When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
世良田十字路に集結した8台の屋台に向け、総持寺、普門寺の鐘が鳴り、これを合図に全屋台が旧国道354号下町方面への「ひっさがり」運行を開始する。
下町に8台の屋台が再集結すると、国道が広くなっているところで、屋台は世良田十字路方面に戻る「おのぼり」態勢をとる。この時に迎える下町、下新田の屋台に他の6台の屋台が、順々にすれ違う「ひき違い」運行が始まる。
おはやしは、ひき違う相手のおはやしに負けるものかと全身全霊で太鼓をたたき、カネを打つ。笛の音は夜空を突き抜け鳴り響き、きしむ屋台の提灯は屋台の動きに連動し、大きく揺れ動き、群衆の熱気も一気に最高潮となって人々を魅了する。(Resource:2015世良田祇園まつり【公式ホームページ】)
荒尾神社は、もと中山の麓の根古屋にあった。祭神は罔象女命と日本武尊である。
甲斐国誌に「荒キ尾白川ニ臨ムノ意ニテ荒尾ト名付クト云」とあり、尾白川の氾濫などから村人が、台ヶ原などに移り住むようになり、明治四十三年に台ヶ原田中神社境内に境内神社末社を合祀、大正三年四月五日その境内に遷都した。
田中神社は、祭神は大己貴命と媛太神で、安産の神として近郷に知られていた。
この拝殿は、江戸時代(慶安五年から元禄三年)にお茶壺道中の宿舎に当てられ、二回修造料として各拾両宛拝領の記録がある。
なお、甲斐国誌に「祀側ニ虎石アリ故ニ古来本村ニテハ獅子舞ヲ禁シテ入レス正月十四日道祖神祭ニモ虎舞ト名付ケテ他村ノ獅子トハ其形異ナリ」とあり、明治初年頃まで虎舞が続けられていた。虎頭のみ残して絶えていたこの舞を、近年集落の若者を中心に保存会が発足し、復活させた。
また、境内を出発地として明治初年まで行われていた昆虫除けの祭礼は、資料が残存していて、江戸末期の農村事情を知ることができる。
平成九年一月吉日 白州町教育委員会