こんにちは・・(^◇^)
柳生花ショウブ園に行って、東側にある八坂神社に・・(^◇^)
この神社は、元は奈良春日大社の第4殿比売大社を祀っていたんですが、1654年に柳生宗冬が八坂神社の祭神の分霊ををここに勧請して社殿を造営し八坂神社と改めたようですね。
手を合わせて拝んで、長い階段を上って、旧柳生藩陣屋跡に行ってきました・・(^◇^)
春には、桜の名所のようで今は殺風景なところでした・・(^◇^)
ところがこんなものがありましたよ・・(^◇^)
柳生石舟斎と十兵衛の写真用の人形がありましたね・・(^◇^)
そこを抜けると柳生公民館がありました・・(^◇^)
そこから5~600mほど行ったところにこんなものがありました・・(^◇^)
だけど、ここに至る道は昔の柳生街道だったんですね・・(^◇^)
この疱瘡地蔵には、悲しい願いが込められていたんですね・・(^◇^)
正長元年(1428年)以前の神戸4ヶ郷(大柳生、坂原、小柳生、邑地)の負債は一切なくなるということが書かれています。
正長元年の秋に近江に起こった一揆は、山城の国を経て、機内近辺に波及し徳政を要求したんですね。
大和では、大和の守護権を持つ興福寺が徳政令を出したんですね。
それをその疱瘡地蔵の右下に書き残したんですね。
だが字らしきものが書かれていましたが、読み取ることができませんでした・・(^◇^)
その帰り道にその道を見ると、石があり元の柳生街道だなあと思いました・・(^◇^)
その道を帰って、駐車場に向かうと・・(^◇^)
珍しいサボテンの花、コスモス、タチアオイと色々な花がありましたね・・(^◇^)
さらに、柳生花ショウブ園には、ショウブと違う花もありましたね・・(^◇^)
花に癒され、時代に翻弄された人の気持ちもわかったような気になって帰ってきました・・(^◇^)
明日も良い日でありますように・・(^◇^)