【十字軍】
十字軍とは、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教のセルジューク朝トルコから奪還しようとした遠征のことです。遠征は、11~13世紀にかけて7回ほど行われました。キリスト教が、エルサレムを聖地とするのは、イエス・キリストの墓があるとされていたからです。当時、セルジューク朝は、ビザンツ帝国の領土へ進出していました。ビザンツ帝国とは、東西に分裂した「東ローマ帝国」のことです。教会も、東の「正教会」と西の「ローマカトリック教会」に分かれ、両者は対立していました。対立した理由は、聖像崇拝を巡る考え方の違いだとされています。
しかし、ビザンツ帝国「東ローマ帝国」は、そのローマカトリック教会に助けを求めました。当時、ローマ教皇だったのが「ウルバヌス2世」です。ウルバヌス2世は、クレルモン公会議で、十字軍の遠征を提唱しました。そこには、東西の教会を統一させようとする意図があったとされています。
【中世ヨーロッパ】
中世ヨーロッパでは、封建制度の下、領主が荘園を営んでいました。その荘園で、働いていたのが農民たちです。農民は、全人口の90%以上を占めていたとされています。領主は、農民たちから、年貢を納めてもらうかわりに、護衛隊を結成し、外敵から守っていました。
通常、荘園の次の領主となるのは長男です。次男は、たいてい教会の聖職者になっていました。しかし、3男は、何もすることがなく、ブラブラしていたとされています。そうした3男たちが、主に十字軍に参加しました。
当時、社会問題となっていたのが、人口増加による土地不足です。そのため、ヨーロッパでは、新しい土地を求めるようになっていました。人口増加の原因は、農業技術の発達によって、生産力が向上したからです。
【経緯】
土地不足だった西ヨーロッパ「ドイツ、フランス」の諸候や民衆たちは、十字軍を歓迎しました。この時、結成されたのが「聖ヨハネ騎士団」や「テンプル騎士団」です。彼らは、聖地エルサレム占領し、エルサレム王国などの十字軍国家を建てました。それを奪還したのが、イスラム教側のサラディンです。サラディンは、イングランドのリチャード1世と戦って、休戦協定を結びました。
十字軍の物資補給を担当していたのが、ヴェネツィアの豪商たちです。彼らは、もともとビザンツ帝国と確執があったとされています。そのため、十字軍に、聖地エルサレムではなく、ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを占領させました。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、もともとイスラム文化に理解があったとされています。神聖ローマとは、現在のドイツのことです。フリードリヒ2世は、イスラーム教側と交渉し、エルサレムで、平和的に共存する道を選びました。しかし、悪魔と手を結んだとして、ローマ教皇からは破門されてしまいます。
【結果】
最終的に十字軍は、エルサレムを奪還出来ませんでした。そのため、結果的に失敗だったともされています。しかし、何も得られなかったわけではありません。イスラム世界の進んだ文化を持ち帰ることが出来たからです。それによって、ヨーロッパの文化が発展しました。また、十字軍の遠征で、内陸の交通路も広がったとされています。
ヨーロッパでは、十字軍の失敗によって、教会の権力が失われ、戦費がかさんだ領主も没落しました。代わりに、力を手に入れたのが、遠征を指揮した国王や、イタリアのヴェネツィア、ジェノバなどの商業都市です。
結果的に、国王の権力が強くなり、それが絶対王政のきっかけになったとされています。また、東西貿易が盛んになり、商人たちが莫大な富を築きました。なぜなら、商品を遠くへ運び、何倍の値段で売ったからです。