7月20日は、中学時代の同窓会を、中華料理店、八仙閣で行った。
参加した友人の一人が下記のように叙勲されたのである。
「瑞寶中綬章」という教育関係に対する叙勲らしい。数年前にも叙勲された同級生がいたので、二人目の叙勲となる。本人だけでなく、我々同級生にとっても、凄く嬉しいことである。
表彰状の他に、饅頭を頂いたが、金銭的な報酬はゼロだったとの事だった。
中学時代の彼は、真面目でコツコツと勉学に勤しむタイプだったイメージを記憶してる。物静か語り口は、中学時代と変わらない。大学教授を歴任してたので、教育関係に貢献したという事であろう。
中学を卒業して63年経過した。終戦後の教育制度改革で、小学校6年、中学校3年、高校3年、つまり6・3・3となり、小学校と中学校は義務教育となり、日本国民はすべて義務教育を受けねばならないとされた。
我々はこの新教育制度の第一期生である。当然ながら、先輩も後輩もいない。国語、英語、数学、社会などの科目毎に先生がいて、新教育制度のせいか、先生達は我々を指導するのに、極めて熱心であった。
当時の校長先生は、やや背が低く、忙しそうに歩くので、誰が思い付いたのか忘れたが、校長先生のあだ名を「きんちゃぼ」としたのである。なので、我々の同窓会の名称を「きんちゃぼ会」としたのである。
毎年一回、きんちゃぼ会をやってるが、ほぼ出席者の顔ぶれは、毎回殆ど同じである。にも拘らず、顔は分かるが、名前が分からない場合が結構多い。名前が分かる友人との会話が弾んで、カメラするのが少なかった。
千葉市在住のK君の参加は、嬉しかった。私にパソコンを勧めてくれたのがK君である。彼がパソコンを勧めてくれなかったら、現在の私のようなパソコンライフは無かったであろう。本来カメラには興味が無かったのに、外出するとき、カメラ持参となったのもパソコンのせいである。そしてパソコンの凄さに驚きを隠せない毎日である。
参加した友人の一人が下記のように叙勲されたのである。
「瑞寶中綬章」という教育関係に対する叙勲らしい。数年前にも叙勲された同級生がいたので、二人目の叙勲となる。本人だけでなく、我々同級生にとっても、凄く嬉しいことである。
表彰状の他に、饅頭を頂いたが、金銭的な報酬はゼロだったとの事だった。
中学時代の彼は、真面目でコツコツと勉学に勤しむタイプだったイメージを記憶してる。物静か語り口は、中学時代と変わらない。大学教授を歴任してたので、教育関係に貢献したという事であろう。
中学時代の同窓会
中学を卒業して63年経過した。終戦後の教育制度改革で、小学校6年、中学校3年、高校3年、つまり6・3・3となり、小学校と中学校は義務教育となり、日本国民はすべて義務教育を受けねばならないとされた。
我々はこの新教育制度の第一期生である。当然ながら、先輩も後輩もいない。国語、英語、数学、社会などの科目毎に先生がいて、新教育制度のせいか、先生達は我々を指導するのに、極めて熱心であった。
当時の校長先生は、やや背が低く、忙しそうに歩くので、誰が思い付いたのか忘れたが、校長先生のあだ名を「きんちゃぼ」としたのである。なので、我々の同窓会の名称を「きんちゃぼ会」としたのである。
毎年一回、きんちゃぼ会をやってるが、ほぼ出席者の顔ぶれは、毎回殆ど同じである。にも拘らず、顔は分かるが、名前が分からない場合が結構多い。名前が分かる友人との会話が弾んで、カメラするのが少なかった。
千葉市在住のK君の参加は、嬉しかった。私にパソコンを勧めてくれたのがK君である。彼がパソコンを勧めてくれなかったら、現在の私のようなパソコンライフは無かったであろう。本来カメラには興味が無かったのに、外出するとき、カメラ持参となったのもパソコンのせいである。そしてパソコンの凄さに驚きを隠せない毎日である。
欠席のハガキの内容は、殆ど体調不十分でした。なので、きんちゃぼ会に参加出来たのは、幸せだと思っています。
アラ(アラウンド)喜寿の方々のお集まりと推察いたしますが、即ブログに様子をコンパクトにまとめられたジジイ様をはじめご出席の皆様、積極的に人生をエンジョイなさっている様子が伺えます。
きんちゃぼ会も一泊旅行の提案がありますが、なにしろ、年金暮らしが殆どなので、金銭的理由で、実現しません。
担任の先生のあだ名をとっての命名もユニークだ。
私たちも3年に一度の同窓会を開いていて 今年9月に
地元の温泉で行う・・いつも30人ほどが参加してくれる。
男性の15人ほどは旅立っている・・