【ヒトラー】
ヒトラーは、オーストラリアで生まれました。父は、暴力的で、母は、息子に甘かったとされています。ヒトラーは、画家を目指していましたが、まったく認められていませんでした。また、友人もいなかったとされています。ヒトラーには、一方的に自分の話ばかりを続ける癖がありました。そのため、嫌われていたとされています。そんなヒトラーに、人生の転機が、訪れたのは第一次世界大戦が始まったことです。第一次世界大戦では、故郷オーストリアではなくドイツ軍として参戦しました。ヒトラーは、危険な伝令兵として活躍し、充実した日々を送ったとされています。毒ガスで、一時的に失明しましたが、よく働いたので勲章をもらいました。
【政界へ】
ドイツは、第一次世界大戦に敗北しました。ヒトラーは、それをユダヤ人や社会主義者のせいにしたとされています。ドイツは、多額の賠償金や工場地帯を占拠されたことにより、経済的に困窮しました。ヒトラーが、政治家を志すようになったになったのは、そうした状況下です。そんな時、入党したのが極左政党「ナチス」です。ナチスは、正式名称を「国家社会主義ドイツ労働者党」と言います。ヒトラーは、演説が得意でした。その才能で、党内で頭角を表すことが出来たとされています。しかし、ミュンヘン一揆というクーデターで逮捕されました。法廷でさえ、自己宣伝の場所に利用して、聴衆を味方につけたとされています。ヒトラーは、五年の禁錮刑でした。ただし、面会や手紙も許されており、かなり自由だったとされています。獄中、口述筆記で、書かれたのが「我が闘争」という自伝です。
【総統】
ナチスは、選挙で圧勝し、第一党となりました。この時、誕生したのがヒトラー内閣です。ドイツでは、もともと大統領と首相は、別々の人物がやるものでした。それは、権力を分散させるためだとされています。しかし、ヒトラーは、大統領と首相を兼任し、総統と呼ばれました。そうして、独裁者になったとされています。ヒトラーは、非議会主義者で、何でも独断で決めました。
ナチスの思想を宣伝するために作られたのが「意志の勝利」というプロパガンダ映画です。ドイツ国民は、秘密警察「ゲシュタポ」によって監視され、ナチスに敵対する者は、次々と逮捕されました。特に、迫害されたのがユダヤ人たちです。ユダヤ人は、ゲットー「居住地域」に押し込められ、いろんなことが制限されました。例えば、公職から追放されたり、ドイツ人と結婚することを禁止されたりなどです。ナチスは、ドイツ国内では、ユダヤ人を大量虐殺しませんでした。そのため、一般市民は、その事実を知らなかったとされています。ちなみに、こうしたユダヤ人の虐殺には、軍事的なメリットはありませんでした。
【戦争】
一般的にヒトラーは、失業問題を解決したとされています。道路工事や建設事業などの公共事業によって、失業者を減らしたからです。それらによって、経済も回復したとされています。しかし、それは労働の名を借りた戦争の準備でした。ヒトラーは、戦争を求めており、そのための再軍備だったとされています。英仏などは、戦争を避けるため、それを黙認しました。なぜなら、ナチスが、ソ連への防波堤になると考えていたからです。ドイツが、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が開始されました。当初は、電撃戦という戦術で破竹の勢いだったとされています。ヨーロッパ各地を、次々と攻略し、大国フランスさえも占領したからです。イギリスは、かろうじて抵抗を続けていましたが、かなり苦戦していたとされています。もともとドイツは、ソ連と独ソ不可侵条約を結んでいましたが、ヒトラーが、それを破って侵攻を開始しました。通常、戦争の常識では、二正面の戦いは、タブーとされています。それでも当初は、順調に進撃していました。それを阻んだのが、➖25°の過酷な冬とぬかるみです。ドイツ軍は、徐々に押し返され、ソ連軍が、ベルリンに突入した時、ヒトラーは、敗北を悟って自殺しました。
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