When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
市指定史跡 山王塚
入間川を北西に臨む右側の南大塚の台地上に築造された上円下方墳であろう。
南大塚古墳群としてわかっているのは18基を数えるがそのうち当古墳は最大のもので、入間川左岸の的場古墳群の牛塚(前方後円墳)古墳と対峙する位置にあり、その勢力圏を知るうえでも貴重な古墳である。
その規模は方形部の一部は63mで、その高さは約1mである。円形部の径は約47mを有し、全高4.5mで、方形部の外側には一部ではあるが幅約5mの周溝が現存しており、おそらく全体に巡っていたと考えられる。墳頂部は盗掘の痕跡が認められる。東日本最大の上円下方墳であろう。
平成6年3月 川越市教育委員会
昭和56年3月20日指定--------------------------------
身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えようと、この雑木林が「ふるさとの緑の景観地」に指定されました。
雑木林は、もともと天然自然の林ではありません。数百年間にわたって、農民の手が加えられて、成立した林の姿です。
その意味で、農民が永年培ってきた農耕文化の遺産でもあるわけです。林内は、現在も下草刈、落葉かきが行われ、落葉は、堆肥原料として利用されています。
林相は、主にアカマツ、エゴノキ、コナラ、クヌギ等により構成されています。
今後も皆様の手でふるさとの緑を守り、育ててくださるようお願いいたします。
昭和56年12月 埼 玉 県
天洲寺は、曹洞宗の寺で聖徳山天洲寺と称し、開基は慶長十二年(1607)荒木長善の遺子八左衛門で、開山は清善寺五世天洲全堯和尚と伝えられている。
荒木長善の先祖は、北条氏の先祖伊勢新九郎長氏と共に関東に下った七人の中の一人といわれ、子孫代々荒木に居住して、荒木越前と称し、忍城主成田氏に属した。
境内には太子堂があり、堂内には国指定重要文化財である木造聖徳太子立像が安置してある。像高一四一センチメートル、檜材寄木造りの孝養像で、胎内及び頭部に墨書による銘文が残されている。
それによれば沙弥西阿弥陀仏が願主となり、二親并舎兄等の往生極楽を祈って慶尊が導師格となり、大仏師慶禅が鎌倉で寛元五年(1247)につくったことが記されている。
銘文中の願主西阿弥陀仏とは、鎌倉幕府の関東評定衆の大江氏毛利四郎季光の法号で、大江広元の四男であり、二親并舎兄とあるのは、父母と兄二人と考えられている。