茨城県坂東市にある平将門の史跡巡りに行きました!「平将門の乱」ゆかりの地。
平安時代の武将、桓武平氏の一族で、一族の争いをきっかけに、関東八か国を支配した、自ら新皇を名乗り、
独立政権を打ち立てたが、平貞盛と藤原秀郷の連合軍にせめられ、そして流れ矢に当たった将門はあけなく死んでしまいました。
940年将門の乱
「國王神社」平将門の終えんの地とされている場所に建つ古い神社。
平将門を祀る。「國王神社」のご神殿。
将門の娘が刻んだ写真「寄木造平将門木像」をご神体としています。
「島広山,石井(いわい)営所跡」将門が政治や軍事の拠点とした場所。
「一言神社」は平将門ゆかりの神社で、石井の井戸の翁を祀った神社。
平将門の守護神
平将門の胴体が埋葬されたのが、この延命寺。
平将門が王城の地を探している時に老翁が現れ、その老翁が大石を持ち上げて地面に投げつけると、そこから水が湧いたとされる場所。
「石井(いわい)の井戸」将門ゆかりの伝説の井戸。
説明文によると、九重の桜は京都御所浦町の紫宸殿にある桜を根分けして移植したものと伝えられています。
東京都大手町「平将門の首塚」は有名ですが。しかし、のどかな日本の原風景が広がる、のどかな町▪茨城県坂東市を訪れて、 見てはいかがでしょうか?