午前中は 若井敏明先生の紀貫之『土佐日記』の講義でした。
①『土佐日記』とは
土佐から帰京する紀貫之の仮名の日記
②紀貫之 歌人としての活躍
・延喜5年(905)『古今和歌集』の編纂に従事
仮名序は紀貫之、真名序は紀淑望(きのよしもち)が書いたといわれる。
・延長8年(930)土佐赴任中に醍醐天皇の命を受け『新撰和歌』を編纂
③『土佐日記』冒頭
男もすなる日記というものを、女もしてみむとて、するなり。
・当時仮名を使うのは女性であり、男性は真名(漢字)を使うのが一般的であった。
・紀貫之は国司としての任務が終わり、その帰り道での旅の日記である。
<先生からの一言知識>・国司が任地に赴くことを受領(ずりょう)といい、赴かないで仕事をすることを遙任(ようにん)といった。
④阿倍仲麻呂への回顧 ・・参考 阿倍仲麻呂は本講座にて7月3日に受講済・・
遣唐使として唐に渡った仲麻呂を思い、仲麻呂の作った歌について回顧している。
あをうなばら(本当はあまのはら)ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
唐と日本では言葉は違っているが、月の光は同じで違いないので、それを見て感じる人の心も同じであろう。
⑤海賊の恐怖
連日のように海賊の恐怖について日記に書いている。この時代は瀬戸内海で海賊が横行、藤原純友の乱など事件も多発。
⑥住吉の神
ちはやふる神のこころのあるる海に鏡を入れてかつ見つるかな
舵取りから「住吉の神は海の神でありなにかお供えを」と言われ「目玉でさえ二つあるのにたった一つしかない鏡を供えるのは悔しい」といいつつお供えをした。
⑦淀川遡行
長い日数をかけて淀川を遡行、淀川の上り(のぼり)であり結構大変な旅だったようだ。
ちょうどわがクラスの受講場所である摂津市のことが記されている(例えば鳥飼の御牧)しかも、4班はその「摂津について」をふれあい交流祭のテーマにしているので興味深いものがある。
⑧帰京 山崎から牛車で京に向かう。
参考 摂津市にある離宮鳥養院址