江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

コロナで憂鬱な成人の日に

2021-01-12 | 随想
 今日は成人の日だが、いささか変な気分だ。※

ニュースでは、コロナウイルス感染拡大で中止になった式典に参加できず「残念」な思いを吐露する新成人や、式典を実施した現場での様子などが報道されている。
ある意味でこうした予定通りのイベントは、マスコミにとってとても「オイシイ」ネタなのだろう。
どこに行けばどんなネタに出会うかおおよそ見当がつき、はしゃいでくれる新成人がいれば、インパクトのある映像も取れる。言ってみれば、若者たちは、行政・関係業者・マスコミの「結果的談合」の上で踊らされているといってもいいのではないか。


 成人の日とは、祝日法第2条によれば「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としているのだそうだ。
だが、これも「ちゃんと生きている姿を見せるおとな」がいてこそ、成り立つものではないだろうか。
少なくとも、100回以上嘘をついてもしれっと秘書のせいにする前首相や、国のリーダーであるにも関わらず、「まず、自助だ(=私を当てにするな!)」と言い放った総理大臣は、とてもじゃないが、若者の「手本」にはなるまい。

 だいたい自分が成人の日を迎えた頃は、行政主催の「成人の日式典」には、参加する気が全くなかった。
そう思っている仲間がごく希だということもなかったと思う。
今のように「成人式を楽しみに待つ」というのは、かなり違和感のあることなのだ。

そう思っていたら、コラムニストの小田島隆さん(ほぼ同年代)が、次のようなことを述べていた。

私がほとほと残念に思ったのは、多数派であることが事実上の正義として見なされるこの国の現状の変わらなさだった。
そうやって考えてみると、少なくとも私が新成人だった40数年前には、多くの若者(特に大学に進学した組の新成人)が参加を渋っていた成人式が、21世紀にはいってからこっち、盛況を極めるようになったことの意味も、おのずと違った意味をもってわれわれに迫ってくるはずだ。
 紙数の関係もあるので、今回のこのテキストの中で、現代の若者が成人式の参加に積極的になった理由を明らかにすることはできそうにない。
ただ、私は、成人式であれ、就職面接のためのリクルートスーツであれ、慰安旅行で社員が着る揃いの浴衣であれ、複数の人間が同じ一つのデザインのユニホームを着たがることや、バラバラな個人たちがより大きな集団に帰属したいと願う心情は、「団結」や「絆」や「友情」や「忠誠」を育む一方で、「分断」や「差別」や「排外主義」や「暴力衝動」の温床になるものだとも考えている。


 いかがだろうか。
一方で思うのは、この20年あまりで「2分の一成人式」なるイベントを学校でやるのが、一般化したことだ。
こうしたことも、若者たちに官製イベントへの違和感を抱かせないことに一役買ったかもしれない。

 さて、以下の文章は、成人式に関連したある出来事について2018年に組合の専門部のニュースに書いたものだ。
考えの参考になればと思う。

「晴れの日」事件に思うこと
 
 先月の成人式の日に、参加予定者の予約した振袖が届かない・着付けができないという事件が報道されました。
予約を受け付けていた「晴れの日」という会社が、立ち行かなくなっていたにもかかわらず、予約を受け付けていたことが原因とされました。
親としては、「わが娘の晴れの日に何たること」と思い、本人もショックを受けて当然とは思うものの、自分が二十歳を迎えた当時、行政主催の「成人式」への参加を露ほども思わなかった自分としては、「違和感」しかありません。
そもそも、「成人式」なのに、「親がかりで着飾る」ことに矛盾を感じないのでしょうか?

と言ったことを考えていたら、私たちの現場でも、気がかりなことに気が付きました。
ここ数年(いや、もっと前からかもしれませんが)小学校の卒業式で、卒業生の担任の衣装が華美になり過ぎているのではないかということです。
私がまだ、若かったころは、卒業式を前に保護者にも、「服装は、華美にならないように」とお願いしたものですし、せいぜい、ダークスーツを着るくらいだと記憶しています。

ところが、近年、男性教員(それも若い教員)が、羽織袴で卒業式に臨むことが珍しくないようです。
格差が拡大している中で、私たちの姿勢も問われると思うのですが、いかがでしょうか。 


-K.H-

※この投稿は2021/1/11(昨日)にされたものです。

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