森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


クリスマスローズがやってきた!! 2023

2023年03月08日 | 1/7,726 

武蔵丘陵森林公園の都市緑化植物園。この時季恒例となった企画展「早春を彩るクリスマスローズ」。今年も加藤農園さんのお宝を探しにやってきました。


今回は、どれでも1鉢1,000円という設定。加藤農園さんの生産直売所から回ってきたというクリローファンの方もいらっしゃいました。


で、選んだのはコレ。[♂]多弁ゴールドhybイエローピコティ ×[♀]多弁ピンクゴールド濃外弁。名前は『しんりん6号(準急)』としました。


「公園・庭園樹園」のクリロー畑。増えてますね。

>森の中の恍惚:クリスマスローズがやってきた!! 2022

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クリスマスローズフェア 2023

2023年02月18日 | 1/7,726 
ジョイフル本田ガーデンセンター新田店さん恒例の『クリスマスローズ フェア』、残念ながら今年も講習会復活ならずで販売会のみとなっていました。最終回は「吉田園芸」&「高正園」さんの販売会。他の苗も少し残っていてそれなりに楽しめるんですが、一時の勢いはちょっと薄れてきたように感じてしましますね。

>森の中の恍惚:高正園さんの土

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春のおとずれ節分祭

2023年02月03日 | 1/7,726 

........ とはいえ、まだまだ寒風吹きすさぶ節分祭。二年ぶりに東松山市「箭弓稲荷神社」の節分祭へ出かけてみました。


今年は平常通りの豆撒式(さすがに裃の着用はなかったようだ。)とのことで、ならば恒例の福豆福引で福は内。


煩悩の犬は追えども去らず........パインアメが2っ。


お正月に買い忘れていた「干支みくじ」でおめでたい。


>森の中の恍惚:箭弓稲荷神社 節分祭 2021

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ムーミン谷へ再び

2023年01月12日 | 1/7,726 

鏡開きも無事終わり。さあ、2023年の一歩めは昨年末に伺った「ムーミン谷へ」へ再び。さすがにこの時季、立体駐車場(R)ではポツンと一台........。


では、いつものとおりメッツァを抜けて「ムーミンバレーパーク」。今回もイベント割を使ってみましたが、それも今月いっぱいで終了。他に何かの割引が始まると来やすくなるんですけどね。


レットゥララウンジの裏手にスナフキンの小舟が泊まっています。『ムーミン谷の夏まつり(1954)』のクライマックスでムーミンと乗ったもののようです。細かい演出してくれますね。


今回は「おさびし山」を上ってみました。頂上には「天文台」。ムーミントロールにスニフとスナフキンの姿も見えます。


そして「ヘムレンさんの遊園地」。今日はまさに『沈黙の園』。


坂を戻るのもナンなので、奥の山道を下っての「スナフキンのテント」へなんだけど........、けっこうな階段だったりする。


テントの手前にはヘムレンさんが置いたと思われる「白鳥のカルーセル」。これまた細かい演出ですね。


山を上ったご褒美はスナフキンの「豚まん」


そして、ライブラリー カフェで「セムラ」


と、スーベニアカップの「プリン」


企画展エリアの「ムーミン谷のしあわせなくらしのかたち展」も今回はしっかり回ってきました。


これで「ムーミンバレーパーク」もなんとかコンプリートですね。また何れ........なのです。

>森の中の恍惚:ムーミン谷の12月

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クリロー福袋

2023年01月02日 | 1/7,726 
赤城おろし吹きすさぶ中、武蔵国から利根大関を超えての本年初は「ジョイフル本田千代田店」さん。特にコレって用事は無かったんだけど、ガーデンセンターの福袋。「クリロー福袋」に「インテリアプランツ」「多肉植物」「バラ&宿根草(バイキング形式)」などなど。いずれも個数限定とのことですが、なんと元旦(昨日)からの営業だったんですね。まだちょっと残ってました。

:新田店さんのクリローフェアの日程が決まったようです。(残念ながら今年も講習会は中止となっています。)
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 1 / 14(土)~ 20(金)野田園芸
 1 / 21(土)~ 27(金)横山園芸
 1 / 28(土)~ 2 / 03(金)広瀬園芸
 2 / 04(土)~ 10(金)大木ナーセリー、加藤農園
 2 / 11(土)~ 17(金)大森プランツ、松村ナーセリー
 2 / 18(土)~ 24(金)吉田園芸、高正園

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ムーミン谷の12月

2022年12月14日 | 1/7,726 

コロナ禍まださめやらぬ2022年も12月、久しぶりに出かけてみたのは武蔵丘陵森林公園........ではなく埼玉県西部民の間ではいまだ「レイクサイドパーク」のイメージ残る(?)飯能市の『宮沢湖』。


2018年に「メッツァビレッジ」、そして2019年にOPENした「ムーミンバレーパーク」の入り口となります。


なので、武蔵丘陵森林公園ではない.......。


ありし日の宮沢湖をふと想う、昭和の埼玉県西部民........。


では、「メッツァビレッジ」を抜け、「ムーミンバレーパーク」へ。平日のOPEN早々もあってか、まだ人影はチラホラ。


切株に乗せた小さな四阿にカラーリーフの寄せ植えが飾ってあります。これは、いい感じですね。


…… と、着きました。「ムーミンバレーパーク」。今回は前売りのイベント割を使ってみました。ちょ~っとお安く入れます。


さっそく、ミイちゃんが........。なんかにか企んでますね。


ムーミンママとスナフキン


「はじまりの入り江」から「水浴び小屋」を越えるとメインの『ムーミン谷』となります。正面大きな建物は、売店や食堂を備えた展示施設「コケムス」。その右には「ムーミン屋敷」が見えますね。左端にちょこっと写っているのはキャラクターショーが行われる「エンマの劇場」です。


「コケムス(KOKEMUS)」の中央にはムーミンの物語の生みの親「トーベ・ヤンソン(Tove Jansson)」とトーベが生み出したムーミン谷の仲間たちの像があります。そして、3階の展示室ではトーベ本人の声も聴くことができます。


外へ出ると「ムーミントロール」。驚かせてくれました。


ムーミン屋敷では「トゥーティッキ」がお出迎え。


「リトルミイの店」では『スニフ』が何かを狙っている........。


「リトルミイのプレイスポット」~「海のオーケストラ号」とイベントを楽しんで「おさびし山」へ入ると「ニョロニョロ」の一軍。バレーパーク内の売店にも無数にいます。


ムーミン谷のはずれには「スナフキンのテント」。今日は入園口に居ましたね。


ムーミン谷に戻ると「エンマの劇場」でショーが始まりました。「魅惑のマンハッタン・ダイナマイト♪」でダンシングです。ちょうどこの時間はド直球の逆光でダイナマイト。


さあ、ライトがちらほらつきだしました。この時期の日の暮れは早いですね。「メッツァビレッジ」へ戻ることとしましょう。


久しぶりのテーマパークということあってか、けっこう楽しめた「ムーミンバレーパーク」。イベント割の期間中にもう一度くらいって思うのでした。早くこんな日常に戻るといいですね。

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妻沼小島の神明神社

2022年02月26日 | 1/7,726 

「白山神社」の道標に導かれて(?)利根川を渡ってやってきました。妻沼小島の「神明神社」。ちょっと小さめの鳥居が迎えてくれます。


 当社の鎮座する小島の地の開発は古く、平安末期から南北朝期にかけての記録には上野国新田荘知行分として「小嶋郷」の名が見える。小島は、今でこそ町内の他の大字とは川幅八〇〇メートルの利根川に隔てられ、群馬県側の左岸に位置しているが、古くは右岸にある台や出来島などと地続きで隣り合っていたといわれる。
 利根川沿いの低地である小島は、古来幾度となく洪水に見舞われてきた所で、その度に当社も社殿が流出するなどの被害を受けていた。このため、記録類を失っており、創建の年代なども明らかでない。
 『風土記稿』を見ると、小島村の鎮守は春日社で、「神主萩原和泉吉田家配下」とある。一方、当社については「村民持」とだけしか記されていない。ところが、明治初年の『明細帳』では当社が村社となり、春日社は無格社になっている。こうした鎮守の交替は、明治維新の影響によると考えられ、時の神職荻原家がかかわったものであろう。
 明治四十四年、当社は、築堤のため、字並木にあった旧来の社地から字池之端に新たに設けられた現在の境内に遷座し、同時に春日社をはじめとする地内の無格を合祀した。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


 小島では、今でこそ堤防の改修などのお陰でかつてのような大水が出ることはなくなったが、昭和二十二年の大洪水までは毎年必ず二、三回は洪水に遭っていた。当地は、低地であることに加えて川のそばであるため、すぐ障子の上まで水が来たものであったが、不思議なことに、当社は流出しても民家が流されることはなく、犠牲者が出ることもなかった。そのため、氏子はこれを「神明様の御加護」として尊び、疲弊はしていても社殿の修復には力を惜しまなかったという。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


左側のこんもりには「猿田彦社」。


そして、手水舎とはさまれる祠には、子どもたちを水難からを守るという「水神社」。


中には神輿が納められています。屋根と台輪も紋が「水」となっていますね。
 利根川に沿って東西に細長い小島は、上小島と下小島の二つの組から成っている。上小島は大字の西側に、下小島は東側にそれぞれ集落を形成しており、当社は下小島の西のはずれにある。
  (中略)
 組ごとの行事としては、毎年七月十二日の水神様がある。小島では、古くから上下別々に水神様を祀っており、この日には子供の水難除けを祈ってそれぞれ祭を行っている。下小島の水神社は当社の境内にあり、その祭日には社殿の中に納めている神輿を出して飾り、宮司によって祭典が奉仕される。小学校三年生くらいまでの子供は「奉納水神宮」と書いた五色の布を篠竹に付けて作った旗を持って参詣し、この旗を水神社の祠の前に立てていく。昭和三十年ごろまでは、大人が神輿を担いで下小島を一巡したものであったが、交通量の増加に伴い、神輿渡御は以後中止となっている。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


小島の地より利根川を越え出来島、男沼を望む。

:ここです→ Google マップ

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妻沼 大我井神社

2022年02月26日 | 1/7,726 

妻沼の聖天さま「貴惣門(きそうもん)」のすぐ東側、大我井の杜に鎮座する妻沼総鎮守「大我井神社(おおがいじんじゃ)」に参拝。


参道の正面に見えるんのは「神門(唐門)」。鳥居の後ろには「駒形社」が並んでいます。門神なのでしょうか?


参道左には、しっかりとガードされた「福石」。となりに由来の碑があるんだけど........ちょっと無理。なんだか、昔、洪水で流れ着いた石を祀っているそうで、「力石」ではないようだ。


神門(唐門)をくぐっての参拝。
大我井神社唐門の由来
当唐門は明和七年(百八十六年前)若宮八幡社の正門として建立された 明治四十二年十月八幡社は村社大我井神社に合祀し唐門のみ社地にありしを大正二年十月村社の西門として移転したのであるが爾来四十有余年屋根その他大破したるにより社前に移 動し大修理を加え両袖玉垣を新築して面目を一新した
時に昭和三十年十月吉晨なり


 鎮座地は、利根川右岸に半島状に突き出た自然堤防上にある。周囲は低地で、太古、利根川が乱流した折に大海のようになり、水が引くと大きな沼が二つ残った。古代の人々は、上の沼を男(お)沼、下の沼を女(め)沼と呼び、これらの沼には水の霊が宿ると信じた。このため、この二つの沼を望む自然堤防の突端に社を設け、季節ごとの祭祀を行った。この社とその周辺は、巨木が林立し昼なお暗い森を形成していた。森は、現在の「大我井神社」と「聖天山」の境内地を合わせたほどの広さで大我井の森と呼ばれる神域であった。また、ここは後に藤原光俊により「紅葉ちるおおがいの杜のゆうだすき又めにかかる山の端もなし」と詠われた。
 奈良期、当地一帯に入植した渡来人は、この大我井の森に白髪神社を祀った。白髪神社は、『延喜式』神名帳に登載された幡羅(はら)郡四座の内の一座である。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


 慶応四年(一八六八)から全国諸社に神仏混淆を禁じるため、神仏分離令が布達された。聖天社禰宜は、このような時流に乗じ、別当・社僧・社守修験を廃し、純然たる神社として祭祀を行うことを主張し、歓喜院と係争に及んだ。しかし、由緒ある聖天社の運営について長く係争することは崇敬者のためにも良しとせず、別当・禰宜・村役人立会いのもと明治元年十二月、和解が成立した。「議定書」によると、聖天社境内のうち妻沼宿並びに往来の東側に新たに分離独立した伊弉諾命・伊弉冉命を祀る二柱神社を再興し、禰宜はこの社の祭祀に専念すること、聖天社そのものは「聖天山」と改称し、以後寺院として歓喜院が運営すること。社僧はこれに属すること、従来の崇敬区域である妻沼村ほか二八か村は、二柱神社の氏子並びに聖天山の永代講中とすること、とある。
 聖天社から分離独立した二柱神社は、明治二年、社名を古代から神々の坐す大我井の森にちなみ、大我井神社と改称し、社殿が造営された。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


本殿はごくシンプルな神明造り。裏の森は妻沼小学校の校庭に続いています。


社殿脇には「大我井神社の火祭り」で有名な末社「富士浅間神社」の富士塚。石段脇に並んで「富士浅間大神」「小御嶽大神」「身禄神霊」「角行神霊」「角行霊神」「大澤御前大神」


西側の鳥居。両部鳥居だったんでしょうか? 穴のこってますね。


ちょっと残念な由緒板........。
武州妻沼郷大我井神社
大我井神社は遠く人皇第十二代景行天皇の御代日本武尊東征の折り、当地に軍糧豊作祈願に二柱の大神、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀った由緒深い社です。
古くは聖天宮と合祀され、地域の人々から深い信仰を受けてきた明治維新の神仏分離令により、明治二年、古歌「紅葉ちる大我井の杜の夕たすき又目にかかる山のはもなし」(藤原光俊の歌・神社入口の碑)にも詠まれた現在の地「大我井の杜」に社殿を造営御遷座しました。その後、明治四十年勅令により、村社の指定を受け妻沼村の総鎮守となり、大我井の杜と共に、地域の人々に護持され親しまれています。
なかでも摂社となる冨士浅間神社の「火祭り」は県内でも数少ない祭りで大我井神社の祭典とともに人々の家内安全や五穀豊穣を願う伝統行事として今日まで受け継がれています。
熊谷市観光協会


:ここです→ Google マップ

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クリスマスローズがやってきた!! 2022

2022年02月22日 | 1/7,726 

サンシャインのクリロー展も無事終了し、今回もその存在感をドカンと見せてくれた比企の誇るナーセリー「加藤農園」さんのクリスマスローズが今年も武蔵丘陵森林公園へやってきました!


あのプリマヴェーラ交配なんかも超お手頃価格で購入できますので、気に入った一鉢、二鉢、三鉢........と、キリないですね。

では、どうぞ。






イベントは 3/21(祝)までとなっています。販売苗は状況を見て補充しているということですのでご安心ください。


展示棟の企画展示は「飾って楽しむドライフラワーとタネ」。クリローもありますので探してみてください。


ハーブガーデンはただいま改装工事中。だいぶ様子が変わりそうですね。


「公園・庭園樹園」のクリロー畑。なんか昨年より空いている感じなんですが........。


ワイルドに咲いてました。


なんか囲ってあったんですが、覗いてみたらチューリップの畑のようです。


一時期、野外施設ということもあってかだいぶ賑わいをみせていましたが、この季節ちょっと落ち着きとりもどしたようですね。イヌ連れも少なく、ネコものんびりと歩き回っているのでした。

>森の中の恍惚:クリスマスローズがやってきた!! 2021
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摩多利尊天

2022年02月13日 | 1/7,726 

妻沼の聖天さま(聖天山歓喜院)の西、国道407号線をはさんだ向かい側にこんもりと鎮座する「摩多利神社」です。別当寺「歓喜院長楽寺(聖天さま)」と氏子町会によって護られてきた神社で、利根川流域より広がった「摩多利神信仰」の中心地と伝えられています。


神社でおなじみの鳥居は無く、入口の左右に庚申塔。右側には「青面金剛像」や「猿田彦大神」も置かれています。


左側には「二十二夜塔」が。残念ながら右端の大きな石碑は分からなかった。種子なんだろうか?


手水舎はだいぶ朽ちてきています。


石段を上がって参拝。権現造のシンプルな社殿です。


屋根の上に狛犬(獅子)。かまえ獅子というのでしょうか? お尻を上げて体をよじっていますね。これは近くで見てみたい。残念ながら「吽」のほうは無くなっているようです。


正面には奉納額。でも読めない........。


脇にある額には「摩多利尊天」とある。


思わず(←失礼っ....。)立派な本殿。


社殿裏には稲荷社(たぶん)。


「摩多利神」は神話に登場する神ではなく仏教由来の神のようです。疫病や災厄除けの神として、坂東太郎と呼ばれる利根川流域の洪水そして疫病に苦しんだ先人の強い願いが込められているようです。時を越え、この現在の混沌としたコロナ禍にあって、その早期終息をマタラジン様にお願いするのでございました。


佛説却温黄神咒經

聞如是
一時 佛遊王舎城竹林精舎 與四部弟子大衆倶會 爲説經法
爾時 維耶離國 屬疫氣猛盛 嚇嚇猶如熾火
死亡無數 無所歸趣 無方救療
於是 阿難長跪合掌 白佛言 彼維耶離國 遭温氣疫毒
唯願世尊 説諸聖術 却枯毒疫 令得安穩 離衆苦患
佛告賢者阿難 汝當聽受之
有七鬼神 常吐毒氣 以害萬姓
若人得毒 頭痛寒熱 百節欲解 苦痛難言 人有知其名字者 毒不害人
是故吾今爲汝説之
阿難言 願欲聞之
佛言 若四輩弟子 欲稱鬼神名字之時 當言
 南無佛陀耶 南無達磨耶 南無僧伽耶 南無十方諸佛
 南無諸菩薩摩訶薩 南無諸聖僧 南無咒師 某甲
今我弟子 所説神咒 即從其願 如是神名 我今當説
 沙羅佉
三説沙羅佉已 便説咒曰
 夢多難鬼 阿佉尼鬼 尼佉尸鬼 阿佉那鬼 波羅尼鬼 阿毘羅鬼 波提犂鬼
佛言 是七鬼神咒
名字如是
若人熱病時 當呼七鬼神名字 言
 疾去疾去莫得久住
我弟子身 令毒消滅 病速除愈
我弟子 今歸依三寶 燒香礼敬 行是諸佛所説神咒
若有鬼神 不隨諸佛教者 頭破作七分 如阿梨樹枝
若人得病 一日二日三日 乃至七日 熱病煩悶 先咒神水 以與病者飲之 當三七遍誦此咒經
疫毒五温之病 並皆消滅
若亦立門 書著氣病者 當額書七鬼神名字
復取五色縷線 各各結其名字 繋著門上 大吉祥也
若能勤誦此經 専心受持 齋戒不喫熏辛 誦此七鬼神名字 温鬼永斷 不過門戸
自進至患家 鬼見皆走 一身永不染天行
若能專心勸人書寫受持讀誦此經 銷殃却害無事不吉
若人不能誦 得竹筒盛 安門戸上 温鬼不敢過門 亦得延年養壽 大吉祥也
 阿難叉手白佛言 當何名此經 云何奉持
 佛言 此經名 爲却温神咒
 佛説如是
 天龍鬼神 一切大衆 門咒勸喜 作禮奉行
   却温神咒經


:ここです→ Google マップ

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