2016年3月1日に福岡県糸島市で弥生時代の国内最古の石の硯が出土し、魏志倭人伝の記述を裏付
けると西日本新聞が報じた。
「福岡県糸島市教育員会は、糸島市の三雲・井原(いわら)遺跡で弥生期代後期(1~2世紀)のも
のとみられるすずりの破片の出土を発表し、同遺跡が3 世紀の中国の史書『魏志倭人伝』の登場する
伊都国の王都があったとされ、前漢に朝鮮半島北部に置かれた楽浪郡製と同形式の土器も多数出土し
ている。
倭人伝には、伊都国に滞在した楽浪郡の使節が外交文書を取り扱ったという記述もあり、今回の
すずり片の出土はこれを裏付ける発見であると注目。同遺跡では楽浪系土器も50点以上出土しして
いる。
弥生時代のすずりの発見は松江市の田和山遺跡に次いで国内2例目。田和山遺跡すずりも調査した
九州大学の西谷正名名誉教授は、「三雲・井原遺跡では、(楽浪系土器が出土しておらず、)すず
りも実用品ではなく宝物として扱われた可能性があり、文字文化が弥生時代の伊都国で始まった
可能性が高い発見ではないか」と話している。現地説明会は、5日午後2時から。問い合わせは、
市教委文化課=092(332)2093.。」(3/1西日本新聞 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/227991)
一方、硯の歴史を辿ると、紀元前の秦始皇帝の時代にその原型があったといわれ、名硯とい
われる倪硯や欷州硯が世に出るのは唐代のことである。『古硯譜』には、「孝元天皇御硯、
垂仁天皇御硯、神功皇后御硯、などの図が掲載されており、天智天皇御硯(京山階安祥寺納)、
桓武天皇御硯(山城伏見山稲荷社納)、皇極天皇御硯(和◯<刀3っつ>法隆寺納)、孝徳天
皇御硯(伊勢国山田殊宮納)、用明天皇御硯(大坂四天王寺納)、推古天皇御硯(洛◯元◯寺
納)」と、献納された寺社の名が図と共に掲載されており、共に掲載されており、真偽をおい
ても歴代天皇が石硯を使っていたことが推察される。
正倉院には聖武天皇遺愛品「青班石硯」と「唐墨」が納められている。また、律令国家とな
った奈良時代の国衙・官衙からは、租庸調を送るための付け札(荷札)や戸籍、文書などの事
務作業のための文房四寶の筆・墨・硯・紙が出土している。この時代の付け札には、竹簡や
木簡が使われていて、これらの出土例も多い。事務用の硯は、陶硯で須恵器の円面硯・風字
硯・転用硯(破損した椀・皿・蓋など)が使われていた。石硯は、平安時代以降に陶硯に換
わって行ったようだ。
また、発掘された日本列島2015に貸し出されている秋田県の金沢柵比定地の小吉山北部
地区中央部から出土の石硯は、ほぼ完形で平安時代後期から鎌倉時代前期とされている。
碁石も出土する等、石硯と共にその産地の同定が待たれる。
「日本の硯の材料産地は、山口県宇部市の赤間石、宮城県石巻市の雄勝石、三重県 熊野
市の那智黒石、山梨県早川町雨畑の玄晶石(粘板岩)等である。その中でも赤間石 との
雄勝石の二つは百年以上の歴史があり、国の伝統工芸品指定を受けている。」
(ja.wikipedia.org/wiki/硯 )
硯の移入先の同定や国内産の石硯の同定は、律令国家の基本である税の記録等に関する
重要事項であり、文房四宝が揃う契機を知ることにつながる。
けると西日本新聞が報じた。
「福岡県糸島市教育員会は、糸島市の三雲・井原(いわら)遺跡で弥生期代後期(1~2世紀)のも
のとみられるすずりの破片の出土を発表し、同遺跡が3 世紀の中国の史書『魏志倭人伝』の登場する
伊都国の王都があったとされ、前漢に朝鮮半島北部に置かれた楽浪郡製と同形式の土器も多数出土し
ている。
倭人伝には、伊都国に滞在した楽浪郡の使節が外交文書を取り扱ったという記述もあり、今回の
すずり片の出土はこれを裏付ける発見であると注目。同遺跡では楽浪系土器も50点以上出土しして
いる。
弥生時代のすずりの発見は松江市の田和山遺跡に次いで国内2例目。田和山遺跡すずりも調査した
九州大学の西谷正名名誉教授は、「三雲・井原遺跡では、(楽浪系土器が出土しておらず、)すず
りも実用品ではなく宝物として扱われた可能性があり、文字文化が弥生時代の伊都国で始まった
可能性が高い発見ではないか」と話している。現地説明会は、5日午後2時から。問い合わせは、
市教委文化課=092(332)2093.。」(3/1西日本新聞 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/227991)
一方、硯の歴史を辿ると、紀元前の秦始皇帝の時代にその原型があったといわれ、名硯とい
われる倪硯や欷州硯が世に出るのは唐代のことである。『古硯譜』には、「孝元天皇御硯、
垂仁天皇御硯、神功皇后御硯、などの図が掲載されており、天智天皇御硯(京山階安祥寺納)、
桓武天皇御硯(山城伏見山稲荷社納)、皇極天皇御硯(和◯<刀3っつ>法隆寺納)、孝徳天
皇御硯(伊勢国山田殊宮納)、用明天皇御硯(大坂四天王寺納)、推古天皇御硯(洛◯元◯寺
納)」と、献納された寺社の名が図と共に掲載されており、共に掲載されており、真偽をおい
ても歴代天皇が石硯を使っていたことが推察される。
正倉院には聖武天皇遺愛品「青班石硯」と「唐墨」が納められている。また、律令国家とな
った奈良時代の国衙・官衙からは、租庸調を送るための付け札(荷札)や戸籍、文書などの事
務作業のための文房四寶の筆・墨・硯・紙が出土している。この時代の付け札には、竹簡や
木簡が使われていて、これらの出土例も多い。事務用の硯は、陶硯で須恵器の円面硯・風字
硯・転用硯(破損した椀・皿・蓋など)が使われていた。石硯は、平安時代以降に陶硯に換
わって行ったようだ。
また、発掘された日本列島2015に貸し出されている秋田県の金沢柵比定地の小吉山北部
地区中央部から出土の石硯は、ほぼ完形で平安時代後期から鎌倉時代前期とされている。
碁石も出土する等、石硯と共にその産地の同定が待たれる。
「日本の硯の材料産地は、山口県宇部市の赤間石、宮城県石巻市の雄勝石、三重県 熊野
市の那智黒石、山梨県早川町雨畑の玄晶石(粘板岩)等である。その中でも赤間石 との
雄勝石の二つは百年以上の歴史があり、国の伝統工芸品指定を受けている。」
(ja.wikipedia.org/wiki/硯 )
硯の移入先の同定や国内産の石硯の同定は、律令国家の基本である税の記録等に関する
重要事項であり、文房四宝が揃う契機を知ることにつながる。