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深田祐介さん追悼・・・「翼の時代」<深田青年の戦後と恋>を読んで(^ ^)

2014年08月13日 | 深田祐介さんのこと

(続き)

深田さんの「翼の時代」<深田青年の戦後と恋>
という自伝的な小説の中に、面白い章があります。「新東洋事情シリーズ」にも少し記載があったけど、東南アジアの事情。

この小説の主人公の友人のシャンソン歌手の卵が留学費用を稼ぐために、ベトナムでコンサートを開く話が出てきます。(=旧宗主国の仏がディエンビエンフーの戦いで負けて、ベトナムから手を引き、南北にベトナムが分かれていたとき。ベトナム戦争の起こる前の話)

で、何がびっくりしたのか、というと、当時すでにベトナムの地下に、入り口は狭いけど整然たる地下道があって、100人以上も入れそうな地下ホールまであり、それらの地下道はソルダ・ジャポネ(日本兵士)が掘ったということ。

その地下ホールでの音楽会に、二、三十人も集まった旧日本兵士達。

ベトナム慰問音楽会(古都ユエの他に、その地下ホールの2か所で行われた)昭和三十一年頃 初夏の話。

・・・で、ちょっと引用します・・・
「第二次世界大戦でインドシナから日本に帰らなかった日本兵は何千人といてな。インドネシアでもビルマでも独立戦争を手伝ってきた。まだそういう連中が残っているんだよ。戦争が終わってまだ十年ちょっとしか経っていない・・・」
・・・(中略)・・・<以下は音楽会に集まった旧日本兵の話>
彼らは戦争中ビルマで、その後、映画「戦場にかける橋」で有名になる泰緬鉄道(たいめんてつどう)建設に従事していたという。
「戦争が終わったら、なんか英国人があの鉄道を作り、日本の兵隊が手伝ったような話になっとるようですが、実際はまるで逆です。イギリスの下士官やブルーワーカーの兵隊に橋など架けられませんよ。全部日本人がやったのです」
「しかしわれわれは自主的にこの地に残り、北ベトナム軍の命令でここへ来た。噂ではカンボジアのシアヌーク殿下と北朝鮮の強い要請があった、といいますが、とにかくこのトンネル道路を掘れということになったんですよ。それでここまで作ったというわけです」
「完成すれば全長二百五十キロ、東京・浜松間を繋ぐくらいの大トンネルになります。まあ、百パーセント完成するでしょうね。ベトナム人はよく働くし、闘志満々ですから」
私は大胆にも、
「皆さん、どうして日本に帰国されないのですか、ベトナムの女性と家族を持たれたからですか」
と訊ねた。
「まあ、簡単に言えばそういうことです」
・・・

・・・と、続きます(=続きは、本を買ってね(^ ^)
(続きあり)


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