【日本刀は韓国が起源の嘘を暴く】
【韓国の主張】
韓国系移民が運営する武術道場では、韓国古来の剣が使用されています。刀剣職人のホン・ソッキョンらは、日本刀の技術が韓国から伝わったものであり、三国時代や朝鮮時代、日帝時代を経て多くの韓国の刀剣職人が日本に連行されたと主張しています。彼らは、韓国の伝統的な刀剣製作技術が世界的に優れており、日本にその技術が伝わっていると述べています。また、韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びに行く必要があるとも述べています。
【日本の反論】
韓国の伝統的な剣は、鉄鉱石から鋳造された両刃の直剣や片刃の「環刀」で、日本刀とは異なる製造方法と形状を持っています。17世紀以降、日本刀の形を模倣した「倭刀」が使われ始めましたが、これも製造方法は日本刀とは異なります。
日本刀の起源は古墳時代に遡ります。この時期の刀剣は直刀と呼ばれ、反りのない直線的な形状が特徴でした。これらの刀剣は主に権力の象徴として使用されていました。
平安時代後期になると、現在の日本刀の原型である湾刀が登場します。湾刀は片刃で反りがあり、戦闘に適した形状を持っています。この時期、日本刀は武器としての役割を強め、武士階級の台頭とともにその重要性が増しました。
鎌倉時代には、刀剣の製造技術が飛躍的に進歩しました。特に、相州伝と呼ばれる製法が開発され、折れにくく丈夫な刀が作られるようになりました。この時期の代表的な刀工には、正宗や粟田口吉光などがいます。
南北朝時代には、戦闘スタイルの変化に伴い、大太刀や大薙刀などの大型の刀剣が作られるようになりました。また、農民や商人も使用する短刀や槍などの需要が増加しました。
江戸時代には、平和な時代が続いたため、実戦での使用は減少しましたが、剣術の発展とともに日本刀の需要は続きました。幕末には再び刀剣の需要が高まり、多くの名刀が作られました。
明治以降、刀剣は武器としての役割を失いましたが、美術品や文化財としての価値が見直され、現在でも多くの刀匠が伝統技術を受け継いでいます。
日本刀は単なる武器ではなく、天皇や武士の権威の象徴、信仰の対象、美術工芸品としても重要な役割を果たしてきました。特に、徳川吉宗が編纂を命じた「享保名物帳」には、美術的価値や来歴に優れた刀剣が記録されています。
この様に日本刀は日本が起源で、韓国の主張は全くの捏造です。