When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
御 由 緒
「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると、元明天皇の時代、慶雲5年(708年)に武蔵国秩父郡から和銅(ニギアカガネ)という天然の銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が和銅に改元されたと記されています。
和銅元年(708年)、朝廷は勅使に雌雄一対の和銅製蜈蚣(ムカデ)を持たせた。和銅が発見された和銅山前の祝山(いわいやま)に、和銅と和銅製蜈蚣を御神体とした神籬(ひもろぎ)を建て祝典を挙げました。祝典ののち、神籬を現在の地へ遷し、聖神社として神鎮められたと伝えられています。
これ以来、蜈蚣は聖神社の御眷属として大事にされています。
聖神社の聖とは、「この上なく耳聡く口すべらかな」(何をお願いしてもよく聞いてくれお願いを叶えてくれる)神様がいらっしゃるという意味でもあります。
昭和28年には、三笠宮崇仁親王が御参拝なされ、社前に松をお手植えされました。
翌年には秩父宮勢津子妃が御参拝なされました。
社殿は今まで5回建替えられたことが記録に残っており、現在の移築した社殿は、秩父市有形文化財に指定されています。
旧本殿は新社殿並びに遷され、和銅出雲神社として祀られています。
今 宮 神 社
(旧今宮坊・八大社・八大権現社)について
略 記
今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この両寺創立以前からこの地に、伊邪那岐大神、伊邪那美大神が祀られていました。大宝年間(701~704)には、役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地に、飛来して八大龍王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以って行われ、秋の収穫の喜びが十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神・御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社と観音堂(十一面、後に聖観音)を創建・相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今宮神社より須佐之男命(すさおのおの命=健康神・樹木神)を勧請して今宮神社を創建しました。
永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末(じきまつ)「長岳山今宮坊」と称し諸国先達二十九寺の一として又本山派年行事職として栄えました。
降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地十石、除地七石を賜り、組下四十九寺を結集して秩父霊地の発展に務め、現六十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに「江戸開帳」を行って、江戸-秩父間の交通路を拡き、秩父三十四札所の紹介と発展に貢献したと伝えられています。
明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現十四番)に分けられ、更に昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮小のやむなきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社法、古地図、古文書、歴代の別当、宮司の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
御神意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として開放、秩父市と協力して地域住民の心身の健康を祈って、福祉事業に専念いたしました。
ここに遊び育った、かっての子どもたちも心身健やかに成人して郷土社会の立派な担い手となりました。
ここに御神意の大成成就を御神前に報告し、神域を本来の姿に復したく、長い由緒を踏まえ、新たな決意を以て当神社の歩みを始めました。
平 成 五 年 四 月
今宮神社宮司(今宮坊二十世) 塩谷 太刀雄 敬白
景行天皇四〇年(西暦一一〇)日本武尊東征の砌、当地御通過に際し「大塚丘」に於て親しく富士の神霊を拝され、大鳥居を建てしめ、子方ひろし富士の神山は北方より拝すべし・・・・と詔(みことのり)して曰く、因りて丘上に小祠を営み、浅間大神を勧請し日本武尊の合わせ祀る。延暦七年(七八八)甲斐守紀豊庭、丘北に地をトし現在地に社殿を構える。以後、甲斐守藤原氏、北条義時公、武田信玄公、浅野氏重氏、谷村城主鳥居氏逐次造営、享保一八年(一七三三)富士道者、村上光清師造営現在の規模となる。
摂社 諏訪神社
勧請年代は不詳であるが古くから当社一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや『甲斐國志』巻之七十一神社部第十七上[諏訪明神]の記述からも相当の古社であることが伺える。元々は当地域の氏神であったが明治維新の際に北口本宮の摂社となる。例祭である「鎮火祭」は日本三奇祭の一つに数えられる「吉田の火祭り」のことで、勇壮な神輿の渡御や高さ三メートルにも及ぶ大松明八十本余の焚き上げ等、例年大勢の参詣者で賑わう。