猩々をやっていた頃のことを誰かに話したことはない。
ほぼ記憶から焼却してしまった。
ただ、忘れられないのは、あの明科の夜のこと、
そしてそれからの落ち窪んだ日々のことである。
5月に連盟の土蜘蛛があって、そのあと、その土蜘蛛を
小学生に見せるために長野県の明科に出張した。
そして明科に行った晩、先生と夕食を食べた。
何かしら先生から小言をもらうのは、昔からあったことらしいので、
それなりに心構えはしていたんだけど。
まあ「ヘタクソ!」とか「ダメだ!」とか言われるかなーと
思っていた。
そして、自分が言われた言葉は、「卑怯者!」だった。
土蜘蛛での地頭としての態度について、らしい。
ショックだった。なるほどね。はぁ、確かにほめられたものでは
なかったかもしれない。でも自分だけが悪いのか?
あと、結局それって4年間の評価ですよね。
4年間いろいろやってきたけど、1点の評価ももらえず
卑怯よばわりされて終わりか。
何だ、先生も表面しか見られないのか。先生の中で
自分は何の心もない卑怯者だったのね。
そう思ったら、今まで色々自分なりに頑張ってきたことが
バカらしくなっちゃって。もういいや、って気になった。
それは6月か7月だったけど、そこから11月まで気持ちは回復せず
消化不良で終わってしまった。
きっと先生は発破をかけるつもりで言ったのだとおもうけど、
それを受けとめられるほど自分は強くなかった。打たれづよいと
思っていたのかもしれないけど、そんなことはなかったし、
心折れるには十分だった。
そして折れてしまった心をどうすることもできず、
消えた火を再びつけることはできなかった。
自分の中ではいい思い出じゃない。積極的に忘れたい。
先生にお会いしてもなんともいえない気持ちになる。
とりあえず近くにはいないようにしようといつも思っている。
おそれと不信が半々ずつ、消えずに残っている。
※これは先生を誹謗するための文ではありません。
また自分を正当化するものでもありません。
ただあの頃の自分を率直に書いてみただけのものです。
ほぼ記憶から焼却してしまった。
ただ、忘れられないのは、あの明科の夜のこと、
そしてそれからの落ち窪んだ日々のことである。
5月に連盟の土蜘蛛があって、そのあと、その土蜘蛛を
小学生に見せるために長野県の明科に出張した。
そして明科に行った晩、先生と夕食を食べた。
何かしら先生から小言をもらうのは、昔からあったことらしいので、
それなりに心構えはしていたんだけど。
まあ「ヘタクソ!」とか「ダメだ!」とか言われるかなーと
思っていた。
そして、自分が言われた言葉は、「卑怯者!」だった。
土蜘蛛での地頭としての態度について、らしい。
ショックだった。なるほどね。はぁ、確かにほめられたものでは
なかったかもしれない。でも自分だけが悪いのか?
あと、結局それって4年間の評価ですよね。
4年間いろいろやってきたけど、1点の評価ももらえず
卑怯よばわりされて終わりか。
何だ、先生も表面しか見られないのか。先生の中で
自分は何の心もない卑怯者だったのね。
そう思ったら、今まで色々自分なりに頑張ってきたことが
バカらしくなっちゃって。もういいや、って気になった。
それは6月か7月だったけど、そこから11月まで気持ちは回復せず
消化不良で終わってしまった。
きっと先生は発破をかけるつもりで言ったのだとおもうけど、
それを受けとめられるほど自分は強くなかった。打たれづよいと
思っていたのかもしれないけど、そんなことはなかったし、
心折れるには十分だった。
そして折れてしまった心をどうすることもできず、
消えた火を再びつけることはできなかった。
自分の中ではいい思い出じゃない。積極的に忘れたい。
先生にお会いしてもなんともいえない気持ちになる。
とりあえず近くにはいないようにしようといつも思っている。
おそれと不信が半々ずつ、消えずに残っている。
※これは先生を誹謗するための文ではありません。
また自分を正当化するものでもありません。
ただあの頃の自分を率直に書いてみただけのものです。
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