立春を過ぎて少し暖かくなってきたので、以前から気になっていた「三年坂」を訪ねてみた。
「三年坂」といえば、馴染み深いのは京都清水寺近くの三年坂だろう。
別名「産寧坂」とも呼ばれ、清水寺に安産祈願をする人が多かったからその名がついたとも言われる。
そんな「三年坂」だが、調べてみると東京23区内には6箇所の「三年坂」があることがわかった。
訪れた順に紹介しよう。(1~3は2月4日、4は6日)
1. 千代田区五番町の三年坂
JR中央緩行線市ヶ谷駅から四谷方面に向かう外濠の土手沿いの道から番長小学校方面に登るマンションに挟まれた坂道が「三年坂」と呼ばれている。
ちなみに、市ケ谷駅前から日本テレビ通りに登る坂道は「新坂」と呼ばれていて、江戸時代にはなかった道らしい。
坂の名前の表示には、もともと「三念寺坂」だったとの解説があります。
2. 新宿区神楽坂の三年坂(今は、別名の坂二つ)
JR飯田橋駅近くの新宿区津久戸町から神楽坂通りにあがる坂道。
現在は「本多横丁」との名前がついている。
「三年坂」と呼ばれていたのがいつごろまでなのかは、不明。
こちらは神楽坂を進んで、江戸川橋方面に下る坂道。
現在は「地蔵坂」と呼ばれ、表示もある。
余談だが、昔会議で訪れたラ・ポール日教済はこの坂の途中にある。
3. 千代田区霞ヶ関の三年坂
霞ヶ関の官庁街のど真ん中、財務省の横を、六本木通りから桜田通へ向かう坂道。
周辺には北から「霞ヶ関坂」「潮見坂」そして「三年坂」と同じ方向に坂道が並んでいる。
「栄螺尻」(さざえじり)「淡路坂」「陶山が関」など別名も多いとのことだ。
4. 港区麻布台の三年坂(消滅中)
残念なことに、消滅した(?)坂道。この坂があった港区麻布台一体は、数年前から再開発中で、現場にたどり着くことができなかった。
地形的には芋洗坂から流れる吉野川(赤羽川)の谷と北側の我善坊谷に挟まれた台地へ登る坂道だったようだ。
サイト「23区の坂道」にある写真を見ると、階段のあるかなり急な坂道だということが分かる。
こうした味わい深い起伏が、再開発で坂道ごと削られてしまうのは少々残念だ。
5. 杉並区成田西の三年坂 杉並区立杉並第二小学校と寳昌寺の間の坂道
そもそも、三年坂が気になったのは散歩の途中でこの看板にであったからだ。
三年坂は寺や墓の近くが多いらしい。
清水寺三年坂もそうだ。
この世とあの世を隔てるのが崖でそこをつないでいるとも言える。
おや、地元にも三年坂があったのかと思って読み進めたら、「転ぶと三年で死ぬ?どこかで聞いたような話だ。
おお!三年峠ではないか!」と思ったのだ。
「三年峠」(李錦玉作)は、朝鮮の民話として小学校国語の教科書に載っていた。
意外なところで朝鮮半島と日本の伝承の共通性にであってしまい、気になったのである。
三年峠では、知恵者がおじいさんを元気にさせるが、日本の三年坂にはそうした話はなさそうだ。
吉四六さんとか、一休さんとかが出てくる話になっても良さそうなのだが。
-K.H-
「三年坂」といえば、馴染み深いのは京都清水寺近くの三年坂だろう。
別名「産寧坂」とも呼ばれ、清水寺に安産祈願をする人が多かったからその名がついたとも言われる。
そんな「三年坂」だが、調べてみると東京23区内には6箇所の「三年坂」があることがわかった。
訪れた順に紹介しよう。(1~3は2月4日、4は6日)
1. 千代田区五番町の三年坂
JR中央緩行線市ヶ谷駅から四谷方面に向かう外濠の土手沿いの道から番長小学校方面に登るマンションに挟まれた坂道が「三年坂」と呼ばれている。
ちなみに、市ケ谷駅前から日本テレビ通りに登る坂道は「新坂」と呼ばれていて、江戸時代にはなかった道らしい。
坂の名前の表示には、もともと「三念寺坂」だったとの解説があります。
2. 新宿区神楽坂の三年坂(今は、別名の坂二つ)
JR飯田橋駅近くの新宿区津久戸町から神楽坂通りにあがる坂道。
現在は「本多横丁」との名前がついている。
「三年坂」と呼ばれていたのがいつごろまでなのかは、不明。
こちらは神楽坂を進んで、江戸川橋方面に下る坂道。
現在は「地蔵坂」と呼ばれ、表示もある。
余談だが、昔会議で訪れたラ・ポール日教済はこの坂の途中にある。
3. 千代田区霞ヶ関の三年坂
霞ヶ関の官庁街のど真ん中、財務省の横を、六本木通りから桜田通へ向かう坂道。
周辺には北から「霞ヶ関坂」「潮見坂」そして「三年坂」と同じ方向に坂道が並んでいる。
「栄螺尻」(さざえじり)「淡路坂」「陶山が関」など別名も多いとのことだ。
4. 港区麻布台の三年坂(消滅中)
残念なことに、消滅した(?)坂道。この坂があった港区麻布台一体は、数年前から再開発中で、現場にたどり着くことができなかった。
地形的には芋洗坂から流れる吉野川(赤羽川)の谷と北側の我善坊谷に挟まれた台地へ登る坂道だったようだ。
サイト「23区の坂道」にある写真を見ると、階段のあるかなり急な坂道だということが分かる。
こうした味わい深い起伏が、再開発で坂道ごと削られてしまうのは少々残念だ。
5. 杉並区成田西の三年坂 杉並区立杉並第二小学校と寳昌寺の間の坂道
そもそも、三年坂が気になったのは散歩の途中でこの看板にであったからだ。
三年坂は寺や墓の近くが多いらしい。
清水寺三年坂もそうだ。
この世とあの世を隔てるのが崖でそこをつないでいるとも言える。
おや、地元にも三年坂があったのかと思って読み進めたら、「転ぶと三年で死ぬ?どこかで聞いたような話だ。
おお!三年峠ではないか!」と思ったのだ。
「三年峠」(李錦玉作)は、朝鮮の民話として小学校国語の教科書に載っていた。
意外なところで朝鮮半島と日本の伝承の共通性にであってしまい、気になったのである。
三年峠では、知恵者がおじいさんを元気にさせるが、日本の三年坂にはそうした話はなさそうだ。
吉四六さんとか、一休さんとかが出てくる話になっても良さそうなのだが。
-K.H-