9年前の今日、私たちは沖縄の辺野古新基地建設反対を掲げ、現地の闘争に連帯する東京東部地区反戦集会を挙行しました。
私たち江戸川区教組も10数名の組合員が墨田区の錦糸公園へ集まりました。
それは、ちょうど「戦後70年」を迎える節目の年でもありました。
以下にその時の様子を再掲します。
https://blog.goo.ne.jp/2012kyoubun/e/ef55f91159d819e846adbeb5d02ce610
この時から今日に至るまで辺野古をめぐる状況は何ら変わりません。
いや、あの美しい海が日本政府の強権政治により破壊され瀕死の状態に追い込まれています。
「オール沖縄」を掲げて島ぐるみで闘ってきた翁長雄志知事の強い意志と指導性は、私たち「本土」の人間たちを圧倒するものがありました。
自らは自民党員として沖縄県議会議員、那覇市長を務めてきた翁長さんは、当初は危険極まりない普天間米軍基地の返還のためには辺野古移設も容認していました。
しかし、最終的には軍事基地に寄りかかっていては県民の暮らしと安全は守れないと決断するのです。
知事選挙に出馬するに当たって掲げた基本的な考えは以下のようなものでした。(Wikipediaより)
・普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く求める。そして、あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせない。
・日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものである。
・米軍基地は、沖縄経済発展の最大の阻害要因である。基地建設とリンクしたかのような経済振興策は、将来に大きな禍根を残す。
この中でも示されているように、「日本の安全保障は日本国民全体で考えるべき」であるにもかかわらず、未だに日米安保に規定された軍事基地が沖縄県にのみ集中しているのです。
https://www.asahi.com/special/okinawa/handover50-japan-us/
敗戦後、間もない時期には米軍基地は全国に設けられていて沖縄のみに集中してはいませんでした。
地域住民による反基地運動もさることながら、日米両国による企みが現在の沖縄一点集中の姿になり果てました。
「本土」の人々が軍事基地を忌避するなら、沖縄の人々にとっても同様なのです。
この当たり前な感覚を私たち「本土」の人間は、どこまで共有してきたでしょうか・・・・。
翁長さん亡き後、玉城デニー知事に引き継がれ、今なお果敢に闘われていますが、「オール沖縄」の中にも分断がもたらされつつあります。
政府権力は沖縄県民の総意思として突き出しても、地方自治の精神を踏みにじり、司法までをも取り込んで一歩も妥協する姿勢を見せていません。
こうしたなりふり構わぬ権力のやり方に対する嫌気が、次第に諦めに変化する過程を作り出そうとしているのがよく分かります。
しかし、多くの沖縄県民は決して諦めることはないでしょう。
いや、諦めさせてはなりません。
そのために私たち「本土」の人間は今、重要な鍵を握っているのです。
沖縄の課題は、日本国の課題そのものです。
国政選挙ではもちろんのこと、各自治体の選挙においてもエネルギー問題と合わせて安全保障の問題として「沖縄」を重要な政策課題に取り上げるべきです。
パレスチナ・ガザ地区の悲惨な状況を傍観視できないのと同様に、沖縄の置かれた状況を他人事として見ていてはなりません。
私たち「日本人」全ての今日・明日の問題なのですから・・・。
<「沖縄」を見ずして「日本」を語るな!>
私たち江戸川区教組も10数名の組合員が墨田区の錦糸公園へ集まりました。
それは、ちょうど「戦後70年」を迎える節目の年でもありました。
以下にその時の様子を再掲します。
https://blog.goo.ne.jp/2012kyoubun/e/ef55f91159d819e846adbeb5d02ce610
この時から今日に至るまで辺野古をめぐる状況は何ら変わりません。
いや、あの美しい海が日本政府の強権政治により破壊され瀕死の状態に追い込まれています。
「オール沖縄」を掲げて島ぐるみで闘ってきた翁長雄志知事の強い意志と指導性は、私たち「本土」の人間たちを圧倒するものがありました。
自らは自民党員として沖縄県議会議員、那覇市長を務めてきた翁長さんは、当初は危険極まりない普天間米軍基地の返還のためには辺野古移設も容認していました。
しかし、最終的には軍事基地に寄りかかっていては県民の暮らしと安全は守れないと決断するのです。
知事選挙に出馬するに当たって掲げた基本的な考えは以下のようなものでした。(Wikipediaより)
・普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く求める。そして、あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせない。
・日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものである。
・米軍基地は、沖縄経済発展の最大の阻害要因である。基地建設とリンクしたかのような経済振興策は、将来に大きな禍根を残す。
この中でも示されているように、「日本の安全保障は日本国民全体で考えるべき」であるにもかかわらず、未だに日米安保に規定された軍事基地が沖縄県にのみ集中しているのです。
https://www.asahi.com/special/okinawa/handover50-japan-us/
敗戦後、間もない時期には米軍基地は全国に設けられていて沖縄のみに集中してはいませんでした。
地域住民による反基地運動もさることながら、日米両国による企みが現在の沖縄一点集中の姿になり果てました。
「本土」の人々が軍事基地を忌避するなら、沖縄の人々にとっても同様なのです。
この当たり前な感覚を私たち「本土」の人間は、どこまで共有してきたでしょうか・・・・。
翁長さん亡き後、玉城デニー知事に引き継がれ、今なお果敢に闘われていますが、「オール沖縄」の中にも分断がもたらされつつあります。
政府権力は沖縄県民の総意思として突き出しても、地方自治の精神を踏みにじり、司法までをも取り込んで一歩も妥協する姿勢を見せていません。
こうしたなりふり構わぬ権力のやり方に対する嫌気が、次第に諦めに変化する過程を作り出そうとしているのがよく分かります。
しかし、多くの沖縄県民は決して諦めることはないでしょう。
いや、諦めさせてはなりません。
そのために私たち「本土」の人間は今、重要な鍵を握っているのです。
沖縄の課題は、日本国の課題そのものです。
国政選挙ではもちろんのこと、各自治体の選挙においてもエネルギー問題と合わせて安全保障の問題として「沖縄」を重要な政策課題に取り上げるべきです。
パレスチナ・ガザ地区の悲惨な状況を傍観視できないのと同様に、沖縄の置かれた状況を他人事として見ていてはなりません。
私たち「日本人」全ての今日・明日の問題なのですから・・・。
<「沖縄」を見ずして「日本」を語るな!>