なくもの哲学と歴史ブログ

哲学と歴史のブログです。
フォロバはします。気軽にフォローしてください。
西洋、東洋哲学
世界史、日本史
西洋神話

十字軍の遠征

2025-01-07 11:17:00 | 世界史

【十字軍】


 十字軍とは、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教のセルジューク朝トルコから奪還しようとした遠征のことです。遠征は、1113世紀にかけて7回ほど行われました。キリスト教が、エルサレムを聖地とするのは、イエス・キリストの墓があるとされていたからです。当時、セルジューク朝は、ビザンツ帝国の領土へ進出していました。ビザンツ帝国とは、東西に分裂した「東ローマ帝国」のことです。教会も、東の「正教会」と西の「ローマカトリック教会」に分かれ、両者は対立していました。対立した理由は、聖像崇拝を巡る考え方の違いだとされています。

 しかし、ビザンツ帝国「東ローマ帝国」は、そのローマカトリック教会に助けを求めました。当時、ローマ教皇だったのが「ウルバヌス2世」です。ウルバヌス2世は、クレルモン公会議で、十字軍の遠征を提唱しました。そこには、東西の教会を統一させようとする意図があったとされています。


【中世ヨーロッパ】

 中世ヨーロッパでは、封建制度の下、領主が荘園を営んでいました。その荘園で、働いていたのが農民たちです。農民は、全人口の90%以上を占めていたとされています。領主は、農民たちから、年貢を納めてもらうかわりに、護衛隊を結成し、外敵から守っていました。

 通常、荘園の次の領主となるのは長男です。次男は、たいてい教会の聖職者になっていました。しかし、3男は、何もすることがなく、ブラブラしていたとされています。そうした3男たちが、主に十字軍に参加しました。

 当時、社会問題となっていたのが、人口増加による土地不足です。そのため、ヨーロッパでは、新しい土地を求めるようになっていました。人口増加の原因は、農業技術の発達によって、生産力が向上したからです。


【経緯】

 土地不足だった西ヨーロッパ「ドイツ、フランス」の諸候や民衆たちは、十字軍を歓迎しました。この時、結成されたのが「聖ヨハネ騎士団」や「テンプル騎士団」です。彼らは、聖地エルサレム占領し、エルサレム王国などの十字軍国家を建てました。それを奪還したのが、イスラム教側のサラディンです。サラディンは、イングランドのリチャード1世と戦って、休戦協定を結びました。

 十字軍の物資補給を担当していたのが、ヴェネツィアの豪商たちです。彼らは、もともとビザンツ帝国と確執があったとされています。そのため、十字軍に、聖地エルサレムではなく、ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを占領させました。

 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、もともとイスラム文化に理解があったとされています。神聖ローマとは、現在のドイツのことです。フリードリヒ2世は、イスラーム教側と交渉し、エルサレムで、平和的に共存する道を選びました。しかし、悪魔と手を結んだとして、ローマ教皇からは破門されてしまいます。


【結果】


 最終的に十字軍は、エルサレムを奪還出来ませんでした。そのため、結果的に失敗だったともされています。しかし、何も得られなかったわけではありません。イスラム世界の進んだ文化を持ち帰ることが出来たからです。それによって、ヨーロッパの文化が発展しました。また、十字軍の遠征で、内陸の交通路も広がったとされています。

 ヨーロッパでは、十字軍の失敗によって、教会の権力が失われ、戦費がかさんだ領主も没落しました。代わりに、力を手に入れたのが、遠征を指揮した国王や、イタリアのヴェネツィア、ジェノバなどの商業都市です。

結果的に、国王の権力が強くなり、それが絶対王政のきっかけになったとされています。また、東西貿易が盛んになり、商人たちが莫大な富を築きました。なぜなら、商品を遠くへ運び、何倍の値段で売ったからです。


原人、ホモエレクトス

2025-01-06 11:25:00 | 世界史

【ホモ・エレクトス】

 170 - 180万年前、アフリカ東部で誕生したホモ・エレクトスは、アフリカを出てアジアでも繁栄しました。

ホモ・エレクトスとは「直立した人類」という意味です。北京市で発見されたホモ・エレクトスを「北京原人」インドネシアで発見されたものを「ジャワ原人」と言います。中国では、北京原人の化石を竜骨という漢方薬として使っていました。現在では、ホモ・エレクトスは、アジア人の祖先ではないとされています。そもそもは、ホモ・エレクトスは、人類「ホモサピエンス」の直接の祖先ではありません。ホモサピエンスと共通の祖先から枝分かれした別の種族だからです。ただし、同じホモ属には分類されています。ホモ・エレクトスは、隔離された地域で、独自の進化をとげました。ちなみに、現在では絶滅しています。


【火】


 ホモ・エレクトスは、もともと木の上で果実を食べていました。寒い時期に、その果実が減ったので、食べ物を求めて地上へ降りたとされています。主に「いちご」「ブドウ」「キノコ」「クルミ」「肉」などを食べていました。ホモ・エレクトスの脳容量は、猿人と旧人の中間くいで、現代人の75%だったとされています。比較的、知能が高かったので、さまざまな道具を生み出すことが出来ました。その一つが、握斧「ハンドアックス」という打製石器です。それを使って、他の動物が食べられないような殻が硬い木の実でも割ることが出来ました。そこから出てきたのが「でんぷん」の塊です。はじめホモエレクトスは、それを美味しいと思わずに食べていました。しかし、それを変えたのが火との出会いです。加熱調理によって、デンプン「ブドウ糖」の質を変化させ、おいしく食べられるようになったとされています。ちなみに、火は、暖をとるためにも使われました。火は、もともとは「火山噴火」「雷」などから発生したものを利用していたとされてます。後に木と木を擦り合わせて、自力でも起こせるようになりました。

 体内で、ブドウ糖が主に使われる場所は脳です。その脳は、最もエネルギーを必要とする臓器とされています。ホモエレクトスが、火を使い始めた頃、ブドウ糖を大量に摂取しました。そのため、神経細胞が増殖し、脳が二倍以上に巨大化したとされています。


【狩り】

 ホモエレクトスの身長は、150180cmで、現代人よりも頑丈な体だったとされています。その身体的特徴は、足がまっすぐ長く、体毛が薄いことです。そのことが長距離を走ることを可能にしました。ホモエレクトスは、走るのが得意な長距離ランナーだったとされています。動物は、たいてい体毛に覆われているので、体温をうまく下げることが出来ません。長距離を走ると、たいてい熱中症になってしまいます。ホモエレクトスは、もともと、死体漁りをしていました。しかし、長距離を走れるという特性を活かして、積極的に狩りをするようになったとされています。その狩りは、獲物が疲れるのを待って、熱中症に追い込むというやり方でした。

 ホモエレクトスは、日常的に栄養豊富な肉を食べたことで、脳が発達したとされています。知能がさらに高くなり、心も進化しました。思いやりの心が生まれ、介護もするようになったとされています。そうやって仲間との絆を強めたことで、生態系の頂点に立つことが出来ました。


人類と「牧畜」の始まり

2025-01-05 21:22:00 | 世界史

【牧畜】

 動物の家畜化は、肥沃なる三日月地帯で、始まったとされています。肥沃なる三日月地帯とは、現在の西アジア「シリア周辺」のことです。牧畜より少し前に、農耕が始まっていました。その農耕民族たちの一部が、余った作物で、家畜を飼育するようになったとされています。それを専業とする人たちが、営んだのが牧畜という生活スタイルです。牧畜を営む者にとっては、家畜が全財産でした。英語では、家畜を「ライブストック」と言います。ライブストックとは「生きた在庫」という意味です。牧畜社会では、その家畜を守らなくてはいけません。そのため、政府の力に頼らない自衛の文化が発展したとされています。牧畜を営む者は、常に定住しているわけではありません。季節や天候に応じて、家畜と共に移動する場合があるからです。そうした生活スタイルを遊牧と言います。



【家畜】

 牧畜とは、動物を再生産して、食糧を獲得する方法です。それ以前の狩猟採集生活では、再生産を目指していませんでした。ただ自然に生息している動物を獲って食べるだけだっただからです。人類は、野生動物を数千年の歳月をかけて、人に役立つように改良してきました。牧畜とは、その動物を家畜として、人為的に管理することです。

 家畜は、野生の生存競争からは解放されています。そうした、ストレスのない環境が、家畜特有のさまざまな色や形などの変化をもたらしました。例えば、家畜になると出てくるのが白毛です。通常、自然の状態では、白は目立ってしまいます。そのため、家畜に出来るような草食動物の中にはあまりいません。また、家畜は、あまり賢くないとされています。例えば、養鶏の脳は、野生の鶏よりも小さいからです。


【条件】

 家畜化出来る動物には、一定の条件があります。その一つが、群れで生活し、リーダーに従う習性があることです。そうした動物の方が、管理しやすいとされています。また、縄張りを共有出来る温厚な性格であることも重要です。一般的に、家畜化すると攻撃性は落ちるとされています。なぜなら、人間がそのように品種改良してきたからです。家畜化すると、コミュニケーション能力が高くなり、声を使って人からエサをもらおうとします。

 牧畜の目的は「ミルク」や「肉」という食料品や、衣服などの材料となる「皮」を手に入れることです。それらを得るため、家畜は、繁殖力があって、成長が早い方が良いとされています。農耕社会でも、フンが畑の肥料になるので、家畜がよく使役されました。一説では、人間も、自分自身を家畜化しているとされています。なぜなら、自分たちが決めたルールに従って生きているからです。


【種類】

 家畜となった五大哺乳動物「ビック5」は、もともと肥沃な三日月地帯で生息していました。五大哺乳動物とは「牛」「羊」「ヤギ」「豚」「馬」のことです。牧畜は、それらを使って農耕に向かない地でも営むことが出来ました。人類が、家畜化出来たのは1214種類の野生動物だけです。最初に家畜化されたのは、犬だとされています。ただし、犬は、狩猟のパートナーとして使われていたので、厳密な意味での家畜とは言えないかもしれません。9000年前、本当の意味で最初の家畜となったのが牛です。同時期には、豚が家畜になりました。豚とは、野生の猪を家畜化したものです。次いで6000年前、馬やロバが家畜化されました。哺乳類以外では、鶏が中国かインドで家畜化され、ローマに伝わったとされています。家畜は、人間の役に立つ動物です。しかし、弊害もありました。例えば、人に病気をうつしてしまうからです。もともと、はしかは、牛の病気で、天然痘は、ラクダの病気だったとされています。


人類と「農耕」の始まり

2025-01-05 11:21:00 | 世界史

【農業】

 人類は、もともと狩猟採集生活をしていましたが、約11000年前に農業を始めました。それより少し後に始まったのが牧畜です。農業によって、食糧を安定的に確保でき、保存も可能になったので、人口が爆発的に増えました。農業を始めたきっかけは、気候変動によって動植物が減少したからだとされています。そうした状況では、人類は、自ら食糧を作らなければ、生き残れませんでした。ただし、農業をしようという意図があったわけではありません。野生の植物を栽培していたものが、いつの間にか品種改良されて、それが農作物になったとされています。

 最初に、農作物となったとされるのが小麦です。野生の小麦は、実がほとんどなく、収穫量も少なかったので、もともとは貴重なものでした。本来は、特別なご馳走で、仲間意識高めたり、対立を避けるためのものだったとされています。そもそも小麦は、栽培するのにあまり手間がかかりません。そのため、農作物には向いていました。ちなみに、すべての植物が、農作物に出来るわけではありません。農作物に品種改良出来るものは、種類が限られているからです。


【分業と共同作業】

 農業には、環境破壊という側面がありました。なぜなら、自然を人工的に変えているからです。農業は、代々受け継がれるものなので、一度始めたらやめられないとされています。また、農業は、農地に依存するものです。そのため、一つの土地に定住するようになりました。定住生活から、集落が誕生し、それが国家の基礎になったとされています。農業によって「王様」「軍隊」「専門家」など、農業以外の職業の人も養えるようになりました。それが分業の始まりになったとされています。農業というものは、共同作業をするものです。彼らの関係を調節する役目を果たしたのが指導者「王」だとされています。その指導者の正当性の根拠となったのが宗教です。人々は、宗教という世界観を共有することで、一つになっていたとされています。それを目に見える宗教的なシンボルとして、建設したのが神殿です。


【農業の弊害】


 もともと食糧を蓄えることは、不作の時に、自分たちが食べるためだったとされています。それが、だんだん売るための農業に変わりました。余った農作物を交換可能な「富」にしたからです。富によって、貧富の差が生まれ、不平等な社会になってしまいました。

 農業に適した土地というものは限られています。その土地を巡って隣人とナワバリ争いをするようにもなりました。人類が、人殺しをするようになったのは、農業を始めてからだとされています。狩猟採集をしていた時は、槍や弓矢のような武器は、動物を狩るためのものでした。それが、敵を排除するため、人に向けられるようになったとされています。

 農業による弊害は、健康面にも出ました。安定的な食糧を得るため、過酷な長時間労働が強いられるようになったからです。農業は、前かがみの姿勢で作業をします。そのため、腰痛になりやすくなりました。また、農耕民族は、同じ場所に密集して住みます。そのことが「菌」や「ウィルス」による伝病病が広がるリスクを高めました。また、一つの農作物を主食としたことで、食べる物の種類が少なくなり、栄養が偏って、体が小さくなったとされています。社会的側面では、単一作物に頼ったことで、それが不作になった時、社会が崩壊する危険性が出ました。



狩猟採集民族とは

2025-01-04 11:26:00 | 世界史

【狩猟採集民族】


 人類は、その全歴史の99%以上を狩猟採集民族として生活してきました。その時代を旧石器時代と言います。ちなみに農耕が開始されたのは、新石器時代からです。狩猟採集は、牧畜や農業が開始されるまでの原初的な生活様式とされています。食物は「果物」「動物」「魚」などと多様でした。栄養バランスが良かったので、成人男性の平均身長が、1777cmと比較的高かったとされています。これと同じレベルになったのは、20世紀に入ってからです。ただし、現代人でもアジア系の人は、そこまで背が高くありません。

 狩猟採集民族の社会は、基本的にみな平等でした。地位に上下がなく、上に立つ者がいなかったからです。首長はいましたが、特権的な権力はなかったとされています。集団の意志決定は、全体の合議で決められていました。社会には、平等化するプロセスが働いており、常に横並びの社会が維持されていたとされています。


【平等】

 狩猟採集民族は、全員が狩りなどに出かける狩猟採集者だったとされています。ただし、性別による役割の区別はありました。男が、動物をとらえる狩猟で、女が、植物を集める採集を担当したからです。獲物の取り分は、とった人もとらなかった人も、なんでも、平等に分けられました。何も獲れなかった人が、獲物をもらっても特に感謝もしなかったとされています。なぜなら、分け合うのが当然だったからです。この平等に分けるという価値観は、社会的な知恵だったとされています。その方が、結果的に生き残れる可能性が高まるからです。狩猟採集民族は、集団で狩りをしていました。そのために、必要になるのが仲間同士の団結力です。その和を乱さないように、獲物を独占することは禁止されました。ただし、どうしても狩りの腕には、個人の力量の差が出てしまいます。しかし、狩猟採集民族の間では、たとえ優秀なハンターでも、特別扱いされることがありませんでした。


【自然】

 狩猟採集民族は、仕事と生活の区別がなく、それらが一体化していた未分化な社会だったとされています。その仕事も、分業化されておらず、現在のように長時間労働ではありませんでした。狩りや採集というものは、食糧というエネルギー源を獲得すると同時に、自分のエネルギーも消費する行為です。そのため、うまく休息をとりながやった方が効率的だとされています。それは、動物も同じす。また、集団の全員が一斉に仕事を行うわけではありません。働いているのは、全体の65%だったとされています。

 狩猟採集民族は、生態系の一つの要素として、自然と完全に調和していました。狩りでも、必要以上に殺生することがなく、剰余食物が出ることがなかったとされています。狩猟採集民族には、食糧を貯蔵するという習慣がありませんでした。大昔は、獲物がたくさん生息しており、人口も少なかったので、蓄える必要がなかったからです。そのため、その日暮らしの不安定な生活だったとされています。