徳川家康の具足に大黒頭巾風の変わり兜がある。関ヶ原の合戦・大坂の陣の折りに所用したことから、徳川家では瑞祥の品と尊び、三河以来正月には具足開の儀礼を行なっていたが、儀礼では大黒頭巾の具足を江戸城本丸の床飾りとするようになった。四代将軍家綱以降は歴代将軍がその写形を整え、具足開の儀礼に供するようになっている。徳川家綱所用の写形貫衆具足は、九能山東照宮に奉納され、現在に伝えられている。(徳川家の城)こうした経緯で写形貫衆具足は、19領現存するとされている。
武田信玄の隠し金山と言われている「湯之奥金山」。武田家滅亡の後、湯之奥金山を差配したのは徳川家だ。2015年は徳川家康没後400年にあたり、企画展「徳川の城~天守と御殿~」(江戸東京博物館)・「徳川将軍家と東北」(東北歴史博物館&秋田県立博物館)が開催された。正月に江戸城内に飾られた大黒頭巾風の兜「歯朶具足」(模造した写形 貫衆具足は、東照宮や各地の城に供えられ、歴代将軍が写形を作りその数19領)は、家康が関ヶ原の合戦で着用し大坂の陣でも手元に置いて勝利した瑞祥の兜として尊崇されたものだ。鍬形には湯之奥金山のシンボルでもある金山草(歯朶-コシダ)が金色に輝いている。また、東照大権現像(霊夢)の茣蓙筵の茣蓙には三葉葵が、縁取りにはシダが織り込まれていて、シダは、アオイと共に徳川家の象徴となっていることが分かる。
武田信玄の隠し金山と言われている「湯之奥金山」。武田家滅亡の後、湯之奥金山を差配したのは徳川家だ。2015年は徳川家康没後400年にあたり、企画展「徳川の城~天守と御殿~」(江戸東京博物館)・「徳川将軍家と東北」(東北歴史博物館&秋田県立博物館)が開催された。正月に江戸城内に飾られた大黒頭巾風の兜「歯朶具足」(模造した写形 貫衆具足は、東照宮や各地の城に供えられ、歴代将軍が写形を作りその数19領)は、家康が関ヶ原の合戦で着用し大坂の陣でも手元に置いて勝利した瑞祥の兜として尊崇されたものだ。鍬形には湯之奥金山のシンボルでもある金山草(歯朶-コシダ)が金色に輝いている。また、東照大権現像(霊夢)の茣蓙筵の茣蓙には三葉葵が、縁取りにはシダが織り込まれていて、シダは、アオイと共に徳川家の象徴となっていることが分かる。