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ポメラニアンのゴロ[兵庫犬(神戸市)~石川犬(金沢市)~埼玉犬(さいたま市)~道犬(札幌市)]&ツバサ日記

祖先崇拝

2013年09月05日 | 閑話休題
○インターネット上で次の相談・回答がありました。
 そのまま引用します。

『家督相続(お墓、仏壇、位牌)について教えてください』

 私は関西地方の片田舎(兼業農家)で生まれて、高校卒業と同時に関東の大学に進学し、そのままこの地で就職をしました。実家を出てから、もう38年になります。
親族構成は、1年前に亡くなった実父、87歳の実母、兄弟姉妹は3人で、長男、長女、そして次男の私です。

 長男(実兄)家族は、10年前に病気で亡くなった実兄、義姉、3人の娘(既に嫁いでいて子供も居ます)。兄は亡くなる前から「家を継ぐ、継ぐ」と言いながらも、実家には入らず市内で家を建てて(親に建てて貰ったのかも知れませんが、分かりません)生活をしていました。
結局亡くなるまで実家には入らず、義姉は今も実家には住んでいませんし、娘3人も嫁いでしまって、兄家族は誰も実家を継いでいません。
しかしながら、兄の遺骨は実家のお墓に入っており、位牌も実家の仏壇と義姉の仏壇の中にそれぞれ有ります。お盆には義姉やその子供、孫たちは実家に有る兄のお墓に参っています。

 次女(実姉)家族は義兄(別の姓です)、実姉、1男2女で既にそれぞれは結婚をしています。

 そして、私の家族は関東地方で家を建てて、子供も2男2女いますがまだ未婚です。

 義姉は兄が生きている時から両親とは上手く行っておらず、今後も実家には入らないと言っており、財産も要らないと言っていますので、義姉が実家の後を継いでくれる事は、万一にも無いと思いますし、最近では「再婚でもして縁を切りたい」とも言っています。

 実姉は嫁いだ関係で家は継がないと言っていますが、亡くなった父親と今生きている母親を自分の家の近くの老人施設で世話をしてくれています。
また、義兄は定年退職(2年前)後は、月3回ぐらい実家に行って家屋や田畑の草刈などの世話をしてくれています。

 私の方は、関東に住んでいる関係で、頻繁には帰省が出来ませんが、母親が生きていますので、年に3回(正月、5月連休、夏休み)、5日間ぐらい母親を見舞ったりしながら実家に帰っています。

 実は私の家内と両親は以前に意見の衝突が有り、5年ほど前から不仲な状態です。
「意見の衝突」と言うのは、両親は兄家族に家を継いでもらいたかったのですが、それが無理とわかり、私に継いで貰いたいと父親が言ったのですが、家内は「既に生活基盤が関東に有り、兄の遺骨も入っているお墓や先祖代々の位牌の供養をするのは無理です」と言ったところ、父は「あなたはこの家の嫁の資格は無いね」と言ったために(その時は父親もお酒が入っていましたが)、それから以降は険悪な状態となり、父の葬儀以外は法要も含めて実家には行ってくれません。
私がその時に家内の肩を持っていたら、ここまでこじれなかったと今更ながら悔やんでいるのですが、今は家内に実家の話をすると非常に不機嫌になります。

 そのような事情の上で、下記の質問(相談)を致します。

 (1)今現在は実家近くに先祖からのお墓が有り、家には仏壇が有ります。家屋は義兄が身体が動く範囲で面倒を見てくれると思いますが、それ以降は手放す事になると思いますが、仏壇(位牌)はどうすれば良いでしょうか?
私の家内はこちらには持って来ないで欲しいと言います。

 (2)お墓は本家(私の実家)を中央にして、分家の2軒がその両側に隣り合わせになっていますので、物理的に移動は出来ません。仏壇の位牌(たくさん有ります)はお寺さん(実家は真言宗で或るお寺の檀家になっています)に預けて供養をして貰えるのでしょうか?

 (3)私は両親に生んでもらった事、大学まで行かせてもらった事など、数多くの恩が有るのですが、大学卒業後は当然の事ですが、親の援助(自己資金で持ち家を建てて、4人の子供達も大学まで出しました)は一切もらっていません。
私は実家の家督を継がなければならない義務・責任は有るのでしょうか?

 (4)実家は兄の代で閉じて、私はこの関東のこの地で新規にお墓を作り、自宅に仏壇を作るのは道理に反していますか?

 (5)「兄の代で閉じる」とは書きましたが、具体的にどうしたら良いのか判りません。何かアドバイスを下さい。

『回答』

 私の頭では、「お墓を守る」と言うのは、お彼岸やお盆のときにお墓に参って手を合わせる、お墓の掃除をする…

 それを「お墓を守る」とは言いません。
 そんなことは親類縁者なら誰でもすることです。

 「お墓を守る」とは仏壇や位牌とセットで、先祖の祭祀を主宰する責任者となることであり、同時にいずれは自分もその墓に入ることです。
 親をはじめとする先祖の回忌法要の年には、お寺や料理屋などと日時の打ち合わせをし、またお布施その他の支払義務を持つのが「祭祀継承者 = お墓を守る人」です。
 地震でお墓が倒れたり、長い年月の間に風化したりして、お墓の修理あるいは建て替えが必要となったとき、その費用を負担するのも祭祀継承者の責務です。
 一族郎党から集金するのではありません。
 火災や水害で仏壇をなくしたときも同じです。

 さらに、独身のまま亡くなった場合を除いて、兄弟姉妹が同じお墓に入ることは通常ありません。
 所帯を持った兄弟は、もう家族ではなく「近い親戚」に過ぎないからです。

 お墓は、株の方の2軒は跡取りが居ますので「掃除ぐらいはしてやるよ」と言ってくれており、義姉やその子供たちも必要なときにはお墓参りをすると思うし…

 いやいや、掃除や墓参りの問題ではなく、10年前に亡くなった兄の法事は誰が仕切ったのですか。
 法事の際のお布施は誰の名前で出したのですか。
 兄嫁か兄の息子どちらかでしょう。
 つまり、あなたのご実家のお墓と仏壇は、既に兄一家のものとなっているのです。

 その仏間で法要が出来ますが…

 どこでするかの問題ではなく、誰が主宰者 (施主という) となるかです。

 実家が無くなるとか人手に渡ると、当然として位牌をどこかに移動をさせないといけませんが…

 10年前に兄が亡くなって既にお墓に入っている以上、兄嫁または兄の息子のところへ持って行く以外の選択肢はありません。

 お寺にお願いして位牌を預かってもらい、先祖の何かの法要を行うときはそのお寺で行うということでしょうか?それを「永代供養」…

 永代供養とは、何十万か何百万かのお金を一度に用意して、後々の法要は一切お寺任せにしてしまうことです。
 自分たちは今後一切関わらないということです。

 「無縁仏」と言う言葉は大変キツイ言葉です。それだけは避けたい選択肢です…

 それを判断するのは、兄嫁とその息子の役目です。
あなたはいずれは自分で新たなお墓を用意して、あなたとあなたの奥さんや子供をそこら入れることになります。
 間違っても、実家の墓に入りたいなどと考えないように。

○祖先崇拝についてインターネットで調べてみました。

『祖先崇拝(ウィキペディアより)』

 人間がこの世に生まれるのに親、祖父母、曾祖父母などの存在が必要ではあるが、これらの人たちが、世界中の全ての社会において「先祖」として社会的に特別な意味づけをされている訳ではない。たとえ生物学的・遺伝的には辿ることができたとしても社会的には特別な役割や機能は果たしていない、としている社会は数多くある。

 出自集団との関連性[編集]「先祖」を社会的に意味づけする社会においても、生物学的・遺伝的に見て繋がりのある先行者が全て「先祖」と見なされている訳では必ずしもない。特定のタイプ、カテゴリーの人間を「先祖」としている。 祖先崇拝を行う社会において、「先祖」とされる人は、その社会の親族構造と関連性がある。すなわち父系社会においては、父方の生物学的先祖であった人が「先祖」とされるなど、崇拝する側の親族構造・社会制度、「先祖」とされる対象のヒエラルキー・システムに、相関性・関係性があるのである。

 日本の祖先崇拝は祖先の霊を祀り、崇拝する。日本では先祖のことを「ご先祖様」「ホトケ様」と言い、一般家庭で位牌を仏壇の中央にまつる慣習や、お盆や彼岸にこれらの霊をまつる行事が祖霊信仰に属する。なお、以下は主に日本における祖霊信仰について解説する。

◇家の墓の限界
 
 衆知のように、現在の墓制度は、徳川期の檀家制度によって寺に墓が集まり、明治期に家制度によって天皇制国家の確立を目指した政府が、明治三一年施行の民法で「系譜、祭具および墳墓の所有権は家督相続の特権に属す」と規定したことで、墳墓は「家の墓」として先祖代々を継承するものという考えの上に成立してきた歴史がある。ここに<家制度-墓-檀家制度-寺>という図式が成立し、寺の存在はこの図式なくして語ることができない。
 
 しかし戦後四十数年経過することにより、新憲法による男女平等や新民法による家制度否定といった意識が定着し、加えて経済的には豊かさの実現といった社会状況が、古い体質を引きずったままであった墓制度の問題点を表面化させるところとなった。具体的には高度経済成長期以降の人口移動の拡大が過疎過密を生み、先祖伝来の地で家の墓を守ることを困難にさせた。
 また女性の高学歴化、社会進出による自立志向が、晩婚、非婚、少子化、核家族化現象を押し進めるところとなり、家制度を実質的に成り立たなくし、ひいては家の墓の継承を難しくさせた。これらを背景に、これまで「家」という観念の中で不当な差別を受けてきた女性の側から、旧来の「家の墓」に対しても大きな問題提起が引き起こされている。
 
 こうして「家の墓」が揺らぐことで、これまで墓を人質ならぬ墓質のごとくにして、檀家制度に依存してきた寺が、その存続すら危ぶまれるところとなった。
都市寺院では、檀家の核家族化と居住地の拡散、高齢化が収入減を招き、この結果一部での高額な布施の要求となり、その姿勢が人々の寺離れを生むなど、葬式仏教としての寺が問われるところとなっている。
 一方過疎地で進む寺の崩壊は、寺の危機の顕著な例証で、文字どおり倒壊して柱だけが傾いて残る無残な本堂の姿を、各地で見ることができる。そこの周囲には必ずと言っていいほど放置された墓が草むらの中に散乱している。ここまで至らなくとも、寺の後継者が確保できない地方寺院の窮状は、各教団にとって今大きな問題となっている。

『’94妙光寺の夏ー老後の自立・死後の自立(雑誌SOGIより)小川英爾 日蓮宗新潟県角田山妙光寺住職』

◇家の墓の限界
 
 衆知のように、現在の墓制度は、徳川期の檀家制度によって寺に墓が集まり、明治期に家制度によって天皇制国家の確立を目指した政府が、明治三一年施行の民法で「系譜、祭具および墳墓の所有権は家督相続の特権に属す」と規定したことで、墳墓は「家の墓」として先祖代々を継承するものという考えの上に成立してきた歴史がある。ここに<家制度-墓-檀家制度-寺>という図式が成立し、寺の存在はこの図式なくして語ることができない。
 
 しかし戦後四十数年経過することにより、新憲法による男女平等や新民法による家制度否定といった意識が定着し、加えて経済的には豊かさの実現といった社会状況が、古い体質を引きずったままであった墓制度の問題点を表面化させるところとなった。具体的には高度経済成長期以降の人口移動の拡大が過疎過密を生み、先祖伝来の地で家の墓を守ることを困難にさせた。
 また女性の高学歴化、社会進出による自立志向が、晩婚、非婚、少子化、核家族化現象を押し進めるところとなり、家制度を実質的に成り立たなくし、ひいては家の墓の継承を難しくさせた。これらを背景に、これまで「家」という観念の中で不当な差別を受けてきた女性の側から、旧来の「家の墓」に対しても大きな問題提起が引き起こされている。
 
 こうして「家の墓」が揺らぐことで、これまで墓を人質ならぬ墓質のごとくにして、檀家制度に依存してきた寺が、その存続すら危ぶまれるところとなった。
都市寺院では、檀家の核家族化と居住地の拡散、高齢化が収入減を招き、この結果一部での高額な布施の要求となり、その姿勢が人々の寺離れを生むなど、葬式仏教としての寺が問われるところとなっている。
 一方過疎地で進む寺の崩壊は、寺の危機の顕著な例証で、文字どおり倒壊して柱だけが傾いて残る無残な本堂の姿を、各地で見ることができる。そこの周囲には必ずと言っていいほど放置された墓が草むらの中に散乱している。ここまで至らなくとも、寺の後継者が確保できない地方寺院の窮状は、各教団にとって今大きな問題となっている。




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