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なくもの哲学と歴史ブログ

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西洋、東洋哲学
世界史、日本史
西洋神話

マルクスの「商品」

2023-09-28 11:33:00 | 西洋哲学

【商品】
 商品とは、私的な交換を目的とした「財」や「サービス」のことです。ただし、商品の価値は、品物それ自体には、あらかじめ備わってはいません。交換関係の中で、はじめて商品というものが成立しています。それは、商品が社会的なものだからです。

 商品と似たものに「富」と言うものがあります。マルクスは、商品と富は別物だとしました。富も、社会的な公共財です。例えば、森や水などの「自然」や、知識や技術などの「文化」も含まれます。社会の富は、資本主義社会の中では、商品としてあらわれました。ただし、すべての富が商品になるわけではありません。富には、お金で測れないようなものもあるからです。

【資本主義】
 資本主義社会は、商品のかたまりで出来ています。それは、商品経済を基盤とした、無限に膨張するシステムです。その中で、商品世界は、ますます広がります。市場でシェアを伸ばすことが出来るのは、競争力のある安い商品です。資本家は、商品を安くするために労働者そのものを安くしようとしました。商品とは、人間の労働によって作られた生産物「財やサービス」のことです。その価値は、その生産物を作るのに費やされた「労働の量」で決まります。労働の量とは、労働時間のことです。

【使用価値と交換価値】
 商品には「使用価値」と「交換価値」という二つの要素があります。使用価値とは、人の欲求を満たしたり、使って役に立つ有用性のことです。その有用性を「効用」と言います。使用価値とは、人の意味世界の中で、ある物が必要とされる度合いのことです。それは、主観的なものなので、他と比べることが出来きません。使用価値に対して、交換価値は、客観的に表すことが出来ます。交換価値とは、ある商品と他の商品とが交換される使用価値の「量的比率」のことです。それは、市場である物が必要とされる「度合」や「量」で測られます。

【商品の価値】
 商品の価値は、客観的に「数」で表すことが出来ます。ただし、それを単独で表すことは出来きません。価値は、他の物との「相関関係」で決まるからです。商品は、一定の比率でお互いに交換することが出来ます。価値とは、市場で他の商品と交換することが出来るかどうかです。その価値は、労力の「度合」で判断されます。なぜなら、手間暇をかけているものほど価値が上がるからです。商品世界の中では、交換価値は使用価値より優位に立ちます。交換というものが、貨幣を媒介して行われるようになると、交換価値は価格として表示されるようになりました。

【物神崇拝】
 貨幣とは、商品が姿を変えたものです。それは、商品関係の最高形態として、特殊な役割をもっていました。貨幣は、いかなる商品とも交換が可能です。市場において、貨幣は、他のすべての商品の価値を価格として表現することが出来ます。価格とは、交換価値を貨幣という一定量で表現したものです。資本主義社会では、商品と貨幣を万能の力を持つものとして崇拝しました。それを物神崇拝「フェティシズム」と言います。


マルクスの「プロレタリアート」

2023-09-26 22:09:00 | 西洋哲学

【プロレタリアート】
 産業革命後に生まれた都市の工業労働者のことを「プロレタリアート」と言います。プロレタリアートは、生産の機械化によって、その数が急増した賃金労働者です。彼らは、搾取されるだけの無産者階級でした。搾取とは、自分で働いた分が、自分のものにならないという意味です。労働者は、資本主義社会の中で圧倒的な多数を占めています。自由競争の中で、生き残るために発達したのが技術革新です。その技術革新が、工場の生産性を上げ、低コストで大量生産することを可能にしました。しかし、そこで問題になったのが、技術革新による「効率化」が、プロレタリアートの労働の価値を下げたことです。

【分業化】
 工場で働く労働者は、訓練された口答えをしない素人集団です。資本家の命令を聞く、従順な労働者になるために訓練されてました。労働者は、自分の労働を自分で決めることができません。ただ資本家の命令通りに働くしかない存在だからです。近代化により、工場の作業は、工程ごとに「分業化」され、マニュアル化されました。マニュアル化されれば、熟練した職人はいらなくなり、仕事は、誰にでも出来るものになります。そうした仕事は「年齢」「性別」「経験」などが、あまり関係なくなり、代わりはいくらでもいるものになりました。

【労苦】
 そのような単純労働は、生活手段を得るために行うものにすぎません。工場の機械の一部のように働かされ、仕事が苦痛なものになります。しかし、生計を立てるためには、どうしてもお金が必要でした。労働者は、自分の労働力を商品として資本家に売却しています。しかも、資本家の需要がなければ生活できませんでした。資本家の方も、労働者が死に絶えないように最低限度の生活は保証しています。何故なら、労働者がいなければ、資本家も自滅するからです。資本家が圧倒的に有利な立場にありますが、資本家と労働者は、相互依存関係にありました。

【労働】
 労働者は、過酷な労働へ縛りつけられています。しかし、逃げられない理由がありました。その理由の一つが、労働者が「自発的」に自分の労働力を資本家に売っていることです。建前上、強制的にやらされているわけではありません。そのため、労働者には、自分でその労働を選んだという負い目があります。その責任感から、仕事を途中で投げ出すことが出来ませんでした。もともと労働者は、生きるために必要な生産手段を持っていません。生きていくためには、自分の労働力を売り、賃金を得る必要がありました。仕事を辞められないもう一つの理由が、それを失ったら生きていけないと言う「恐怖心」です。

【労働者の団結】
 良い労働力になろうと、労働者間で競争をすると労働条件は悪化します。資本家によって、安い賃金で働らかされるからです。個人的利害に目を奪われると、労働者間の連帯感は失われてしまいます。そこでマルクスは、労働者が団結して資本家から資本を奪うべきだとしました。労働者は、資本主義社会の中では、搾取されるだけの存在です。しかし、その労働者こそが、支配階級として、政治の主人公になるべきだとしました。なぜなら、不平等な資本主義体制を壊さなければ、平等な民主主義が実現しないからです。

【資本主義】
 資本主義社会とは、絶え間ない利益の追求です。その中では、資本の力が社会を動かし続けています。資本とは、価値増殖の運動のことです。市場では、全てが交換可能な商品となります。商品とは、交換出来る力のことです。それは市場において、交換可能な価値として表示されます。例えば、物の値段などです。資本家は、儲けを拡大しようとします。そのため、資本主義社会とは、無限に膨張するシステムです。儲かった場合、次の事業に投資され、それが循環していきます。マルクスは、資本主義社会の労働者は、資本の循環運動の歯車にすぎないとしました。


吉本隆明の「共同幻想論」

2023-09-24 21:54:00 | 日本の思想

【共同幻想論】
 吉本隆明の「共同幻想論」は、全共闘世代の人たちに、熱心に読まれました。全共闘とは、学生運動のことです。共同幻想論には、幻想としての国家の成立過程が、描かれています。吉本隆明は、マルクスやフロイトの影響を受けており、その二つの思想によって、国家と個人の関係を再構築しようとしました。 共同幻想論では、人間関係を、3種類に分類しています。「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」の3つです。その3つは、相互に関係性がありました。

【個人幻想と対幻想】
 個人幻想「自己幻想」とは、自分一人だけで見る幻想のことです。それは、個人の内面の出来事なので、外部に表現されない限りは、他者に影響を及ぼすことがありません。そのため、個人幻想は、何者にも制約されず自由です。例えば、文学などの芸術は、個人幻想に当たります。それらは、日常的に起こる個人の内面の現象です。宗教も、個人の内側に収まる限りは、個人幻想になります。 

 対幻想「ついげんそう」とは、個人幻想と共同幻想の中間的な概念で、一対一の二人で見る幻想のことです。例えば「兄弟姉妹」「男女関係」「家族」などのプライベートな関係のことを言います。それは、擬似的な性関係とされますが、必ずしも肉体的な性交渉を伴いません。対幻想は、フロイトのリビドー論の影響を受けた概念だとされています。リビドーとは、本能的な欲望のことです。

【共同幻想】
 対幻想が、空間的に拡大されれば、やがて「共同体」になります。吉本隆明は、その共同体がさらに拡大して、国家が誕生したと考えました。家族という対幻想は、国家成立の起源とされています。例えば「死」「恐れ」「祭儀」などには、共同体を一つにつなぐ働きがありました。同じものを信じることによって、お互いに「共感」することが出来たからです。共同体を維持するには、人々が、ある「共通認識」を共有することが必要でした。人々が共同体に抱く幻想を「共同幻想」と言います。共同幻想は、3人から成立するもので、例えるなら、マルクスの上部構造のようなものです。

 吉本隆明は、国家の幻想性に注目し、対幻想が共同幻想化したときに国家が発生したのだとしました。国家とは、集団で見る共同幻想のことです。人々の集合的な想像力が、国家というフィクションを創造しました。「風俗」「宗教」「法律」などの共同体のシステムも共同幻想です。それが守られたり、流布されたり、慣習となっているところでは、どこでも共同幻想が存在しています。しかし、近年の個人主義の発達が、その共同幻想を解体させました。

【共同幻想と個人】 

 人間と人間の関係が、自分の考え方を束縛しています。他人との間で形成される価値観は、そもそも共同幻想にすぎません。人間とは、同調圧力などによって、思考が停止させられてしまうものです。強い共同幻想の前では、個人の考え方も固定化させられてしまいます。しかし、人間は、共同幻想なしでは生きられません。今まで、それを基準にして生きてきたからです。本来、共同幻想は、人間のために作られました。しかし、それが逆に人間を苦しめることもあります。



レヴィ・ストロースの「プリコラージュ」

2023-09-20 21:37:00 | 西洋哲学

【プリコラージュ】 

 レヴィストロースは、未開人の思考を「野生の思考」と名付けました。その野生の思考を、未開人の日曜大工的な器用仕事に例えたのが「プリコラージュ」です。プリコラージュは、未開社会の特徴的な思考方法でした。その語源は「ごまかす」や「つくろう」です。未開人は、あり合わせの素材を寄せ集めて、当面の生活に必要な道具を作っていました。プリコラージュは、現代の工業製品のような設計図のある量産的なものづくりでありません。つぎはぎ細工的な柔軟なものづくりです。例えば、ものが壊れた時は、自分で修繕します。プリコラージュとは、計画的ではなく、その場の状況に応じたモノ作りです。そのため、最初の意図と合わないこともよくあります。プリコラージュは「ゆらぎ」や「ズレ」を持っているため、常に次のものが作られました。 

 【具体の科学】 

 プリコラージュは、文明の「基層」に存在するものです。未開社会にも、近代科学と同様の「分類の論理」が働いています。西洋の学問は、体系化された「科学的思考」です。それに対し、プリコラージュは、西洋の学問ほど科学的ではありません。しかし、一種の学問的な思考をしています。プリコラージュは、概念ではなく記号を用いた思考法です。その手法を「具体の科学」と言います。具体の科学に対して、現代人は、抽象な概念を用います。概念とは、特定の用途に合うように、作り出された知的な道具のことです。そのため、正確で無駄がありません。概念に対して、記号は、日常生活にある動物や植物を用います。未開社会には、抽象的な概念が存在しませんでした。具体的な記号を用いて、世界を表現していたからです。 

 【臨機応変】 

 プリコラージュは、意図的に、何かを完成させようとする目標を持っていません。そのため、計画的ではありませんでした。それは、その場の状況に応じた既存の諸事物の組み合わせです。臨機応変な相関関係による意味づけで、新たな記号の配列が作り出されました。プリコラージュは、一貫しない断片の組み合わせです。しかし、結果的には、秩序が生み出されます。また、プリコラージュは、ちぐはぐな材料で、組み立てられた意味の総体です。   

 【神話】

 意味の総体の一つが神話という「世界観」です。世界観という枠組みは、集団的な信仰に基づいています。もし、世界観が無ければ世界を認識することが出来ません。世界観は、神話や宗教、または科学だったりします。それらには、共通のパターンがありました。ただし、それぞれの表現方法は違います。プリコラージュは、神話に特徴的な思考パターンです。その思考は、神話において働いています。感覚的に知覚した諸要素は、プリコラージュによって、関係性の中に組み込まれ、意味を持った神話に作り上げられました。神話とは、さまざまなエピソードの寄せ集めです。それには、いろんなバージョンがあります。そのため、一貫しているわけではありませんでした。



ピタゴラスの「天体音楽説」と「輪廻転生」

2023-09-13 21:26:00 | 西洋哲学

【ピタゴラス】
 ピタゴラスは、サモス島で生まれ、その後、イタリアに移住し「クロトーンの哲学者」と呼ばれました。その後、エジプトに遊学し、幾何学や宗教の奥義を学んだとされています。同時代の人物して有名なのが仏陀です。ピタゴラス自身は、著作を残しませんでしたが、弟子たちが思想を広めました。その思想は、プラトンの「イデア論」に受け継がれています。

【ピタゴラス教団】

 ピタゴラスは「ピタゴラス教団」という一つの団体を組織しました。その教団は、秘密の宗教教団だったとされています。そのため、内部の情報を外に漏らすことは、固く禁じられていました。ピタゴラス教団は、全体の利益のため、共同で資産を管理する「原始共同社会」だったとされています。教団員たちは、お互いに固い友情で結ばれ、禁欲的で清浄な生活を送っていました。教団には、魂の浄化のため、守るべき厳しい「戒律」「禁忌」があったとされています。そうした厳しい生活態度は、ピタゴラス的な生き方と呼ばれました。

【数】
 ピタゴラスは「3平方の定理」で有名な数学者です。数学を研究し「数」こそが、宇宙の基本的な構成要素で、恒常不変の本質だとしました。ピタゴラスは、数学を学ぶことによって、魂が浄化されるとしています。全ての数のうち、ピタゴラスが、最も神聖だとしたのが「10」です。10は「テトラクテュス」と呼ばれてます。テトラクテュスは「無限大」「始まりと終わり」「生と死」などの象徴です。10という数字は、14の基本的な4つの数の合計なので、9までの数字よりも、高い位が与えられました。10からは、新たに事物が始まるとされています。三角形を作る10個の点は、生命を生み出す創造力の象徴とされました。また、ピタゴラスは、音と数の比例関係に注目し、そこから、音階を発見したとされています。

【天体音楽説】
 ピタゴラスの根本思想は、均整と調和の理念です。宇宙には「コスモス」と呼ばれる、調和的に組織された秩序があると考えました。ピタゴラスの宇宙論は、地動説ではなく、天動説です。宇宙にある10個の天体が、各層の周りを回転するたび、調和的な音楽が流れるとしました。それを天体音楽説と言います。もし宇宙に音楽が流れているとすれば、人間は、その音楽を生まれながらに聞いているはずです。ただし、普通の状態では聞くことが出来ません。ピタゴラスは、理性によらなけらば、それを聞くことが出来きないとしました。また音楽も、魂を浄めるものだと考え、そこから、音楽療法を開発したとされています。

【輪廻転生】
 ピタゴラスは「輪廻転生説」を唱えました。全てのものは、変転するだけ、何一つ消滅するものはないと考えたからです。例えば、蝋は溶かされも、形が変わるだけで、蝋自体は無くなりません。 そのように、人間も死んだら生まれ変わるものだとしました。ピタゴラスによれば、魂は肉体という牢獄に閉じ込められた状態にあります。肉体というものは、欲望や感覚に支配された不浄なものです。それに対し、魂は純粋で自由なものとされています。魂は、死ぬことがなく、たとえ一つの住処を失っても、すぐに次の住処に移って生き続けるものだとされました。死後、魂は解き放たれ、いったん死者の国で浄められます。清められた魂は、再び地上に送り返され、別の肉体に宿るとされました。何度も繰り返される輪廻転生は「必然の輪」「運命の車輪」とも呼ばれています。ピタゴラスは、そこから脱することが、魂にとっての救いだとしました。また、この現世を来世のため訓練所だと位置付けています。