When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
京都 伏見稲荷大社分霊
古墳時代六世紀より千五百年の間、
義経公冠奉安をはじめ、
数々の歴史を見つめ、
祭祀祭礼が行われてきた宮の森。
冠稲荷神社は、
平安時代の天治二年(1125)、
新田氏の始祖新田義重公の父、
源義国公創建と伝えられ、
伏見、豊川、信田、
王子、妻恋、田沼と合わせ、
日本七社のひとつといわれている。
承安四年(1174)源義経公は
奥州下向の折、当社が
源氏ゆかりの社であることを知り、
冠の中に勧請してきた
京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭。
また、時を経て、新田義貞公は
元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の
兵を挙げるにあたり当社神前にて
兜の中に神霊の来臨を請い
戦勝を祈願されたと伝えられている。
この故事にちなみいつしか
冠稲荷大明神と
人々から呼ばれるようになったという。
大字上野本の氷川神社の秋の祭りに、五穀豊穣を祈願して奉納されます。
伝承によれば、平安時代に坂上田村麿が蝦夷征討の折この地を通り、岩殿山に住む悪竜を退治し、村人を救ったことから始まったとされています。村人は喜びのあまり踊りながら餅をつき、坂上田村麿をもてなしました。
その後、毎年の祝とともに技巧が加わり、今日のような「もちつき踊り」になったと伝えられています。
踊りは大杵による曲づき(片かむりづき・両かむりづき・よろけづき等)と小杵による曲づき(にらめづき・けこみづき・十文字づき等)があります。
氷川神社の祭典は春が四月十七日、秋が十一月二十九日ですが、踊りの奉納は十一月二十三日の勤労感謝の日のみとなっています。
昭和六十一年三月 東松山市教育委員会
『風土記稿』野本村の項には、村内には金谷(かなや)・曲輪(くるわ)・在家(ざいけ)の三つの小名があり、当社は、そのうちの金谷の鎮守であり、円満寺の持ちであったとの記事がある。この記事に出てくる円満寺とは、氷川山と号する天台宗の寺で地内にあったが、神仏分離の際に廃寺となり、現在では寺伝も明らかではない。また『風土記稿』は、当社に続けて、在家には八幡社、曲輪には十二天社がある旨を記している。給油の待ち時間にぜひご参拝ください・・・・。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)