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(中学年は男女混合で、高学年は男女別で整列する1学期末の小戸小全校集会)
宮崎市立小戸小学校では今年度から男女混合名簿を採り入れたとのこと、毎日新聞の記事(9/4付:塩月由香記者)は以下のように報じている。
「これまで『男のくせに』『女のくせに』と言われたことはないですか」今年4月6日、宮崎市立小戸(おど)小学校の始業式。山口邦子教諭(53)が問いかけると、数人が手を挙げた。山口教諭は「これから男女一緒の名簿を使います。楽しい学校にしていきましょう」と呼び掛けた。
また、次のような地域の声もあったという。
千田洋一郎校長(59)は「地域住民から『我々の時代は何も問題にならなかった』『世論に同調し過ぎではないか』などの声が上がり、ギャップを感じた」と話す。
さらに校長によると、今月の運動会では以下のような取り組みをするとのことだ。
これまで運動会の入場行進や綱引き、リレーを男女別にしてきた9月の運動会については夏休み中に教職員で協議。行進を男女別、綱引きとリレーを混合にすることにした。「地域住民の方にいかに理解をしてもらうかは大切。学校と地域の溝ができないよう、十分に説明したい」
とにかく、学校は地域というものを神経質なほどに意識しているようだ。
校長がギャップを感じたという一部の地域の声は、以前からよく聞く話だ。
私たちがかつて混合名簿に取り組んだ際にも、そのような理不尽な反対論があった。
地域どころか教職員内部(前衛を標榜する政党を支持する組合員の反対が象徴的だった。)にさえジェンダーにとらわれた発想があって困惑したものだ。
特に義務制の学校の場合、地域を無視しては学校運営ができないと言われるほど密着度が高い。
往々にしてこの地域こそ草の根保守の根拠地だったりするものだが、校長をはじめ教職員側は正面切ってこれを批判することができないのである。
男女混合名簿がどれだけ彼ら(一部の地域住民)にダメージを与えるのであろうか?
はっきり言ってこれは地域を長年にわたって牛耳ってきた自民党を中心とする右翼政治の根底に流れる文化イデオロギーの問題である。
たかが名簿と言えども彼らのアイデンティティの根幹に触れることになるからであろう。
例え学校側がそんな次元でものを考えていなくても、彼らは変えられることが許せないのかもしれない。
しかし、これほど公教育を考え直す良いテーマはない。
学校って何なのか、地域って 何なのか? いやいやそれより、そこで生き育っていく子どもたちにとって大切なことは何なのか真剣に考えていく必要がある。
宮崎県の教育長をはじめ多くの当該関係者がこの問題に手をつけ始めた意味は大きい。
例えそこまで深く考えた上でなくても、実質的には教育の本質に触れる大切な視点を持っているからだ。
毎日新聞の塩月由香記者も鋭い感性を持って地域を取材してきたと思う。
新聞記事にする過程で整理部あたりが手を加えた(「地域に戸惑い」という文言等)であろうが、全体的には状況が読み取れ問題点が何かが読者の想像力を働かせる記事になっている。
人権教育においては既に定着した地域も少なくないが、地域差があるという「男女混合名簿」。
LGBTの運動の高揚が背景にあるかもしれないが、今この問題をあらためて考えてみる価値は十分にある。
<すばる>