アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

アダルトスクールで知り合った人達(2)

2009-02-06 05:15:59 | Weblog
Syoujiさん(台湾の人と結婚した人で旧姓です)
より10歳年上の人です。
元気で気力の満ち満ちている人でした。
ご主人が亡くなり、娘さんがアメリカ人と結婚したのでこちらで永住するためにきたそうです。
娘時代は日本で、結婚生活は台湾で、老後はアメリカで変化に満ちた人生を送っている人でした。 
台湾で日本語の先生をしていたので英語の勉強もとても熱心で家で毎日2時間も復習するそうです。 
は、ものすごい大酒のみで学校に来ないときは朝から飲み続け大きなボトルをすぐ開けるそうです。
タバコの量もすごいの
顔色があまりよくないので心配でしたが、本人は今まで一度も医者に見せたことがないそうで、これからも絶対に医者の世話にならないといきまいていました。

彼女はとてもスタイルのいい人で、ある日、白いチャイナードレスを着て歩いていると、後ろから肩をトントンと叩かれたので振り向いたら、ギャアーといって若い男の人が逃げていった行ったそうです。
彼女は私に話してプンプン怒ってました。
後ろ姿とあまりにも違うので吃驚したのでしょう 気絶しないでよかった

アダルトスクールで最初に知り合ったあった人たちは転勤になったり、引越ししたり、日本へ帰国したりしてみんないなくなりました。又新しい知り合いが出来ました。ドイツ人のサビーナさんとチェコ人べらさんです。

アダルトスクールで知り合った人達

2009-02-05 10:46:08 | Weblog
Hidekoさん (駐在員の奥さん)
よりも若い人です。私と同じ時期にアメリカに来た人です。
以前にフランスで過ごしたことのある人で英語の勉強はのみこみは早いようでした。
白黒をはっきりさせる人で男性的な感覚の持ち主、自動車の運転もカルフォルニアの免許を取ってから直ぐにフリーウェイに乗ってお客さんを迎えにいった話を聞いてびっくりしました。
日本でもフリーウェイに乗っていたとの事ですが彼女の自動車に乗せてもらった時は主人と同じ運転の仕方をするので男性的な運転をする人だと思いました。
こんなにお上手な人なのに免許を取る時に実技で一回落ちたから、貴方も必ず落ちるわよと言われたのですが、運がよかったのか 1回でパスしてしまいました
次はスピード違反で捕まったので貴方も必ず捕まると言われましたが、私はフリーウェイにも乗れないのにスピード違反で捕まるとは考えられません。

Midoriさん(ご主人が寿司職人)
知り合った人の中では一番若い人です。
アメリカに遊びに来て結婚し3歳と5歳の男の子がいます。
無一文から今の生活を築きあげてきた人で家庭を大切にしている人でした。
とてもモダンな人で髪の毛を染め、いつも綺麗にマニキュアをしていました。
彼女によってマニキュアも沢山の色があることを知りました。
当時はまだ日本では毛を染めたり爪にマニキュアを塗ることは流行していない頃です。


第七章 アダルトスクールで英語を学ぶ

2009-02-04 19:56:35 | Weblog
は自動車の運転ができない時はよくバスを利用してあちこち出かけました。
駐在員の奥さんたちが学んでいる無料で英語を教えているアダルトスクールがある話を聞きバスで早速行ってみました。
多くの移民を受け入れて、英語を母国語としていない人のために作られた学校です。
スクールの窓口に行くと少しの会話だけでレベルを決められ振り分けられました。
は下のレベルだったが、教えている先生もアダルトスクールで学び就職して働きながら大学に行き資格を取った話をしていました。
1クラス20人ぐらいで中国人、フランス人、メキシコ人、ドイツ人、チェコ人など各国の人がいて、年齢は若い人からお年寄りまでいました。
授業は英語の基礎や就職するために必要なことなど丁寧に教えてテストが何回もありました。
ここで日本人の知り合いが出来ました
。個性のある人たちでお話をしていても楽しく色々とお互いに情報を交換しあいました。お友達にはなりませんでしたが、いい想い出になりました。

Reikoさん(駐在員の奥さん)
私より少し年下ですが東京のお嬢様育ちで、ニューポート ビーチのアパートに住んでいました。彼女専用の高級車(キャデラック)に乗っていました。も暫くの間アダルトスクールの帰りにいつも乗せてもらいました。超美人でお洒落で、そして華奢なかたでしたが勉強が好きで学校はほとんど休まず通っていました。一番上のクラスにいて他国の人と楽しそうに話していました。

日帰り観光

2009-01-31 04:40:20 | Weblog
は、土、日は日本にいた時よりもしっかりと会社を休めました。
日帰りで行けるロスアンゼルス地域のミュージアムや遊園地などへよく二人で出かけました。
観光案内のところを一つづつチェックして、ほとんどのところは見て回りました。
日本から来たお客様を色々なところへ案内しました。

こちらの遊園地、デェズニーランド、ナッツベリーファーム、ユニバーサルスタジオは定番で何回行っても面白いものです 

でも、私はスケールの大きいミュージアム(美術館)が好きでした。個人で持っているミュジアムのほうが収集品も多く建物も立派なので驚くことばかりでした。
その中ののお気に入りのハンティントン ライブラリー( The Huntington Libray, Art Collection, and Botanical Garden )と
ポールゲッティ ミュジアム( The J Paul Getty Museum ) があります。これらのコレクションには、これだけ集められる財力と建物にあわせた収集品には感心すると共に個人の財産の偉大さに驚かされました。

早朝の魚市場

2009-01-30 12:26:55 | Weblog
は海のよく見えるところに住んでいるのに新鮮なお魚が食べられないなんてと思っていたらありました。
バルボア半島に太平洋に突き出ている埠頭から少し離れたところに毎朝船で捕ったばかりのお魚を短い時間でしたが売っている市場がありました。

朝早く5時にでて市場に行くとメキシカン系アメリカ人がもう集まっていました。
船が帰ってくるのを待っているのです。
船の主な漁獲は鯖が多く目の前で手際よくさばき、切り身にしてくれました。
全部売り切れると市場は終わりです。短い時間なので遅く来るともうありません。
アパートに帰ると朝食に温かいご飯と鯖の味噌煮で食べました。
おいしかった

また、アパートから歩いていけるほどの近くに (それでも自動車で行く) ロブスター、蟹、海老類を売っているボートがお店 (週1回)を開いていました。
大きな生簀に生きた蟹や海老がうごめいていました。
ニューポート地域の人や遠くからもアメリカ人が来ていました。値段はちょっと高めだったけれどもスーパーで売っているものよりも大きく、アパートに帰り直ぐに茹でると蟹は身もたっぷりあり、食べるのに手間がかかりますが夢中で食べて蟹味噌の美味しいことがよくわかりました

それから暫くしてある人から大きなロブスターを二つもらいました。知り合いの人に一つ分け、家には大きなお鍋がないので、以前に軽く凍らして切るとお刺身にして食べられる話を思い出し、生きたまま冷凍庫にいれて出し甲羅をお皿にしてお刺身にして食べました。
意外と甘みがあり美味しく、こんなに新鮮な魚介類を食べられるとは思っていませんでした。

ローズパレード

2009-01-29 09:21:32 | Weblog
はリツ子さんと一緒にアメリカの新年を祝う人気行事、最大のイベント、ローズパレードを観にいきました。

リツ子さんにバスとチケットのセットした券を手配してもらいました。
朝早くからの出発です。場所はロスアンゼルス郊外のパサデナ市です。

ローズパレードは温暖なカルフォルニアではいつも花が咲き誇っているのを見てもらうために19世紀末にはじまりました。
アメリカ全土から観客が来て、キャラバンカーに乗り何日も前にきて場所を取っているそうです。
たちの席はコロラド通りに観客用に組み立てられた階段の上のほうでした。
前の席に頭の禿げた人が座っていてどこも満席でした。
パレードが始まりました。先ずマーチングバンドから騎兵隊が出てきてから沢山のお花に飾られたフロートが出てきました。
フロート(山車)の大きさは決められていて、高さ16フィート、幅18フィート長さ50フィート以内で完全に花や葉に覆われていなくてはならず、少なくても全部のフロートを飾るには約10万本花が必要だそうです。
ディズニーランドに出てくるような動物達は目が動いたり尻尾が動いたりして楽しく、フロートに乗っているいる人は手を振っていました。
フロートととの間には色々なバンドが入り約2時間半コロラド通り5,5マイル華やかに行進するのです。

写真を沢山撮ったのですが前の席に座っている禿頭が必ず写ってしまいました。
1年後ローズパレードは見に行くことが出来なかったけれど、パレードが終わったあと、直ぐに壊さないでしばらくの間、花で着飾ったフロートを見せる展示会がある話を聞き見に行きました。
昨年は観客席が後ろで小さく見えたフロートを近くで見て本当に沢山の花が使われていることがわかりました。
生花と、色々な花や草花をドライフラワーにして細かく砕き色別に材料を作り、人形や動物などが出来ていました。。造花は一切使われていませんでした。
フロートは沢山の花が必要で早い時期から材料を集めているとの事でした。
このような立派なパレードを行うまでには多くのボランティアの人たちの協力で行われています。

ラグナビーチ(2)

2009-01-28 08:56:41 | Weblog
劇場自体が名画を見せる舞台だったのです。
席は階段状になっていて下の方に舞台があり大きな額縁が真ん中に置いてありました。
舞台の前にはオーケストラボックスがあり伴奏つきでした。
だったのでちょっと寒く用意のいい人は温かい格好で来ていました。

舞台に幕が降り、暫くして幕が開いたときはびっくりしました。
見たことがある名画が額縁の中にあるのです。
絵の中の人物に扮した役者が身動きもしないで画面に張り付いてビクともしません。
本当に名画ソックリの色彩や人物のいる位置がきちんと決まり見事でした。
小さい子供のいる名画は最後のほうで子供が動きご愛嬌でした。
日本の浮世絵もありました。でもどの絵も見事に出来上がっていました。
最後は、レオナルド ダビンチの「最後の晩餐」です。
全く同じ色彩で人物も絵と同じ位置にあり動きません。見るほうも息を止めてみていまいした。

帰りに階段を降りる途中でインディアンの彫像が立っていたので、もしかしたらと触たらやはり人間でした。
顔を見ると目だけ動きを睨んでいました。

野外名画の立役者はラグナビーチの住民達のボランティアで成り立っているそうです。芸術家の町らしいアートショーでした。

ラグナビーチ

2009-01-27 10:51:02 | Weblog
ラグナビーチはニューポートビーチから20km南にありますが、パシフィック コースト ハイウェイで南に向かいますが山が海まで迫る海岸線で狭い道路です。ラグナビーチまでの山側は夏には全く緑がなく茶色の世界でちょっと殺風景なドライブ道路です。

湾曲したビーチに入るとボードウォーク(木で出来た歩道)が続き、砂浜では真っ黒に日焼けした人達がピーチバレーを楽しんでいました。
このラグナビーチは芸術家が多く住みギャラリーが多いのでぶらぶら散歩しながらあちらこちらとお店を覗いていると楽しいです。
海を望む山腹には別荘風の家々が建ち並んでいました。

このラグナビーチは毎年行われる野外ショーがあります。
Festival of Arts and Pageant the Masters です。人気のあるショーで入場券がすぐなくなるので早めに購入し観に行きました。
ショーは暗くなってから始まるので操り人形劇を見たり、劇場の前の広場に絵画、彫刻、写真、陶器、工芸品などたくさん作品が並んでいるのを見て暗くなるのを待っていました。
古今泰西の名画がみられると聞いていたので、それらしい作品がなく意味がわからなかったのですが、暗くなり劇場に入ってわかりました

ファッションアイランド

2009-01-25 22:23:01 | Weblog
ファッションアイランドはサウスコーストプラザーと同じデパートが集まっているところです。
4つの有名なデパート などがあり、さらにたくさんの専門店とレストランが集まっていました。
ファーマーズマーケットには地下から最上階まで巨大な吹き抜けのフォーコートがあり、ぜんぶの階が天井(天窓)からの明かりで、とても明るく地下にはスーパーマーケットとイタリア、メキシカン、中華、マクドナルド、 ジャパニーズフード等のお店が並びはお寿司もあったので、毎回色々なものを選び、テーブルで食べたり家に持ち帰ったりしていました。

ファッションアイランドの周りの道路は楕円形になっていて囲まれていたのでアイランドと言っているようでした。
建物の周りは広々とした駐車場があり、近くには高層オフィスビルや有名なホテルもあります。
買い物客はゆとりのある人達が住んでいる地域との事なので、売っている品物は全体的に高いような気がしました。

日米首脳会談でいらした海部首相が泊まったホテルも近くにありました。
楕円形の道路には海部首相歓迎のために日米の旗がクロスして街頭ののポールに掲げ並んでいた光景は今でも想い出として残っています。

ファッションアイランドの楕円形の道路はカルフォルニアの自動車免許を取得するために猛練習した道路でもありました。
又、近くに映画館がありよくみにきました。
全部英語ですがアクションものは動作を伴うのでなんとなく判りました。

パシフィック コースト ハイウェイ(旧国道1号線)

2009-01-24 22:51:55 | Weblog
の住んでいるアパートのすぐ近くをパシフィック コースト ハイウェイがとおっていました。
アメリカ合衆国の一番西の太平洋側に沿っている旧国道1号線です。

北方向は隣がサーフィンで有名なハンチングトンビーチ(Huntington Beach)があり、そしてロングビーチ方面に向かいます。
南方面はラグナビーチ(Laguna Beach)です。アパートの近くにあるバルボアアイランドから東に向かうジャンボリー(Jamboree RD)とパシフィック コースト ハイウェイの道路が交差していました。
2つの大きな道路なのでいつもは緊張していましたが慣れてくるといつの間にか速度50マイル(80キロ)も出して運転していました。
それでも自分から進んでフリーウェイには入ることが出来ませんでした。
(一度うっかりと入ったことはありますが直ぐ降りました)フリーウェイに乗らなくても結構遠くまで買い物に行けました。

道路の交差点の一角にはモール(商店街)があちこちにあり、駐車場も広いので停めてお店を覗いて楽しんでいました。
肉屋やパン屋はスーパーマーケットよりも専門店のほうが美味しく、評判のいいお店を聞くと遠くてもわざわざ出かけていきました。
肉屋でハカリ売りを頼む時は他の客が注文するのを聞いて真似していましたが、ほとんどは指で品物を「ハーフポンドあるいはクオター」と言って注文し買っていました。ウィナーソーセイジは種類が豊富で、日本では見かけないソーセイジもありました。