東京の下町風景2枚 2005-12-17 17:53:35 | 観光 ブログ仲間から「東京下町の商店街」の風景をとのご希望があったので、とりあえずはこの二枚を掲載します。新宿から都営地下鉄線で蔵前まで出て、一つ乗り換えて浅草までいってきました。下町といえば浅草ですからね。以前、浅草寺界隈をご紹介したので今回は、仲見世などははずれて裏町を歩いてきました。マウスをのせてください、写真が変わります。随分と歩き回ったので、ブログの掲載がとても遅れてしまった。何の変哲もない写真ですが、少しでも下町の風情を感じて頂ければ、私は満足です。 « 大型水鳥発見! | トップ | 師走の浅草駆けめぐり »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 感激です! (じゃこしか) 2005-12-17 18:26:25 poloさん今晩は。余り天候の良くない中を、早速に実行して頂き有り難うございます。 この「つくだ煮」などは、日本食文化の代表的なもので、一家相伝とも云うべき職人芸の店先風景を、こうして見られるだけで感激です。 己の年齢的なことから、実際に訪れるのは無理なことと些か諦めていたところ、以前テレビで見た番組と併せて、本当に懐かしく想いだしております。 poloさん本当に有り難う! 返信する ササッ((((〃⌒ー⌒)/どもっ♪ (あいり) 2005-12-17 18:38:30 ササッ((((〃⌒ー⌒)/どもっ♪初めまして(・∀・)ノィョ-ゥ遊びにきましたぁ~~(´▽`*)ブログ読ませてもらいましたので足跡残しつつコメント残していきまふ。良かったら私のブログにも遊びに来てくらはい(*´▽`)人来てくれたら( ´・ω・`)_且~~出すのでマッタリして楽しんでってね♪http://loveypopangel.blog2.petitmall.jp/ 返信する お疲れ様です (anikobe) 2005-12-17 19:11:26 餅花の飾られたお菓子屋さんでしょうか、もうお正月に向けての売出しですね。いかにも下町の光景、寅さんが歩いていそうです。 返信する 浅草・裏町 (スイポテ) 2005-12-17 19:15:20 佃煮屋さんと、和菓子屋さんですね。和菓子屋さんの紅白の餅花(というんでしたっけ?)歳末、迎春の風物詩ですね。佃煮屋さんのアルミのバット、何かとっても懐かしい感じです。眺めているマスクの若いお兄ちゃん、帰郷のおみやげでも探しに来たのかな、なんて想像して微笑ましくなりました。 返信する 下町風景 (あまもり) 2005-12-17 19:17:10 いいですね、この二枚の写真。poloさんの写真はいつも人が生き生きとしています。最中と佃煮、この取り合わせもいい!佃煮の起源は、大阪の西淀川にある佃島だと聞いたのですが、ちょっと自信がありませんがpoloさんはご存じですか?本能寺の変で京都見物を楽しんでいた徳川家康が慌てて三河に帰ろうとした折、大阪の佃島の漁師たちが道中でも食べられるようにと小魚を煮たものを差し出したのが始まりだと聞いています。その恩を忘れなかった家康は、江戸の町を作った時、大阪の佃島の漁師たちを呼び寄せ漁業権を与えたと聞きました。江戸っ子で有名な一心太助の祖父は大阪佃島の漁師だったということです。何の本で読んだのか忘れましたが、浪花と江戸の結びつきが面白いと思いました。 返信する じゃこしかさん、こんばんは (polo181) 2005-12-17 21:22:11 コメントを有難う。いえいえ、おやすいご用でして、明日から当分浅草界隈の写真を掲載します。今日は土曜日とあって、賑わっていましたよ。仲見世通りなどは、押し合いへし合い黒山の人出でした。じゃこしかさんは、多分横町の駄菓子屋なんかを希望したのでしょうが、さすがにもうありません。昔の闇市のように出店が連なる場所はばっちりカメラに収めてきました。今日は比較的暖かく昼間は12度ほどだったので、歩き回ったら汗が出るほどでした。それが、明日になると猛烈な寒気が南下するそうですから、外出は控えないと。多分そちらでも同じでしょうね。 返信する anikobeさん、こんばんは (polo181) 2005-12-17 21:25:57 コメントを有難う。柴又の帝釈天へでも行こうかと思ったけれど、娘の話では今はさびれているらしいので、浅草に変更しました。都電荒川線で早稲田から三ノ輪橋までトコトコ走るのも良いかな。いやぁ、いろいろ出てくるので、これらは次回にしましょう。東京でも下町はまだまだ昔の雰囲気はあります。 返信する スイポテさん、こんばんは (polo181) 2005-12-17 21:35:48 コメントを有難う。浅草も裏道に入るとなかなか懐かしい雰囲気のところがあります。あんなに沢山お見せがあってよくまぁやってゆけるなと思うほどです。チンドン屋がもの悲しい曲を流していました。別に何を宣伝するともなく、街角でただ賑やかに音楽を奏でていました。大阪では一体どのあたりに相当するのだろうか。まるで、ゴッタ煮風の街です。買いたいものがいろいろあったけれど、カメラバッグを背負っているので何も買わずに通過です。大阪の高槻にも佃煮屋があった。でも彼等は全部パック入りの品物を商っていた。量り売りはちょっと珍しいかな。 返信する あまもりさん、こんばんは (polo181) 2005-12-17 21:47:45 コメントを有難う。最中と佃煮!正反対の品物ですね。写真を誉めてくださって有難う。東京は何処へ行ってもビルまたビルで、味気ない。都営の交通手段だとなにもかも無料なので、気楽に動き回れます。経路を研究して、そのうち町中を走る都電に乗ろうと思っています。佃煮の起源はしません。ごめんね。佃島は東京が先だと思っていたから、私の知識はいい加減なものですよ。あな恥ずかしや。大阪にも佃島があったとは。あまもりさんは、読書家だから何事もよくご存じだ。前にも書きましたが、それに加えて、観察力が優れていますね。大久保彦左衛門と一心助の史跡(多分屋敷)が浜松町の近くにあると聞いていますが、前回は見つけられませんでした。東京は新しい街だけれど、見るべきところは沢山ありますね。 返信する いいですね、浅草 (熊子) 2005-12-18 14:55:18 下町の賑わいが伝わってきます。浅草といったら人形焼です、そして手焼きの煎餅ですね。毎回浅草訪問時は欠かせない熊子です。刻に手焼きの煎餅は見ていいて飽きない、ずーと見ていると必ずタダで一枚ゲットでした(笑)。ゆっくり歩いてみたいです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
余り天候の良くない中を、早速に実行して頂き有り難うございます。
この「つくだ煮」などは、日本食文化の代表的なもので、一家相伝とも云うべき職人芸の店先風景を、こうして見られるだけで感激です。
己の年齢的なことから、実際に訪れるのは無理なことと些か諦めていたところ、以前テレビで見た番組と併せて、本当に懐かしく想いだしております。
poloさん本当に有り難う!
初めまして(・∀・)ノィョ-ゥ
遊びにきましたぁ~~(´▽`*)
ブログ読ませてもらいましたので
足跡残しつつコメント残していきまふ。
良かったら私のブログにも
遊びに来てくらはい(*´▽`)人
来てくれたら( ´・ω・`)_且~~出すのでマッタリして楽しんでってね♪
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いかにも下町の光景、寅さんが歩いていそうです。
和菓子屋さんの紅白の餅花(というんでしたっけ?)歳末、迎春の風物詩ですね。
佃煮屋さんのアルミのバット、何かとっても懐かしい感じです。
眺めているマスクの若いお兄ちゃん、帰郷のおみやげでも探しに来たのかな、なんて想像して微笑ましくなりました。
poloさんの写真はいつも人が生き生きとしています。
最中と佃煮、この取り合わせもいい!
佃煮の起源は、大阪の西淀川にある佃島だと聞いたのですが、ちょっと自信がありませんがpoloさんはご存じですか?
本能寺の変で京都見物を楽しんでいた徳川家康が慌てて三河に帰ろうとした折、大阪の佃島の漁師たちが道中でも食べられるようにと小魚を煮たものを差し出したのが始まりだと聞いています。
その恩を忘れなかった家康は、江戸の町を作った時、大阪の佃島の漁師たちを呼び寄せ漁業権を与えたと聞きました。江戸っ子で有名な一心太助の祖父は大阪佃島の漁師だったということです。
何の本で読んだのか忘れましたが、浪花と江戸の結びつきが面白いと思いました。