なくもの哲学と歴史ブログ

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エンペドクレスの四元素と二つの力

2025-02-05 19:44:00 | 西洋哲学

【エンペドクレス】

 エンペドクレスは、エレア学派の「有」とヘラクレイトスの「成」を結合しようとしました。有とは「存在」のことで、成とは「生成」のことです。エンペドクレスは、シチリアのアラガス出身で、職業は「自然学者」「医者」「詩人」「弁論家」「予言者」「魔法使い」だとされています。自らを神から追放された者とし、死すべき者ではなく、不死なる者として、地上を徘徊しているとしました。


 【愛と憎】  

 エンペドクレスは、世界には二つの力があるとしました。万物を集合させる「統一原理」と、一つのものを解体させる「分割原理」です。統一原理は「愛」、分割原理は「憎」とも言います。エンペドクレスは、この愛と憎が、世界を動かしているとしました。愛とは、分散していたものが、お互いに相求め一か所に集って、一つになろうとすることです。逆に憎「争」は、一つのものをバラバラに解体することだとされています。エンペドクレスは、この二つの力が、宇宙のあらゆる現象「出来事」を操っているとしました。


 【四元素】  

 憎によって分解されたものは、最終的に「四元素」というものに還元されます。四元素とは「土」「水」「空気」「火」のことです。それらが、万物の構成要素とされています。エンペドクレスは、四元素が、お互いに他から生じることがなく、他のものになることもないとしました。また、それらは消滅することがなく、永遠に存在するともされています。その元素を循環させるのが、愛と憎という力です。

 エンペドクレスは、個々の動物は、元素の混合のされ具合で区別されているとしました。それは、人間も例外ではありません。生物は、それぞれに名づけられた、単なる元素の混合物にすぎないとされています。それらは、生きている限り、特定の元素の状態を保とうとするものです。エンペドクレスは、生物の死も、生成の循環過程における内部の変化にすぎないとしました。死とは、一つの生物を構成していた元素が、解体されることにすぎないからです。



 【時間】 

 エンペドクレスは、変化とは、四元素が場所を変えることだとました。四元素は「混合」と「分離」をしながら断えず場所を変えるので、少しもひと所に留まることがないとされています。変化とは、つまり生成の過程のことです。それは時間とも言います。その時間が回転することで、それぞれの元素の位置が交互に替わりました。永遠の時間の中で「愛」「憎」「元素」は、どれも欠けることがありません。また、それぞれに異なる役目と性質を持っているとさています。それらの力は、等しく、年齢も同じだとされました。

 


 【生成と無】

 エンペドクレスは、万物が、まったくの無から創造されたものではないとしました。また無と言う、完全に静止した状態になることもないとしています。しかし、浅はかな者は、無から何かが生じ、何かがなくなれば無に帰したと思い込んでるとしました。それは物事の表面にしかすぎません。なぜなら、まったく何もない状態から、何かが生まれることや、有ったものが、まったくの無になるということも考えにくいからです。

 エンペドクレスは、この世界は、常に生成しており、輪をなしていつでも存在していたとしました。存在とは、絶えず繰り返される元素の混合と分割のことだからです。エンペドクレスは、生成の順序は、必然「運命」によって決めらているとました。なぜなら、すべての生成は、一つのものとして、全体が協働して起こるからです。その時期が来れば、それぞれの出来事が起こるとされています。






ヘーゲルの「弁証法」

2024-12-04 21:34:00 | 西洋哲学

【弁証法】

 一般的に、弁証法は、対立している意見を、より優れた意見によって結論に導く時に使われます。ヘーゲルは、世界の変化や発展の過程を本質的に理解するために、弁証法という「方法」を用いました。弁証法は「対話的」「問答的」な思考法とされています。そのため、相手「対象」がいることが前提です。

 すべてのものは、自分のうちに「矛盾」を含んでいるとされています。ヘーゲルは、その矛盾が発展の「条件」になるとしました。「対立項」の「矛盾」を「明確化」させ、それを「解消」することで、より高い段階へ、発展させることが出来ると考えたからです。その際、どちらも否定せずに統合しなくてはいけません。なぜなら、単なる一方的な批判では、発展しないからです。弁証法は、一つの大きな運動だとされています。ヘーゲルは、歴史も弁証法的に発展してきたと考えました。


【三段階】

 弁証法は「①定立」「②反定立」「③統合」と三段階に発展します。その最初の「肯定的」な判断の段階を言語で表したものが定立です。定立は「テーゼ」「提題」「命題」「題目」などともいいます。その定立を否定する段階が反定立です。反定立は「アンチテーゼ」や「反対命題」などとも言います。その際、相手の意見を肯定しつつ、否定しなくてはいけません。なぜなら、一方的な意見では、ヘーゲルのいうアンチテーゼにならないからです。ただし、一般的にアンチテーゼは、ただの反対意見という意味でよく使われています。ヘーゲルは、アンチテーゼを、相手を否定するためではなく、より良い意見に導くための一つの過程だとしました。定立と反定立という二つの意見を結合した結果が「統合」です。統合は「ジテーゼ」「統合命題」「合」などとも言います。


【アウフヘーベン】

 ヘーゲルは、弁証法という方法によって、対立を通じて、意見を一段階高く持ち上げ、より高い次元で統一することを「アウフヘーベン」と名付けました。日本語で、アウフヘーベンは、止揚「しよう」や揚棄「ようき」などとも言います。止揚「しよう」や揚棄「ようき」と言うのは「揚」という字には「あげる、あがる」という意味があるからです。

 アウフヘーベンには①「捨てる」②「保持する」③「高く持ち上げる」という三つの意味があります。「捨てる」と「保持する」という、お互いに相反する意味を持つのは、思考が発展する段階的な「過程」を表現した言葉だからです。相反するものが必要なのは、悪い部分を省き、二つの意見のそれぞれの良い部分取り入れて、より良いものにするためだとされています。


ライプニッツの「モナド」

2024-12-04 19:40:00 | 西洋哲学

【モナド】

 ライプニッツは、この宇宙を説明するため、原子論を批判して「モナド」という概念を使いました。モナド「単子」とは、それ以上分割出来ない不可分な「形而上学的」な点だとされています。形而上とは、具体的な形のない非物質的なもののことです。モナドは、単一な個体的実体とされるので、部分というものがありません。実体とは、それが存在するために他のものを必要としないもののことです。ライプニッツは、モナドこそが真の存在だとしました。モナドは、点なので、延長「拡がり」というものがないとされています。

 ライプニッツは、この宇宙は、モナドの総和だとしました。モナドは、一つ一つ質的に異なります。そのため、世界にまったく同じものは存在しません。モナド同士は、相互に「作用」することがないとされています。ライプニッツは、それをモナドは「窓を持たない」と表現しました。窓とは、そこから物が出たり入ったりするという意味です。


【モナドの二つの属性】

 

 モナドには①「欲求」と②「表象」という二つの属性があるとされています。欲求とは、ある状態から別の状態へ変化しようとすることです。モナドは、ただ自分特有の「性質」「本質」「法則」に従って、自発的に働くとされています。ライプニッツは、モナド間相互の働きは、予定調和的だとしました。予定調和とは、神があらかじめ定めていた計画によって、世界の調和が実現するという意味です。ライプニッツは、この現実世界を神が最善の世界として選択したものだとしました。それを世界最善説と言います。

 また、ライプニッツは、モナドが出来事を表象するものだとしました。表象とは、外界にある対象を心の中で表現したイメージのことです。ライプニッツは、この世界は、あらゆるモナド「諸表象」の不断の連続だとしました。


【モナドの鏡】

 ライプニッツは、モナドを一つ一つ相互に独立した小宇宙だとしました。各モナドは、現実世界全体「すべてのモナド」の状態を反映しているとされています。ライプニッツは、それを「モナドの鏡」と表現しました。モナドは、止まることがない一つの内的な力の統一体だとされています。それは、外的な力によって「規定」や「破壊」されることがありません。

 ライプニッツは、この宇宙は、生命的な働きに満ちており、静止はどこにもないとしました。新しい命の誕生は、生命の展開で、死は、生命の収縮にすぎないと考えたからです。展開とは、生命がこの世に現勢化することで、収縮は、潜勢化することだとされています。


プラトンの「デミウルゴス」

2024-12-03 21:30:00 | 西洋哲学

【デミウルゴス】


 プラトンは、物質世界「感覚的な世界」の存在を説明するために「デミウルゴス」という神を使って、神話的にそれを表現しました。デミウルゴスとは、ギリシャ語で「公共のために働く者」という意味です。プラトンは、デミウルゴスが、この宇宙を作ったのだとしました。そのため「制作者」「工匠」などとも呼ばれています。

 デミウルゴスは、はじめに「世界霊魂」を作りました。プラトンは、人間の魂も、不滅で高級な世界霊魂と同じ本性を持っているとし、それが肉体という牢獄に閉じ込められているのだとしました。



【イデアと質料】

 プラトンは、デミウルゴスが「イデア」を模範とし「質料」という原材料を使って、宇宙を生成してるのだととしました。イデアとは、個々のものの原型「雛型」のことです。諸物は、そのイデアの影だとされています。ちなみに、イデアの概念は、経験からは導き出せません。

 プラトンは、イデアこそが、神が作った永遠に同一の真の実在だとしました。それに対して、質料は、物資的なものとされています。質料「ヒューレ」は、それ自体だけでは「無規定」「無形式」「無構造」「無機的」な形のない基体にすぎません。そうした質料に「形」や「構造」を与えているのが、イデアだとされています。プラトンは、質料の構成要素は「火」「土」「水」「空気」という四つの元素だとしました。それらを組み合わせるのがデミウルゴスだとされています。それぞれの物の違いは、元素の構成の比率にすぎません。


【宇宙】

 プラトンの宇宙論は、きわめて目的論的だとされています。なぜなら、プラトンの宇宙論では、デミウルゴスが、意図的に宇宙を出来るかぎり、自分に似せて創ろうとしてるからです。その宇宙のことを「ウラノス」や「コスモス」と言います。デミウルゴス自体は、変わることがありません。そのため「永遠なる同一者」などとも呼ばれています。

 また、デミウルゴスは「善なる者」ともされました。なぜなら、宇宙を展開させることは、善を実現させることでもあるからです。デミウルゴスが作った宇宙は、中心からどの方向にも距離が等しく、秩序と調和と美に満ちた球形だとされています。プラトンは、この宇宙は、始まりをもつが、有限で一つしかないとしました。また、それは自足的なものだとされています。なぜなら、何一つ外部へ出て行くこともなければ、入ってくることもないからです。

 プラトンは、宇宙は、有機体のようなものだともしています。その生産の仕方が、動物の妊娠期間のように周期的だからです。宇宙は、不断の循環運動を繰り返しており、老いることも、病気になることもないとされています。プラトンは、そうした宇宙を把握するには、人間の理性によらなければならないとしました。



ニーチェの「永劫回帰」

2024-03-19 12:21:00 | 西洋哲学

【永劫回帰】 

 ニーチェ哲学の中核であり、その大前提となる思想が永劫回帰でした。永劫回帰とは、全てのものが生成し、永遠の円環運動を営むことです。その全過程は、まったく同じ順序に従っています。ニーチェは、この世界には、始めと終わりがないとしました。世界は、何もないところから、突然生まれたわけではないとしています。原因もないのに、何が起こることはないからです。 また、この世界が生成し終えて、無という完成された状態にならないとしました。もし、そのような状態があるなら、それは、すでに達成されていたはずであり、また、そうなる理由や根拠もないからです。そのため、あるのは永遠の繰り返しだけだとしました。

 【時間と瞬間】 

 この世界は、無限回の反復のうちにあります。反復するのは、世界が、無際限に新しいものを創造することも出来ないからです。そのため、世界は、永遠に同じことを繰り返しているのだとしました。ニーチェは、それを目的を持たない、赤子の戯れに例えています。

 永遠回帰では、時間は直線的ではありません。あるのは、それぞれの瞬間の配置だけだからです。その配置は、各瞬間の相互の位置関係によって決まっています。我々が体験しているのは、ある特定の瞬間だけです。それぞれの瞬間は、永劫回帰全体の特定の位置にすぎません。全ての瞬間は、すでに無限回達成されてきました。「未来」「過去」「現在」は、絶対的のものではなく、事物の総体的歩みの位置でしかありません。

 【関係性と連続】 

 多様に見えるこの世界も、一つの連続した全体的生成だとされています。それらは、相互に連携していました。一つの結合関係は、全ての結合関係の条件となっており、それぞれは、相互の関係性によって、制約されています。その中で、孤立しているものは何もありません。それらは、常に全体として動いているからです。世界の全過程は、正確で間違うことがありません。そのため、世界で起こる出来事は、いつでも同じになります。 

 【権力への意志】

 世界の生成は、一定量の有限な力です。ニーチェは、それを「権力への意志」と名付けました。権力への意志は、物理学のエネルギーのようなものです。その全体は、恒常不変で、減りもしなければ、増えもしませんでした。相互に変換はされても、その全体量は、常に保存されています。権力への意志は、静止することがありません。ニーチェは、権力への意志は、一つの全体であり、世界は、それ以外の何者でもないとしました。世界には、一つの総体的な性格があります。権力への意志は、永遠に渡って、ただ一つのこの世界だけを生成し続けてきました。 

 【運命愛】 

 永劫回帰では、運命が決まっていることになります。何者も、その運命からは、逃れることは出来ません。我々も生成の全連鎖の一つであり、その条件になっているからです。同じ出来事が、無限に繰り返えされているとするならば、そこに救いというものがありません。そのため、永劫回帰は、実に重い思想だとされています。それを告知するのが超人です。超人は、運命が既に決まっているものだとしても、それを愛せよと説きました。それを運命愛と言います。