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私たち人間は何でも食べる。所謂雑食動物。人間ほど広範囲に喰らう動物は他には居ない。<私たちの食性>と書いたのは、他でもありません、水鳥達を眺めていて、妻と私の”食性”の違いに思い当たって、思わず吹き出してしまったからです。私はバナナをこよなく愛す。バナナを初めて食べたのは60数年前だ。もちろん乾燥バナナだ。生のバナナなどありはしない。あの不思議な甘みと香りには正直驚嘆した。この世のものとは思えないほど美味だった。それから後、数十年間のブランクがあって、今日のように何時でも食べられるようになったのだった。そして、毎日必ず一本は食べる。しかもゆっくり味わいながら食べるのだ。一方妻は、やはり子供の頃、オヤツに出される冷えたトマトが好きで、いまでも必ず毎食、食べている。私はあの噛んでも噛んでも口に残る皮が嫌いで、トマトそのものが好きでない。私たちの<食性>は、子供の頃に決まるようだ。
小学校の1・2年生の頃だったと思います。それまではバナナが高級品で食べたことがありませんでした。
埼玉から横浜の親戚へ出かけ、上野から帰る時のことです。父から「一番食べたいものを買ってあげる」と言われ、私は迷わず「バナナ」と言ったのです。ところがそのバナナを口に入れるなり「美味しくない」と
父に付き返してしまいました。その後「バナナは美味しくない」と思い込んで嫌いな果物の一つになっていました。それから数十年、今は「結構美味しいな」
と思えるようになったのです。
はじめて食べたバナナの味は幼い私にはなじみが無かったのです。今はバナナもトマトも欠かせない食品です。
私と夫とは子供の頃は本当に全く違う食生活をしていたようです。
私はおやつというとコロッケと枝豆。
バナナの記憶はあまりありません。
夫は何だったかな・・・煮干やさつま芋だったかな?
昔はバナナはとても高価だったんですよね。
中国の人は犬や猿を食するというし、タコを食べるのは日本人くらい?ナマコもしかりですね。
カルガモがコケを食べるのですか。知りませんでした~
子供の頃の食生活によって決まるものだとすれば、食糧事情の悪い、食べ物に不自由な戦中戦後を子供時代に過ごしたせいか、大体好き嫌いなく食べるのは、そうなんだと、思ったりしますね。(笑)
子供の頃のバナナは高級品でした。バナナのたたき売りの口上を聞くだけ。今はバナナも安くなりましたが、あまり食べませんね。
トマトは、子供の頃は好きだったんですよ。トマトは野菜ではなく果物でした。おやつ。
でも最近のハウスものは嫌いです。子供の頃に食べたあの旨さがないのです。
私の子供の頃の食生活で大きく左右したのは学校の給食でした。
脱脂粉乳のミルク、美味しくない野菜の煮物。カチンカチンのマーガリン。薄い食パンに塗ったら破れるパン。焼かずに食べる食パンは不味かった。コッペパンのような味付けパンのほうが美味しかったのにあまり出なかったような記憶があります。
家では、大根の煮付けが嫌いだと言ったら一週間大根の煮付け。他に食べるものがなかったので、仕方なく胃に入れたけど、そのつらさ。それがトラウマになっています。
子供の頃の食生活はその後の人生に大いに影響を及ぼしますね。
いまだに牛乳はだめ。大根は食べますが煮付けはだめ。ウナギだめ、ネギだめ。私は好き嫌いが多いです。
でも自分の子ども達にはしっかりと食べさせましたよ。私は食べている振りして食べませんでしたけど(笑)
幸い子ども達は好き嫌いなく育ちました。と、そう思っています。
あまもりさんは好き嫌いが多すぎます。
poloさんはトマトの皮を剥いて召し上がって下さい。
今では、食べられるんですね。
私は戦時中に育ちましたから、何でも食べられる筈なのだけれど、好きでないものが一杯あります。ピーマン、魚、牛乳などです。でも、妻が用意した食事に不平を言うことはしません。
犬や猿を食べるには相当な勇気が必要です。最初に、タコやなまこを食べた人は、これまたかなり勇気が必要だったことでしょう。カルガモは藻や水草を食べます。上野の不忍池では、人々がパンを与えています。かなりどん欲です。
固いマーガリンには往生しましたね。私の頃は給食なんてなくて、みな弁当でした。大抵イモか麦飯で、白いご飯だと、自分も他人も目を白黒さて驚いた。一週間も大根の煮付けを食べさせられたら誰だってトラウマになりますよ。(゜ー゜)(。_。)ウンウン 、その通り。子供時代の食生活がその後の好き嫌いに繋がります。ほほほぉ~、随分と嫌いなものが多いですね。何も、嫌いなものは食べる必要がありません。(栄養が足りていれば) 子供達に何でも食べさせるには苦労したことでしょう。食べたふりをするのも難儀だし。お母様としては合格ですね。私もウナギは好きではなかったんだけれど、最近は食べるようになりました。健康に良いとかなんとかテレビでやっていましたよ。