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Attention, please! Attention, please!
手前生国と発しますのは播州です。
播州、播州と申しましても晩秋ではございません!
揖保の糸でお馴染みの播州です。
加古川の水で産湯を使い、播磨灘で犬掻きをマスターいたしました。
私の性格は、この地域柄を反映?したものと言われております。
姓は HIMEJI NEW PAIN 名はBOHEMIAN なのに
人呼んで「ポメ・ゴロ」
ゴロをごろつきのゴロと誤解されますが、コロに濁点を付けられてしまった結果です。
家族は結構気に入っているようですが、他の人に名前を言うと必ず確認されてしまいます。
ゴロ兄もゴロ姉もそれぞれの車のナンバーは「56」です。
今後ともお見知りおき願います♪
と記載しましたが、本来ポメラニアンは愛玩犬です。
愛玩犬とは、一種のアクセサリーですね。
それ以上の要求を求めることは、本来、その犬種に持つ体質(性格)に矛盾することになることが多いと思うことがあります。
しかし、家庭内から一歩外の世界(社会)に連れ出す場合、本来持つその体質(性格)を制御しなければならないことも事実です。
pomeranian goro's room
![にほんブログ村 犬ブログ ポメラニアンへ](http://dog.blogmura.com/pomeranian/img/pomeranian88_31.gif)
ワールドドッグ図鑑(http://www.dogfan.jp/zukan/index.html)より
○ポメラニアン
愛犬家でこの犬種の名を知らない人はいない程にポピュラーな愛玩犬である。
ポメラニアンの祖先はアイスランドやラップランドの氷原でソリを曵いていた大型のスピッツ族サモエドである。
この大型スピッツがドイツに移入され牧羊犬、番犬として使用された。
スピッツはもともと体重が13kgもあったがドイツで使役犬として定着するに従って徐々に小型化して行く。
ドイツでは現在でもポメラニアンを「小型スピッツ」と呼んでいる。
小型スピッツは北ドイツのポメラニア地方で多く飼育されていたために、海外ではポメラニアンと呼ばれるようになった。
1888年イタリアを旅行したビクトリア女王にポメラニアン「マルコ」が贈られたが、マルコは体重が9kgあったと言われている。
19世紀以降ポメラニアンがヨーロッパ各地に紹介されるようになると、さらに小型のものが求められるようになり、ポメラニアンの小型化に拍車がかかる。
ポメラニアンは小さくなるに従って人気が高まり、かつてのソリ曵き犬が婦人向けの愛玩犬として脚光をあびる事になった。
ポメラニアンの小型化で最も重要視されたのは被毛の質と毛色であった。
北方動物は大型で白色が常である。
ポメラニアンも大型スピッツ時代はホワイト一色であったが、クリームが主流となり、一時的に茶色のセーブルが大流行して高値で取り引きされ、その後オレンジ色が作出された。
新色が出るごとに貴婦人たちが競って入手しようとした。
ポメラニアンが現在のサイズやタイプに定着したのはここ100年の事であり、20世紀に入って世界的な流行犬となったのである。
大型犬種を小型化する事により神経質な面が現れるが、我が国にはポメラニアンは「神経質」「好戦的」と言う風評が定着している。
日本で1950年代に流行し、かん高い声でよく吠えると言う悪評があったジャーマン・スピッツの系統である事も一因と思われる。
一般に室内で飼育される犬は家族以外の他人に過剰な警戒心をもちやすい事も原因と考えられる。
ポメラニアンは我が国でマルチーズ、ヨークシャーテリアと共に「愛玩犬の御三家」と称され急速に普及した犬種であり、需要増に対し無秩序な繁殖で応えた結果、好ましくない資質を固定してしまった事も否定できない。
日本では高度成長期に座敷犬の飼育ブームがおこり、ポメラニアンは事実上我が国のペットブームの幕開けを飾った犬である。
ブームの追い風を受けて利殖目的で参入した素人ブリーダーがまず手がけたのもポメラニアンの繁殖であった。
ペーパーボーンと言われる骨格の虚弱な犬や、サイズの過大など問題のある犬が市場に出回り、犬質の低下が嘆かれた。
ビクトリア女王はポメラニアンを特に愛好し、優良な系統をヨーロッパに普及させた功労者であると言われている。
女王は1891年の第1回のクラフト・ドッグショーに数頭のポメラニアンを出陳している。
女王が亡くなる際に枕元に呼ばれたのは「トーリ」と呼ばれるポメラニアンであった。
ヨーロッパに於けるポメラニアン人気は、まったくタイプの異なるペキニーズの出現によって下降し始める事になる。
ペキニーズをヨーロッパに紹介したのも同女王である。
ポメラニアンは小型で短胴、被毛は豊富で美しく開立し、尾はふさふさと巻き背中に負う。
素直で快活、知的で可憐な小型犬である。
○日本原産犬種
日本犬の祖先と考えられている犬は縄文犬である。
縄文犬の体格は、縄文遺跡から発掘される犬の骨格によって現在の柴犬程度であったと推定できる。
同時代の土偶を見る事によって、これらの犬が立ち耳で巻き尾、又は差し尾であった事が分かる。
これ以降、海外からの洋犬の移入によって交雑が進み、日本犬の形態は大きく変化して行き、絶滅への道を歩んだ。
昭和2年、日本古来の犬を復元、保存しようとする活動が始まり「日本犬保存会」が設立された。
幸いにも日本犬は有能な猟犬であり、日本各地の山岳地域で猟犬として使われていた。
数は少ないが純粋に近い日本犬を発見する事ができた。
日本犬の分類は大型、中型、小型と、サイズによって分類される。
唯一の大型が秋田犬で、柴犬は小型、その他の多くの日本犬は中型に分類されている。
日本犬は、かつては日本の各地方名を冠して呼ばれる事が多かったが、小型犬では混血によって地方犬種の特徴が失われ、単に「柴犬」と呼ばれるようになった。
中型犬に限って言えば、現在も地方ごとの特質を維持し、複数の犬種が原産地方を代表する犬として健在である。
【柴犬】
柴犬は日本古来から山岳地帯で獣猟犬として活躍していた小型の土着犬である。
東南アジアに分布したパリア犬の系統をくむ犬種で、北方系の秋田犬とはルーツを異にする。
我が国には先住民族とともに南方から渡来したものと考えられる。
猟犬としての柴犬は日本のほとんどの地域に分布していたが、交通の不便な山岳地方で長く純粋性を保つ事になった。
新潟、山梨、長野、岐阜、島根など地方ごとに異なる特質を持つ個体が知られていた。
幕末に日本を訪れたシーボルトは日本で3種の犬を見たと回想している。
「狩犬」「町犬」と「狆」の3種で、「町犬は外来種との雑種が多い。」「狩犬は長吻、立ち耳、短毛・・」と記述がある。
この「狩犬」こそが日本犬の源流である。
明治に入るとさらに多くの外来種が上陸し、日本の山岳部での狩りに洋犬が使われるようにもなり、在来種との交雑も進んだ。
昭和3年に日本犬の保護と質の向上を目的に「日本犬保存会」が設立され、昭和9年に「日本犬標準」が制定された。
「日本犬標準」は日本犬をサイズ別に大型、中型、小型と分類するもので小型にあたるのが柴犬である。
昭和11年に柴犬は天然記念物に指定されたが、地域開発が進む中、交通の発達による血液交流、さらに戦渦により純粋犬は壊滅状態となった。
戦後、柴犬再生の気運が高まり、やむなく産地の異なる柴犬を集め交配した事で、各地名を冠して呼ばれていた柴犬の特質がほとんど失われてしまった。
純度が高い事で知られた美濃柴(岐阜県産)や信州柴(長野県産)も確固たる系統を保つ犬が居なくなった。
残念な事に、近年の急激なペットブームに便乗して、立ち耳、巻き尾の小型犬を総称して柴犬と呼んだ業界の無節操な商魂が犬質の低下に追い打ちをかけた。
犬種名は、刈り取った柴の色に被毛色が似ている事から柴犬と呼ばれたとする説、柴の中を巧みにくぐり獲物を追った事に由来するとの説、シバとは「小さいもの」を意味する言葉で後に柴の文字をあてた、など諸説ある。
古くから日本の住環境になじみ、飼育しやすい事が柴犬最大の長所であるが、しばしば聞かれる「ペット飼育の入門犬」とする位置づけは間違っている。
柴犬は外貌上、性徴がはっきりしている事が要求される。
さらに心身のバランス(稟性)も重要で、いかに理想的な体形を示していても、精神的に欠点を持っていては柴犬本来の体形美の表現はできない。
柴犬は主人、家族に対して忠実で深い服従心をもち、大胆でありながら沈着で、かつ冷静な判断力を持つ日本犬である。
頑健な体躯にきびきびとした素早い動作がこの犬種の特徴である。
柴犬の本質は「素朴」にあり、素朴の中に「渋さ」を留める。
柴犬はまことに奥深い伴侶犬である。
日本犬保存会から脱会して「天然記念物柴犬保存会」を設立した人々は縄文遺跡から発掘された小型日本犬の姿こそ柴犬の理想であると主張して活動を続けている。
近年、海外、特にアメリカに於ける柴犬の人気は高まるばかりである。
無駄吠えが無い事やお尻の始末が良い事などにより、室内で飼育しやすい犬の上位にランクされ、文献によってはバセンジーと並び「吠えない犬」と紹介される例もある。
小型の愛玩犬や洋犬には見られない日本犬独特の「自立性」と、他人とは「距離をおく」柴犬の資質に賞賛をおくる海外の愛犬家も多い。
海外で柴犬は「東洋的な犬」として高い評価を受けており、熱心なブリーダーも増えている。
手前生国と発しますのは播州です。
播州、播州と申しましても晩秋ではございません!
揖保の糸でお馴染みの播州です。
加古川の水で産湯を使い、播磨灘で犬掻きをマスターいたしました。
私の性格は、この地域柄を反映?したものと言われております。
姓は HIMEJI NEW PAIN 名はBOHEMIAN なのに
人呼んで「ポメ・ゴロ」
ゴロをごろつきのゴロと誤解されますが、コロに濁点を付けられてしまった結果です。
家族は結構気に入っているようですが、他の人に名前を言うと必ず確認されてしまいます。
ゴロ兄もゴロ姉もそれぞれの車のナンバーは「56」です。
今後ともお見知りおき願います♪
と記載しましたが、本来ポメラニアンは愛玩犬です。
愛玩犬とは、一種のアクセサリーですね。
それ以上の要求を求めることは、本来、その犬種に持つ体質(性格)に矛盾することになることが多いと思うことがあります。
しかし、家庭内から一歩外の世界(社会)に連れ出す場合、本来持つその体質(性格)を制御しなければならないことも事実です。
![](http://ichioyaji.hp.infoseek.co.jp/goro-b.gif)
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ワールドドッグ図鑑(http://www.dogfan.jp/zukan/index.html)より
○ポメラニアン
愛犬家でこの犬種の名を知らない人はいない程にポピュラーな愛玩犬である。
ポメラニアンの祖先はアイスランドやラップランドの氷原でソリを曵いていた大型のスピッツ族サモエドである。
この大型スピッツがドイツに移入され牧羊犬、番犬として使用された。
スピッツはもともと体重が13kgもあったがドイツで使役犬として定着するに従って徐々に小型化して行く。
ドイツでは現在でもポメラニアンを「小型スピッツ」と呼んでいる。
小型スピッツは北ドイツのポメラニア地方で多く飼育されていたために、海外ではポメラニアンと呼ばれるようになった。
1888年イタリアを旅行したビクトリア女王にポメラニアン「マルコ」が贈られたが、マルコは体重が9kgあったと言われている。
19世紀以降ポメラニアンがヨーロッパ各地に紹介されるようになると、さらに小型のものが求められるようになり、ポメラニアンの小型化に拍車がかかる。
ポメラニアンは小さくなるに従って人気が高まり、かつてのソリ曵き犬が婦人向けの愛玩犬として脚光をあびる事になった。
ポメラニアンの小型化で最も重要視されたのは被毛の質と毛色であった。
北方動物は大型で白色が常である。
ポメラニアンも大型スピッツ時代はホワイト一色であったが、クリームが主流となり、一時的に茶色のセーブルが大流行して高値で取り引きされ、その後オレンジ色が作出された。
新色が出るごとに貴婦人たちが競って入手しようとした。
ポメラニアンが現在のサイズやタイプに定着したのはここ100年の事であり、20世紀に入って世界的な流行犬となったのである。
大型犬種を小型化する事により神経質な面が現れるが、我が国にはポメラニアンは「神経質」「好戦的」と言う風評が定着している。
日本で1950年代に流行し、かん高い声でよく吠えると言う悪評があったジャーマン・スピッツの系統である事も一因と思われる。
一般に室内で飼育される犬は家族以外の他人に過剰な警戒心をもちやすい事も原因と考えられる。
ポメラニアンは我が国でマルチーズ、ヨークシャーテリアと共に「愛玩犬の御三家」と称され急速に普及した犬種であり、需要増に対し無秩序な繁殖で応えた結果、好ましくない資質を固定してしまった事も否定できない。
日本では高度成長期に座敷犬の飼育ブームがおこり、ポメラニアンは事実上我が国のペットブームの幕開けを飾った犬である。
ブームの追い風を受けて利殖目的で参入した素人ブリーダーがまず手がけたのもポメラニアンの繁殖であった。
ペーパーボーンと言われる骨格の虚弱な犬や、サイズの過大など問題のある犬が市場に出回り、犬質の低下が嘆かれた。
ビクトリア女王はポメラニアンを特に愛好し、優良な系統をヨーロッパに普及させた功労者であると言われている。
女王は1891年の第1回のクラフト・ドッグショーに数頭のポメラニアンを出陳している。
女王が亡くなる際に枕元に呼ばれたのは「トーリ」と呼ばれるポメラニアンであった。
ヨーロッパに於けるポメラニアン人気は、まったくタイプの異なるペキニーズの出現によって下降し始める事になる。
ペキニーズをヨーロッパに紹介したのも同女王である。
ポメラニアンは小型で短胴、被毛は豊富で美しく開立し、尾はふさふさと巻き背中に負う。
素直で快活、知的で可憐な小型犬である。
○日本原産犬種
日本犬の祖先と考えられている犬は縄文犬である。
縄文犬の体格は、縄文遺跡から発掘される犬の骨格によって現在の柴犬程度であったと推定できる。
同時代の土偶を見る事によって、これらの犬が立ち耳で巻き尾、又は差し尾であった事が分かる。
これ以降、海外からの洋犬の移入によって交雑が進み、日本犬の形態は大きく変化して行き、絶滅への道を歩んだ。
昭和2年、日本古来の犬を復元、保存しようとする活動が始まり「日本犬保存会」が設立された。
幸いにも日本犬は有能な猟犬であり、日本各地の山岳地域で猟犬として使われていた。
数は少ないが純粋に近い日本犬を発見する事ができた。
日本犬の分類は大型、中型、小型と、サイズによって分類される。
唯一の大型が秋田犬で、柴犬は小型、その他の多くの日本犬は中型に分類されている。
日本犬は、かつては日本の各地方名を冠して呼ばれる事が多かったが、小型犬では混血によって地方犬種の特徴が失われ、単に「柴犬」と呼ばれるようになった。
中型犬に限って言えば、現在も地方ごとの特質を維持し、複数の犬種が原産地方を代表する犬として健在である。
【柴犬】
柴犬は日本古来から山岳地帯で獣猟犬として活躍していた小型の土着犬である。
東南アジアに分布したパリア犬の系統をくむ犬種で、北方系の秋田犬とはルーツを異にする。
我が国には先住民族とともに南方から渡来したものと考えられる。
猟犬としての柴犬は日本のほとんどの地域に分布していたが、交通の不便な山岳地方で長く純粋性を保つ事になった。
新潟、山梨、長野、岐阜、島根など地方ごとに異なる特質を持つ個体が知られていた。
幕末に日本を訪れたシーボルトは日本で3種の犬を見たと回想している。
「狩犬」「町犬」と「狆」の3種で、「町犬は外来種との雑種が多い。」「狩犬は長吻、立ち耳、短毛・・」と記述がある。
この「狩犬」こそが日本犬の源流である。
明治に入るとさらに多くの外来種が上陸し、日本の山岳部での狩りに洋犬が使われるようにもなり、在来種との交雑も進んだ。
昭和3年に日本犬の保護と質の向上を目的に「日本犬保存会」が設立され、昭和9年に「日本犬標準」が制定された。
「日本犬標準」は日本犬をサイズ別に大型、中型、小型と分類するもので小型にあたるのが柴犬である。
昭和11年に柴犬は天然記念物に指定されたが、地域開発が進む中、交通の発達による血液交流、さらに戦渦により純粋犬は壊滅状態となった。
戦後、柴犬再生の気運が高まり、やむなく産地の異なる柴犬を集め交配した事で、各地名を冠して呼ばれていた柴犬の特質がほとんど失われてしまった。
純度が高い事で知られた美濃柴(岐阜県産)や信州柴(長野県産)も確固たる系統を保つ犬が居なくなった。
残念な事に、近年の急激なペットブームに便乗して、立ち耳、巻き尾の小型犬を総称して柴犬と呼んだ業界の無節操な商魂が犬質の低下に追い打ちをかけた。
犬種名は、刈り取った柴の色に被毛色が似ている事から柴犬と呼ばれたとする説、柴の中を巧みにくぐり獲物を追った事に由来するとの説、シバとは「小さいもの」を意味する言葉で後に柴の文字をあてた、など諸説ある。
古くから日本の住環境になじみ、飼育しやすい事が柴犬最大の長所であるが、しばしば聞かれる「ペット飼育の入門犬」とする位置づけは間違っている。
柴犬は外貌上、性徴がはっきりしている事が要求される。
さらに心身のバランス(稟性)も重要で、いかに理想的な体形を示していても、精神的に欠点を持っていては柴犬本来の体形美の表現はできない。
柴犬は主人、家族に対して忠実で深い服従心をもち、大胆でありながら沈着で、かつ冷静な判断力を持つ日本犬である。
頑健な体躯にきびきびとした素早い動作がこの犬種の特徴である。
柴犬の本質は「素朴」にあり、素朴の中に「渋さ」を留める。
柴犬はまことに奥深い伴侶犬である。
日本犬保存会から脱会して「天然記念物柴犬保存会」を設立した人々は縄文遺跡から発掘された小型日本犬の姿こそ柴犬の理想であると主張して活動を続けている。
近年、海外、特にアメリカに於ける柴犬の人気は高まるばかりである。
無駄吠えが無い事やお尻の始末が良い事などにより、室内で飼育しやすい犬の上位にランクされ、文献によってはバセンジーと並び「吠えない犬」と紹介される例もある。
小型の愛玩犬や洋犬には見られない日本犬独特の「自立性」と、他人とは「距離をおく」柴犬の資質に賞賛をおくる海外の愛犬家も多い。
海外で柴犬は「東洋的な犬」として高い評価を受けており、熱心なブリーダーも増えている。
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