森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

一周忌法要

2018年01月14日 | 農夫の祈り

修 証 義
第一章(総序)

生を明らめ
死を明きらむるは
仏家一大事の因縁なり
生死の中に仏あれば生死なし
但生死すなわち涅槃と心得て
生死として厭うべきもなく
涅槃として欣うべきもなし
是時初めて生死を離るる分あり
唯一大事因縁と究尽すべし
人身得ること難し
仏法値うこと希なり
今我等宿善の助くるに依りて
已に受け難き人身を受けたるのみに非ず
遭い難き仏法に値い奉れり
生死の中の善生、最勝の生なるべし
最勝の善身を徒にして
露命を無常の風に
任すること勿れ
無常憑み難し
知らず露命いかなる
道の草にか落ちん、身已に私に非ず
命は光陰に移されて暫くも停め難し
紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし
熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し
無常忽ちにいたるときは国王大臣親昵従僕
妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり
己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり
今の世に因果を知らず、業報を明らめず、三世を知らず
善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず
大凡因果の道理歴然として私なし
造悪の者は堕ち、修善の者は陞る
毫釐もたがわざるなり
若し因果亡虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず
祖師の西来あるべからず
善悪の報に三時あり
一者順現報受
二者順次生受
三者順後次受、これを三時という
仏祖の道を修習するには
其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり
爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり
但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く
当に知るべし
今生の我身二つ無し
三つ無し
徒らに邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん
惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い
悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて
悪の報を感得せざるには非ず


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