30歳を過ぎた
30歳という数字は
何か意味ありげな顔をして
私を見つめる
まるで
ここを人生のセーブポイントにして
人生の境界線を引いて
過去と未来を見据えろ
と言いたげな顔だ
そんな顔をしている
子供の時の年の重ね方のイメージは
0歳から今まで重ねてきた年月が
地層のように
ミルフィーユの層のように
一つも欠けることなく
一つも変わることもなく
普遍的な記念碑のように
その場所にしっかりとあって
記憶という引き出しに
ラベル付きで仕舞われている
と思っていた
今31歳を2月に迎えようとして
積み重ねてきた地層は
1年前のことすら
おぼろげになりつつある
5年前はもう
水平線の近くを航海する船のように
目をこらして見ても
船であること以外は何もわからない
その程度のものだ
過去は薄れていくのかもしれない
過去は
水平線の向こうに行ってしまった
それでいいのかもしれない
だから
今を大切にする意義を
人間は見出すのかもしれない
30歳という数字は
何か意味ありげな顔をして
私を見つめる
まるで
ここを人生のセーブポイントにして
人生の境界線を引いて
過去と未来を見据えろ
と言いたげな顔だ
そんな顔をしている
子供の時の年の重ね方のイメージは
0歳から今まで重ねてきた年月が
地層のように
ミルフィーユの層のように
一つも欠けることなく
一つも変わることもなく
普遍的な記念碑のように
その場所にしっかりとあって
記憶という引き出しに
ラベル付きで仕舞われている
と思っていた
今31歳を2月に迎えようとして
積み重ねてきた地層は
1年前のことすら
おぼろげになりつつある
5年前はもう
水平線の近くを航海する船のように
目をこらして見ても
船であること以外は何もわからない
その程度のものだ
過去は薄れていくのかもしれない
過去は
水平線の向こうに行ってしまった
それでいいのかもしれない
だから
今を大切にする意義を
人間は見出すのかもしれない