江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

関東大震災と朝鮮人虐殺(7)

2019-01-23 | 随想
◆恐怖と報道

ですからね、この災害にあってね、地震で死んだり他に犠牲になって死んだ人もいました。
ただ恐怖のかたまり。  
やった人もね・・・。
焼け出された人も自警団をやったかというとね、おそらくそんなことやってる暇はないですよ。
焼け残った人たちがその一角を守ろうとした形じゃないですか。
ですから、考えようによってはね、自分たちの身を守ろうとする考えから始まったものであってね、・・・。
亡くなった方々はただ気の毒としか言いようがありません。


しばらく沈黙が続いた後、古老(Mさん)が静かにつづけた。

ただ地震による恐怖でもってね、私は悪夢としか言いようがありません・・・。


 最後に、当時のことを知らない人間に言っておきたいことは何か、と私は尋ねた。

正しい報道をよく確かめることですね。
その一語に尽きるんじゃないですか。
いい加減な流言飛語に惑わされないようにね。
だから、あの当時は何の報道もなかったから、皆のがやがや言うのを信じちゃったけどね。
これからは、報道が正しいからあんな惨たらしいことは二度と起きないと思いますけどね。


 Mさんが強調していた「正しい報道」がその後の日本社会に定着したかどうかはここでは問わないが、当時も今も日本社会の底流に潜む排外主義の思想がさせる技であることに相違はない。

そして更にこの時には、現体制を批判する人間や思想に対しても国家権力は容赦ない弾圧政策を貫いた。
大杉栄等のアナキストや社会主義者を監視し続け、繋がりのあった朝鮮人たちをも当然ながら危険視していたのだ。

 その意味では、朝鮮人虐殺は国家体制が生み出したものとも言える。
(つづく)

<M>






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