江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

学びは関係性で決まる ⑧

2017-11-29 | 随想
子ども同士の会話は、普段の日常生活ではとりとめのないことを話しているが、(これは大人も同様)授業の場では全く違うものに変わるから面白い。
しかし、教員が意図的に授業を組織しないと只のおしゃべりで終わってしまう。


さて、担任は各グループの代表が発表した内容を板書していくのだが、重複した内容は書かずに既に出た文言で確認していく。

最近では、個別にカードに書かせて子どもたち自身にグルーピングさせる方法等が一般化しつつある様だが、私はそれをあまり評価していない。
一見すると一人一人が主体的に学習している様だが、実は人間の思考なんてそうそう細切れにすることが出来ず、あっちこっちに行きつつだんだん一定のものにたどり着くのではないか…。
まさに、思考は試行錯誤でなされるものだと思う。

もっとも、このカードの方法も使い方次第ではものになるが、今までに見させていただいた多くの授業では、単に子どもたち自身が動いて作業してまとめたに過ぎない。
だから授業は淡々と進行し、あまり子どもたちの声も聞こえない。
これでは、何の面白みもない筋書き通りのドラマだ。

子ども同士が丁々発止としてやり合う「話し合い」の場が不可欠である。
だから、教員が必要なのだ。


では、この授業はその後どうなったか追っていこう。
子どもたちが出したのは、あくまでも「投票率が低くなった原因や理由」を予想したものである。
教員サイドに立つと、これらの予想を何らかの形で検証しなければならない。
型通りに進めるとしたら、ここで専門家の話を聞くとかそういう内容が示された印刷物等の資料が必要だ。
ところが、担任はそういう検証作業は行わず、子ども同士の話し合いに委ねようとした。

(つづく)


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