本だけ松が生えていて、松ぼっくりがたくさん落ちていました。13:49ころ。
▲珍しく北の方角が開けていました。先に見えている山は棒ノ折山方面でしょうか? 13:55ころ。
▲枯葉の斜面をカサコソと登ります。13:59ころ。
▲このベンチで休憩しました。これから出発です。14:22ころ。
小沢峠から黒山までのコースタイムは2時間なのですが、もうすでに2時間以上経過しています。休憩もたっぷりしていますから、まだ到着しないのは当然なのですが、せめて馬乗馬場にくらいは着いていて欲しい。
このころから「少しだけ急がなければ」と思い始めていました。
▲林道が出て来ました。馬乗馬場が近づいた証拠です。14:28ころ。
▲馬乗馬場です。「まのりばんば」と読むようですね。武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄で坂東武者の鑑と称された畠山重忠の軍勢が鎌倉幕府への道の途中、ここで馬を休ませたのだそうです。14:34ころ。
▲馬乗馬場を振り返りました。今では植林でその広々とした様子は分かりませんけれど、かなりの広さで平らな地面が広がっています。14:36ころ。
馬乗馬場を確認できましたから、現在位置が分かりました。そのことはいいのですが、あと、黒山、棒ノ折山を経て、奥茶屋の林道へ出るまで、コースタイムで2時間以上かかることが確実だということも同時に明らかになったのです。つまり、林道へたどり着くのはいちばん早くても16時4、50分ころ。つまり、日没後ということです。S子の足で、コースタイムと同じ時間で下山できるとも思えませんから、暗い山道を下山しなければならないことを、覚悟しなければならないようです。
ここまで、ちょっと甘く見過ぎていたようです。馬乗馬場へは14時には到着すべきでした。反省。