マンツーマン学習は良さもあるが、自ずと限界がある。
特に私の場合、学級という一かたまりの集団があってこそ可能な授業形態を常としてきたものだ。
それはいわゆる集団主義教育ではなく、小集団を活用しての話し合い活動を重視したコミュニケーション学習とも言えるものだ。
もっとも、コミュニケーション能力を育成する云々を主目標とするのではなく、共に表現・思考を積み重ねつつ自他の認識を高めることをねらったものである。
これは授業の形態だけに留まることなく、学級を運営していく際の気風として存在していたものだ。
私の授業の在り方からすると、彼女は他者と認識する相手が私という「先生」であるから、彼女は私を「先生」と「級友」という二つの存在として認識せざるを得ないし、私も同様に二つの役割を果たさなければならない。
話は横道に逸れるが、話し合い活動は二人という対話方式もあるが、私が実践してきた中では三人組による話し合いが最も効果的だった。
この三人での話し合いを基にしてクラス全体の話し合いに仕立てていくのが授業における一つの醍醐味であった。
その発想からすると、マンツーマン学習は欠けるものが多すぎる。
どうしても「先生」としての役割が多くなり、共に学ぶ「級友」には容易になれないのだ。
しかし、彼女は他の子に比べて半分程の授業時間しかないため、「先生」による一方的な教え込みもある意味で有効ではあった。
だから、教え込みと考える授業を組み合わせていたとも言える。
こうしたマンツーマン学習でグイグイ進んできた私たちであったが、ここに来て共にマンネリ感や閉塞感を感じつつあった。
ある日のこと、私の問いに対する彼女の答えが投げやりで中身の薄い内容だったので、「それでいいの⁉︎ もう他に何も考えることはないの⁉︎」と厳しく問い質した。
しばらく沈黙の時が流れた。
彼女の表情は暗くなり涙目になってきた。
身体は固まり切って動かなくなった。
この時、私はとっさに立ち上がり彼女に声をかけた。
「ねえ!ちょっと立ってごらん。」
「・・・・・?」
「今、体育館が空いてるから遊びに行こうか⁉︎」
「うん、いいの⁉︎」
「いいに決まってるじゃないか!◯◯ちゃんの学校だよここは!」
倉庫から縄跳びの縄を取り出して、二人で縄跳びを始めた。
「走って跳べるかな?」
「先生も一緒に走ろうよ!」
・・・・・・
「年寄りにあまり無理させるなよ!」
しばらく縄跳びを続けたら息づかいが荒くなり顔色も良くなった。
二人で顔を見合って(と言ってもマスク越しに)笑った。
たまたまその時間は彼女のクラスが運動場で体育の授業をしていた。
呼吸が整う前に彼女を誘い、外に出た。
しばらくすると、仲間が彼女に気が付き手を振る子がいた。
彼女はそれに応えて手を小さく振った。
こんなことは私が彼女と出会って以来初めてのことだった。
それまでは、教室に行くのはもちろん友だちに見られる事を極度に避けていた。
休み時間でも決して外へ出ようとはしなかったのに、この時は何の抵抗もなく出られた感じだ。
実は、この流れは私がとっさに立ち上がった際に考えていたシナリオだったのだ。
身体を動かして息が上がれば、緊張は緩和されるはずだ。
この時間に彼女のクラスが外体育に出たのは事前に分かっていたので、キーワードは「体育」と考えての行動だった。
この日はまだまだ彼女の行動に変化が見られた。
それまで給食は配膳されたものを受け取りに行っただけなのに、私に促されて初めて配膳の列に並んでもらったのだ。
未だ教室で一緒には食べるのは無理と言うので一階の別室まで戻ったが、「どう、緊張した?」と聞くと、「いや!ぜんぜん平気だったよ」との事だった。
そして、この日はその後の昼休み時間にも縄跳びで一緒にクラスの子たち数人と遊ぶことができたである。
次はクラスの授業に参加するのが目標だ。
(つづく)
<すばる>
特に私の場合、学級という一かたまりの集団があってこそ可能な授業形態を常としてきたものだ。
それはいわゆる集団主義教育ではなく、小集団を活用しての話し合い活動を重視したコミュニケーション学習とも言えるものだ。
もっとも、コミュニケーション能力を育成する云々を主目標とするのではなく、共に表現・思考を積み重ねつつ自他の認識を高めることをねらったものである。
これは授業の形態だけに留まることなく、学級を運営していく際の気風として存在していたものだ。
私の授業の在り方からすると、彼女は他者と認識する相手が私という「先生」であるから、彼女は私を「先生」と「級友」という二つの存在として認識せざるを得ないし、私も同様に二つの役割を果たさなければならない。
話は横道に逸れるが、話し合い活動は二人という対話方式もあるが、私が実践してきた中では三人組による話し合いが最も効果的だった。
この三人での話し合いを基にしてクラス全体の話し合いに仕立てていくのが授業における一つの醍醐味であった。
その発想からすると、マンツーマン学習は欠けるものが多すぎる。
どうしても「先生」としての役割が多くなり、共に学ぶ「級友」には容易になれないのだ。
しかし、彼女は他の子に比べて半分程の授業時間しかないため、「先生」による一方的な教え込みもある意味で有効ではあった。
だから、教え込みと考える授業を組み合わせていたとも言える。
こうしたマンツーマン学習でグイグイ進んできた私たちであったが、ここに来て共にマンネリ感や閉塞感を感じつつあった。
ある日のこと、私の問いに対する彼女の答えが投げやりで中身の薄い内容だったので、「それでいいの⁉︎ もう他に何も考えることはないの⁉︎」と厳しく問い質した。
しばらく沈黙の時が流れた。
彼女の表情は暗くなり涙目になってきた。
身体は固まり切って動かなくなった。
この時、私はとっさに立ち上がり彼女に声をかけた。
「ねえ!ちょっと立ってごらん。」
「・・・・・?」
「今、体育館が空いてるから遊びに行こうか⁉︎」
「うん、いいの⁉︎」
「いいに決まってるじゃないか!◯◯ちゃんの学校だよここは!」
倉庫から縄跳びの縄を取り出して、二人で縄跳びを始めた。
「走って跳べるかな?」
「先生も一緒に走ろうよ!」
・・・・・・
「年寄りにあまり無理させるなよ!」
しばらく縄跳びを続けたら息づかいが荒くなり顔色も良くなった。
二人で顔を見合って(と言ってもマスク越しに)笑った。
たまたまその時間は彼女のクラスが運動場で体育の授業をしていた。
呼吸が整う前に彼女を誘い、外に出た。
しばらくすると、仲間が彼女に気が付き手を振る子がいた。
彼女はそれに応えて手を小さく振った。
こんなことは私が彼女と出会って以来初めてのことだった。
それまでは、教室に行くのはもちろん友だちに見られる事を極度に避けていた。
休み時間でも決して外へ出ようとはしなかったのに、この時は何の抵抗もなく出られた感じだ。
実は、この流れは私がとっさに立ち上がった際に考えていたシナリオだったのだ。
身体を動かして息が上がれば、緊張は緩和されるはずだ。
この時間に彼女のクラスが外体育に出たのは事前に分かっていたので、キーワードは「体育」と考えての行動だった。
この日はまだまだ彼女の行動に変化が見られた。
それまで給食は配膳されたものを受け取りに行っただけなのに、私に促されて初めて配膳の列に並んでもらったのだ。
未だ教室で一緒には食べるのは無理と言うので一階の別室まで戻ったが、「どう、緊張した?」と聞くと、「いや!ぜんぜん平気だったよ」との事だった。
そして、この日はその後の昼休み時間にも縄跳びで一緒にクラスの子たち数人と遊ぶことができたである。
次はクラスの授業に参加するのが目標だ。
(つづく)
<すばる>