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文房四寶

2020-01-03 02:23:17 | 記録
東北歴史博物館の特別展「漢字三千年 -漢字の歴史と美-」の内覧会を2017年6月22日(金)10:00~12:00の日程で鑑賞した。観賞後、設置されていたショップでカタログを購入したが、天地が逆になっているものが数点あり校正の段階で見つけられなかったのだろう。
出典は故宮博物館や各地の博物館・博物院・考古研究院のものが多く、一級文物(国宝)も何点かあった。それは、文字の刻まれた兵馬俑1点・五十二病方(最古の中国医学文献・馬王堆の処方箋)などの貴重な史料である。また、王朝の皇帝之眞筆を見ることができるし、体験コーナーでは、様々な銭貨のレプリカによって大きさ・厚さ・銭貨上の文字などを見ることができると共に拓本をとることができる。

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 館の公式ホームページ
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「漢字」は、中国文明の中で生まれた古代文字でありながら、誕生以来3000年の長きにわたって、人々に愛され使われ続けています。その時代に最もふさわしい形で表現され、読みやすさや書きやすさ、そして美しさを模索され発展してきた、世界で唯一の文字です。
本展では最古の漢字といわれる甲骨文字をはじめ、文字の統一を果たした秦時代の漢字、世界初公開の文字の刻まれた兵馬俑など漢字が記された文物を展観するとともに、漢字を芸術の域にまで高めた王羲之や顔真卿の拓本など歴代の名書作品、歴史上の人物が書いた書作品など、中国の博物館・研究機関17ヶ所から、国家一級文物21点を含む約110点を出品致します。  
漢字の歴史と美の変遷を探るとともに、漢字にまつわるエピソードなどを紹介し、今まで他に類を見ない漢字ワールドを展観いたします。


 開催期間 2017年6月24日(土)~8月11日(金)
開催時間 9:30~17:00(発券は16:30まで)
休 館 日 月曜日(ただし,7月17日は開館)、7月18日(火)
観覧料金 一般1,300円,シルバー・学生1,200円,小・中・高校生400円
主催 東北歴史博物館/河北新報社/KHB東日本放送/
     中国人民対外友好協会/中国文物交流中心/日本中国文化交流協会


 「展示構成
 第一部 漢字の歴史
我々日本人は、千数百年前、中国から漢字を学び、その漢字の恩恵は計り知れません。しかし、我が国にもたらされた漢字は完成された形で、漢字がそれ以前二千年もの歴史があり、形にも大きな変遷が有ることを知る日本人は少ないのではないでしょうか。
第一部ではそうした漢字の歴史を新石器時代からさかのぼり、漢字の発祥とされる「甲骨文字」そして青銅器に鋳こまれた「金文」など、さまざまな漢字の記された文物を紹介します。その背後にある漢字の世界観を是非ご覧下さい。 

第二部 漢字の美
漢字は神との通信手段から人間社会のものとなり、さらには単なる情報伝達ツールにとどまらず、芸術の領域へと進んでいきました。この書芸術は世界に誇る東アジアの代表的文化のひとつであり、東洋の精神世界を見事に表している芸術でもあります。
展示では様々な書家の作品を通し、書体の『美』を見ていただくと同時に、「書は人物なり」と言われるように、乾隆帝などの皇帝をはじめ歴代の著名な人物による個性あふれる作品を紹介します。」


「文房四宝」は、中国文人の文房趣味の一つで、筆・墨・硯・紙である。


 端渓、歙州、澄泥の古硯や古文房具

祐天寺出土の「白い粉」

2020-01-03 01:56:43 | 記録
 「徳川の姫君の化粧道具か 東京・目黒 寺の地下で発見」2018年1月3日(水)読売新聞秋田版15面の記亊に「竹姫(1705~1772年)は、祐天寺に阿弥陀堂を寄進し、地下に埋められた石箱(約50㌢四方)から懐中鏡や毛髪が見つかり、寺録(1835年)に寄進の際「竹姫君様御落髪」を箱に入れたと書かれている。竹姫の寄進は厄よけ祈願のため。毛髪は人毛と確認、白い粉は、貝殻から作る胡粉の可能性が高いことが分かった」と箱の写真付で掲載された。

 白い粉の分析を依頼されたポーラ・オルビスグループのポーラ化成工業株式会社は、主成分が「炭酸カルシュウム」であることを明らかにし、2017年5月27日~28日京都で開催される日本分析化学会第77回分析化学討論会で発表することとその分析結果をを2017年5月22日公表した。
www.pola-rm.co.jp/pdf/release_20170522.pdf

  調査した慶大教授の佐藤孝雄さんは、第71回日本人類学大会で「口頭発表(一般)祐天寺阿弥陀堂地下埋納物に関する調査・研究」と題して2017年11月4日に発表している。

 祐天寺は、東京都目黒区中目黒五丁目にある浄土宗の寺院で、明顕山祐天寺。本尊の祐天上人像は本堂に、寄木造の阿弥陀如来座像は阿弥陀堂に安置されており、現在の本堂は常念仏堂として建立された堂宇を再建したものである。 最寄駅は、東急東横線祐天寺駅徒歩5分。

 1718(享保3)年の春頃から増上寺36世住持の祐天の体調が悪化したため、弟子の祐海は祐天が常念仏を行なえる廟所を探したが、同年7月15日(1718年8月11日)に祐天が亡くなった。
 祐天が廟所を目黒に建立する事を望んでいたこともあり、祐海は同じ目黒にある善久院を百両で購入し住職となり、損傷の激しい善久院に祐天の廟所と念仏堂を建立再興し、1723(享保8)年1月13日、祐天寺の寺号が正式に許可されたので、祐天を開山とし、祐海は第2世となった。

 境内には、大正天皇の生母 柳原愛子(柳原光愛二女で伯爵柳原前光の妹。明治天皇の典侍(早蕨)・(女房名は梅ノ井)で、柳原白蓮は姪)の墓がある。
 また、5代将軍徳川綱吉の養女竹姫から寄進された阿弥陀堂や仁王門など、多くの目黒区指定有形文化財が現存し、阿弥陀堂には阿弥陀如来を、仁王門 には金剛力士(仁王)像(石見作)と持国天・増長天像を、地蔵堂には、地蔵菩薩像を安置しているが、祐天上人は地蔵菩薩の生まれ変わりと伝えられている。
 2017(平成29)年に祐天上人300年御遠忌(ごおんき)の法要を迎えるため、その記念事業としての、仏舎利殿の改修、阿弥陀堂の保存改修、精進殿の建て替えなどが継続して行われ、地蔵堂の保存修復工事もその一環として曳家し、免震工事が行われている。

(註1) 徳川家から、堂宇、仏像、厨子など多くの寄進があったが、特に、5代綱吉の息女(養女)竹姫(浄岸院 1705-1772)は享保4年(1719)に祐天上人宮殿をはじめとして、その後も阿弥陀如来尊像および阿弥陀堂、仁王像および仁王門、法然上人像などの寄進を重ねた。竹姫は1708年と1716年に2度の婚約が整いながら、相手が早世するということがあり、篤い信仰心が生じたのだろうと推測する。 享保14年(1729)に薩摩藩主島津継豊に入輿し、その後島津家と徳川家との縁戚関係を深め、外様であった薩摩藩の発言力を高めるに至った努力は、後の篤姫(天璋院 1836-1883)と比べても多大な貢献を行っている。 安永元年(1772年)12月5日、江戸の薩摩藩邸で死去した。法名は浄岸院信誉清仁祐光大禅定尼。祐天寺に位牌が納められた。墓所は鹿児島市の島津家墓所・福昌寺(曹洞宗)に葬られた。
 また、竹姫は島津継豊との間に1女として菊姫(眞含院 1733-1808)をもうけた。 菊姫は福岡藩・黒田重政(1737-1762)と結ばれ1男2女を生むが、長女・屋世(黒田治之室)以外は夭折。福岡藩主・黒田継高は一橋徳川家・初代当主・徳川宗尹の五男・治之(1753-1781)を養子に迎え屋世と結婚するが、屋世も11歳で死去。黒田本家の血統は男系女系とも途絶えたとともに、竹姫の血統も途絶えた。

(註2)天英院は、(近衛 熙子(このえ ひろこ、寛文6年3月26日(1666年4月30日) 寛保元年2月28日(1741年4月13日))は、江戸幕府6代将軍・徳川家宣の正室。父は近衛基熙、母は後水尾天皇の娘・(品宮)常子内親王。夫の死後落飾して天英院(てんえいいん)と名乗る。)竹姫の
婚姻について、様々な意見を述べたことで知られる人物だが、祐天寺に鐘楼を寄進している。
出典:http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/ffce68a5e125cc6f9af10ec0e76183c2

参考資料:1)徳川の姫君の化粧道具か…東京・目黒 寺の地下で発見
5代将軍・徳川綱吉の養女で、薩摩藩主・島津継豊に嫁いだ竹姫(1705~1772年)は、1724年、現在の東京都目黒区にある祐天寺に阿弥陀堂を寄進した。その地下に埋められた石箱(約50センチ四方)からこのほど、懐中鏡=写真=や毛髪などが見つかった。
 竹姫の寄進は厄よけ祈願のため。寺の記録である寺録(1835年)には、寄進の際に「竹姫君様御落髪」を箱に入れたと書かれており、走査電子顕微鏡の観察でも、毛髪は人髪と確認された。鏡について寺録に記載はないが、南天と徳川家の 三葉葵 みつばあおい紋、作者銘が刻まれていた。調査した佐藤孝雄・慶大教授(考古学)は「鏡は竹姫が実際に使っていたか、奉納するため特別に作らせたものではないか」と推測する。ほかに白い粉が見つかり、成分分析の結果、貝殻から作る 胡粉 ごふん の可能性が高いことが分かった。佐藤教授は「胡粉はひな人形の顔を塗るのに使っていたという説もある。白い粉や鏡は化粧道具のつもりで埋めたのではないか。徳川家の女性が寺社などに建物を寄進する際の思考様式を考える上で、貴重な材料となる」と話している。
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#/news_20180102-118-OYTPT50031/scrap_list_FD00000000

2)祐天寺 HP http://www.yutenji.or.jp/enter.asp
境内案内図1 境内案内図2

略縁起
<目黒の念仏道場>
 増上寺第三十六世祐天上人は、正徳4年(1714)増上寺を退隠し、ひたすら名号の書写と念仏の生活を送りました。享保3年(1718)7月15日、弟子の祐海に「一寺を創営し、長時の念仏を修し、未来の衆生済度のために備えよ」と遺言し、鉦を鳴らして仏名を称え、世寿82歳にして西に向かわれました。祐海は遺命を受け、新寺建立禁止の世情ではありましたが、8代将軍吉宗公の許可を得て、善久院という寺に改めて祐天寺の名を付し、開創されたのです。こうして、この目黒の地に、祐天上人を開山と仰ぐ念仏道場は起立されたのです。
<江戸の民衆から将軍家・皇族まで>
 増上寺で学問を終えられた祐天上人は、隠棲の草庵を本所牛島(墨田区)に結ばれ、名号を書写し、念仏する生活をされていました。救いを求める人々は祐天上人に名号を請い、その功徳が江戸をはじめ広く日本中に広まっていったのです。元禄12年(1699)桂昌院の篤い帰依を受けた祐天上人は、綱吉公の特別な台命によって、下総(千葉市)生実の大巌寺の住職となり、その後、家宣公により、増上寺の第36世に任ぜられました。将軍家はもとより、東山天皇の女院らの帰依を受けるなど、上人の書写した名号は今でも護り本尊として人々から大切にされているのです。
<祐天上人関連史跡>
東京都 板橋区 乗蓮寺 専称 江東区 霊巌寺 品川区 清岸寺 台東区 念佛院 文京区 光源寺 伝通院
    渋谷区 猿楽町の道しるべ地蔵尊 恵比寿南の名号石塔 港区 正覚寺 願正寺
    目黒区 寿福寺 長泉院 蟠龍寺 油面高地蔵
東京都下 恩多地蔵庵 崇福寺 濤響寺 極楽寺
千葉県 勝浦市 出水山覚翁寺 
<祐天寺境内堂宇写真>https://ja.wikipedia.org/wiki/祐天寺

古代神殿跡で人と猛禽類のレリーフ発見…ペルー

2020-01-03 01:50:07 | 記録
禽類のレリーフ報告「希有の会」2013年次会合 渋谷区のペルー大使館で

読売新聞2013年12月18日(水)15面文化(歴史)

古代神殿跡で人と猛禽類のレリーフ発見…ペルー 3000年前の遺跡に
2013年10月26日19時59分 読売新聞

ペルー北部のワカ・パルティーダ遺跡で、約3000年前の神殿跡から、高さ約3メートル、幅2メートル超とみられる巨大な人物と、ワシのような 猛禽 もうきん 類のレリーフ(浮き彫り)の一部が見つかった。
 今年8~9月の発掘調査で芝田幸一郎・神戸市外国語大准教授(アンデス考古学)が発見した。この遺跡では2005年、古代アンデス文明で最大のジャガーのレリーフ(高さ約3メートル、幅約4メートル)が発見されており、神殿全体を覆うレリーフが残る、極めて貴重な遺跡の可能性が高くなった。
 遺跡は、首都リマから北西約400キロの海岸地帯にある。神殿跡は、南北28メートル、東西30メートル以上、高さは10メートル以上。3段の基壇上に、部屋や回廊などがあり、レリーフは頂部の部屋の東と南の外壁を飾っていた。
 人物も猛禽類も、残っているのは、下部の約1メートルで、全体の3分の1ほどとみられる。人物は足首から下が怪物の横顔になっており、すねの骨が透けた超人的な存在として表現される。古代アンデスで神聖視されていた猛禽類は尾羽や脚が確認できた。
古代アンデスんレリーフは、粘土製のため風雨などで劣化しやすく現在まで残っているものは数少ないが、この神殿は後世の神殿建設の際に石などで埋められたため,保存状態が良好だった。
 芝田准教授は「位置や組み合わせが明確にわかることから、古代アンデスの人々が信仰した世界観を知ることができる。未発見部分にはまだ10面以上のレリーフがあるはずだ」と話している。大貫良夫・東京大学名誉教授(同)は、「これだけ大規模にレリーフが見つかった例はない。大発見だ」と話している。

アンデス最大のジャガーのレリーフ、日本人研究者発掘(読売新聞) ― BC750年のワカ・パルティーダ遺跡
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/650.html
投稿者 シジミ 日時 2006 年 1 月 11 日 21:51:41: eWn45SEFYZ1R.


先スペイン期アンデス文明における競合と社会変化
研究課題番号:04J09402
2005年研究実績報告書
特別研究員 芝田 幸一郎 山形大学・人文学部

研究概要
昨年度に引き続き、アンデス文明形成期(2500-50 BC)における近接する諸神殿の関係を探るため、ペルー北部中央海岸地方ネペーニャ河谷下流域に位置するワカ・パルティーダ神殿遺跡にて、第二次発掘調査を実施した。
ワカ・パルティーダ遺跡は、2002年と2004年に発掘したセロ・ブランコ遺跡から2km程離れた対岸に位置する。昨年の調査では、両遺跡が同時期であることが示唆され、また、ワカ・パルティーダ遺跡にて複数の多彩色壁画・多彩色円柱、石彫などの重要な発見があった。2005年の発掘調査では、まずワカ・パルティーダ遺跡の編年を充実させ、両遺跡が同時期であることを確定することによって、両神殿の政治的・経済的関係を探るため基礎が固められた。今後のそして現在進行中の諸分析によって、関係の内容に迫る予定である。一方、さらなる多彩色壁画と、巨大な猫科動物のレリーフの発見も、今回の特筆すべき調査成果であった。特に後者は、単体の動物ないし人物を表現した粘土レリーフ(高浮き彫り)としては、現存する古代アンデス史上最大の例となり(約3×4m)、またその保存状態も比類なきほど良好であった。これらは、既に図像資料のあるセロ・ブランコ遺跡との比較分析に有用であるばかりでなく、さらには、形成期宗教イデオロギーの中心として扱われることの多かった高地のチャビン・デ・ワンタル大神殿の石彫群とも、その規模・様式・複雑さ等において比肩するものであり、チャビンの重要性を相対的に引き下げるものかもしれない。
なお、ワカ・パルティーダの調査成果は、ペルー国の最大手新聞El Comercio紙(11月13日)にて異例なほど大きく(表紙+見開き全面)とりあげられ、のちに我が国のメディアでも紹介された。また、米スタンフォード大で開かれたアンデス形成期研究の円卓会議(3月3-4日)に招聘され、ここまでの研究成果が高く評価された。
雑誌論文

芝田幸一郎: "Informe preliminar del Proyecto de Investigacion Arqueologica Cerro Blanco de Nepena - segunda temporada 2004." Informe para el Instituto Nacional de Cultura, Peru(ペルー文化庁への公式報告書であり、学術文献として引用される). 106 (2005)
芝田 幸一郎: "Informe preliminar del Proyecto de Investigacion Arqueologica Periodo Formativo en Nepena - tercera temporada 2005." Informe para el Instituto Nacional de Cultura, Peru(ペルー文化庁への公式報告書であり、学術文献として引用される). 65 (2006)
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/04J09402/2005/3/ja.ja.html

セロ・ブランコ遺跡、クントウルウ・ワシ遺跡発掘に関しては
大貫良夫『アンデスの黄金 クントウルウ・ワシ神殿発掘記』中公新書1535を
ご参照ください。アンデスの遺跡発掘に貢献している研究者の方々が、アンデスの人々と共に先人の事績を大切にし、長年に渡って丁寧に発掘を行なってきたことが分かります。

ETV特集「死の灰と闘う科学者 三宅泰雄」

2020-01-03 01:41:53 | 記録
NHK ETV特集 2013年9月28日(金)夜11時 ※金曜日深夜
     2013年10月5日(土)午前0時45分~(金曜深夜)再放送
海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~

1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸が被ばくしました。被害は水産物にも及び、日本各地の港では放射性物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされます。しかし、核実験を行ったアメリカは、放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる、と主張しました。
 このとき、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動します。水産庁が呼びかけて、海洋や大気、放射線の分野で活躍する第一線の専門家が結集、「顧問団」と呼ばれる科学者たちのチームが作られました。
そして水爆実験から2か月後、顧問団が選んだ若き科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に向けて出発します。2か月に渡る調査の結果、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。
 俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所の三宅泰雄さんは、その後も大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を続けます。原子力発電所が次々と作られていく中で、三宅さんをはじめとする科学者たちは、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作るべきだと声を上げます。
しかし、それは実現しないまま、2011年3月11日、福島第一原発の事故により、再び放射性物質で海が汚染されました。
 ビキニ事件当時、日本の科学者たちが行った調査から、今私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。俊鶻丸に乗り込んだ科学者の証言や、調査を記録した映像などから描きます。
(録画1)
http://www.dailymotion.com/video/x15bioi_%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%94%BE%E5%B0%8
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*(録画2)
http://www.dailymotion.com/video/x15av8j_etv-uminohousyanounitachimukattanip
ponjin2_news
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4627:131002〕

NHK【ETV特集】海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸~ 2013年9-28(土)夜11時、再放送:2013年10-5(土)午前0時45分(金曜深夜)
 1954年3月1日の米国によるビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆し、これに対して日本独自に海の放射能汚染の実態を解明するプロジェクトが発足し、水爆から2ヵ月後、様々な専門分野の若い科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に調査に向かい、海の放射線汚染で放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることを世界で初めて明らかにしたことなどを伝える内容でした。(上の写真は都立第五福竜丸展示館)
 私は俊鶻丸のことは全く知らず、番組で紹介された三宅 泰雄著『死の灰と闘う科学者』 (1972年、岩波新書)を即、amazon.co.jpで注文してしまいました。(CiNii 論文「ビキニ調査船俊鶻丸の調査について」、「ビキニ調査船俊こつ丸、放射性降下物漂う海へ」(国立医薬品食品衛生研究所小史第4号)がダウンロードできます。)
 なお、番組中で俊鶻丸の調査から数ヵ月後、マグロの放射能に関する検査が打ち切られたことが述べられていて、原子力発電所の建設を推進する国策による判断(放射能の危険に蓋をすること)、あるいは米国の圧力などがあったのではと想像させられました。

 2013年10月5日(土)午前0時45分から再放送とのことです。多くの方に是非、見ていただきたいETV特集です。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0928.html
§2 31年度までの活動状況 (俊鶻丸による放射能調査)
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1956/sb20602.htm
CiNii 論文 - ビキニ調査船俊鶻丸の調査結果について
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003648279
ビキニ調査船俊こつ丸、放射性降下物漂う海へ(国立医薬品食品衛生研究所小史第4号)
http://www.nihs.go.jp/nihs/history/syunkotsumaru_20120308.pdf
都立第五福竜丸展示館:ロボット人間の散歩道:So-netブログ
http://robotic-person.blog.so-net.ne.jp/2009-06-05-1
都立第五福竜丸展示館
http://d5f.org/
「第五福竜丸被災事件」の記録 スライド死の灰
http://city.hokkai.or.jp/~peaceweb/bikini/

出典:http://38sera.blog.so-net.ne.jp/2013-09-28-1 2013-09-29 00:14
ETV特集『死の灰と闘う科学者 三宅泰雄』ビキニ環礁水爆実験では被ばくした太平洋の汚染を誰がどう向き合ったか? [共生社会情報の風で権力の隠ぺいを打破し自由を]
The Kelly Family - Amazing Grace (paddy crying)~
http://www.youtube.com/watch?v=IoL5-TUat5o&feature=related
 【ショートクリップ】NHKスペシャル 被曝治療83日間の記録~
http://www.youtube.com/watch?v=u4RKFzzfHeg&feature=related
 東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故(原発関連)~(これだけでもぜひ、見たい)
http://www.youtube.com/watch?v=pYB58P3t_Hs&feature=related
東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・その2(原発関連)~
http://www.youtube.com/watch?v=DFyBq4sLRhU&feature=related
東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・その3(原発関連)~
http://www.youtube.com/watch?v=wg8qzdmA1Ew&feature=related
 本当に残念だが、凄いモレだ!これからは、被曝との戦いになる。

俳句など

2020-01-02 22:32:04 | 記録
木道に天使のはしご草紅葉 天使のはしごは、空気中に粒子が多いとでるとか
城跡に親子の雉の散歩道  秋田城跡には数番いの雉やカモシカが生息。
長寿箸キラー細胞活性化  ある条件で長寿スイッチが入り細胞は活性化。
華麗なる盤双六に禁止令  賭け事は、古代から止められない性癖に…

夜明け前日向水木が眼に滲みる 春を告げる花は黄色。
大聖堂復興祈る坐禅草     ノートルダム大聖堂の焼失に祈る。
鮮やかな赤に染上げ八重葎   志村ふくみさんは寺の八重葎を摘んで染色。
輝ける蜘蛛の囲へ向きご挨拶  蜘蛛は徐々に高く巣を張り大空に飛ぶ準備。
病魔来る戦いは今涅槃西風   疾病宣言に覚悟を決め、敵を知る対策準備。
夏戸建て風吹き抜ける京町屋  よしずの夏戸と簾に花茣蓙のシーツで避暑。
僧服の足元は靴秋彼岸     福井での禁止令に寺院側の対応策。
錦木のくれない散らす暴風雨  災害多発の昨今。樹木伐採の家々続出。