【明治維新】
明治維新とは、幕末から明治政府が成立するまでの一連の大改革のことです。まず徳川幕府は「大政奉還」によって、天皇へ政権を返上しました。その発表のことを「王政復古の大号令」と言います。それにより、徳川慶喜の政治的影響力はおさえられました。この時、新政府の基本方針を示したのが「五箇条の御誓文」です。明治政府は「経済の発展」と「軍事力の強化」によって近代的な国家をめざしました。それを「富国強兵」と言います。富国強兵を実現するための手段の1つが「殖産興業」でした。
【殖産興業】
殖産興業は、日本が発展する基礎となりました。産業発展のためにつくられのが「官営模範工場」です。官営模範工場は、もともと官営事業でしたが、その後民営になりました。例えば、群馬の「冨岡製糸工業」や福岡の「八幡製鉄所」などが官営模範工場です。冨岡製糸工業は、最新の蒸気で動く機械を導入して、生糸の生産や質を高めました。八幡製鉄所は、もともと日清戦争の賠償金で作られたものです。製鉄所では、主に石炭と鉄鉱石が使われます。石炭は、八幡村で採れましたが、鉄鉱石の方は、中国から輸入しなければいけませんでした。
【廃藩置県】
江戸時代の幕藩体制において、地方を支配していたのが藩主「大名」です。藩主は、土地と民衆を朝廷に返しました。それを「版籍奉還」と言います。版籍奉還によって、全ての藩が廃止され、代わりに府や県が置かれました。それを廃藩置県と言います。藩主は、知藩事となり、東京に住むことが命じられました。地方行政を担当するために、中央政府から府や県に派遣されたのが「府知事」や「県令」です。廃藩置県よって、中央集権的な国家が誕生し、国内の税収と統治が安定しました。江戸時代は、鎖国によって外国から孤立していたことで、比較的平和だったとされています。明治政府が、順調に中央集権化を進めることが出来たのは、もともと日本人としての民族や文化的な同一性が高かったからです。
【四民平等】
明治初期、身分制度が廃止され、皇族以外のすべての人々が、平等になりました。それを四民平等と言います。藩主や貴族「華族」も最終的には、平民となりました。庶民が名字を名乗るようになったのは、明治からです。身分がなくなったので、住む場所や「職業」や「結婚」までも自由に選択できるようになりました。
【文明開花】
明治時代に、暦を西洋と同じ太陽暦に変え、1日を24時間としました。正確な時刻というものを意識し始めたのは、この頃からだとされています。街にはガス灯が灯され、人々は洋服を着て歩きました。日本人が、洋風のものも食べるようになり、食生活が欧米化したのも明治からです。明治時代に整備されたものに、鉄道があります。1872年には、東京新橋~横浜間が開通しました。鉄道の別名を「陸蒸気」と言います。その材料は、イギリスから輸入していました。
【軍事】
明治時代、天皇が現在の皇居に住むようになり、首都が京都から東京に移りました。日本では、天皇が住む所が首都だとされています。明治政府は、天皇を頂点に据えた中央集権的な国家でした。そのため、軍隊も天皇のものだとされています。当時の日本は、西洋列強の脅威にさらされており、北のロシアとは緊張関係にありました。そのために置かれたのが開拓使です。当時の政府は、国を守るためにという名目のもとに、容易に国民を軍事に参加させることが出来ました。