ー 結婚 ー
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「私の言葉を信じなさい。結婚は単語ではなく文章(宣告)である」(「やさしいビジネス英語」1997.7 NHKラジオ)。
「白昼の決闘」などの作品があるアメリカの映画監督、キング・ヴィダーのことばである。だからなに?と問う向きは幸せだ。地下のキングからお祝いのことばが届くだろう。
ご存知のように「文章」は英語でセンテンスというが、センテンスには「刑の宣告」という意味もある。キング自身、3回の結婚を経験している(ウィキペデァ)。だからこれは経験者ならではのおふざけである。
それにしても、幾山河越えてきた男にとって、女にとって、沁みることばである。
結婚というのは、好きだからというごく単純な理由で男と女がくっつくことである。少し乱暴にいえば、男というものの本質、女というものの本質はもとより、世間のことなどたいして知りもしないふたりがくっついた状態である。好きならくっついたままでいればいいものを、ご丁寧にも役所に届けを出す。
これは皮肉屋に言わせれば自分に判決書を書くようなものである。届けを出したが最後、ちょっと事情が変わったからといって別れるのは至難の業。話し合いで片付けばいいが、片付かなければ裁判所に持ち込むことになる。裁判所に持ち込んでも100パーセント離婚が認められるとは限らない。認められなければ後は “ 針のむしろ ” に座りつづけることになる。
そういう危険を冒してまでなぜ結婚をしたがるのか。
若いから。この一語に尽きる。そうはいっても30歳の人間が50歳の頭で考えることは不可能だ。
気の利いたことを言える分際ではないが、結婚を選択するということは身を栗の殻に入れると同じことのような気がする。
中にいる分には多少なりとも心地いいが、外に出るには容赦のない針の山を越えなければならない。