わたしひとり

子育て終盤、子どもたちは家をでて時々わたしに当たり散らすモラハラ夫と愛するワンコとの生活を綴ります。

期待されて

2020-09-01 15:29:00 | 日記
むすめ達が小学生のとき

わたしはむすめ達の将来に勝手な幻想を描いていました

わたしは勝手でバカな親でした

わたしがむすめ達本人の気持ちを尊重するようになったのはむすめ達が12歳ごろになってからでした



夫はわたし以上に具体的に理想を描き

むすめ達をそれに近づけるように誘導していました

むすめ達が少しでも理想と異なる行動をしたら

夫は苛立ってわたしやむすめ達に当たり散らしました




こういう弊害があったせいかどうかわかりませんが

次女は高校生になると不登校になり家で暴れたりするようになりました




継続は力なり、という言葉を聞くと胸がチクリとします

不登校、転校、中退、転職、離婚、

何かを途中でやめることをよく思わない人は多いです
次女のことで不登校の子どもを持つ親の苦しみがわかりました
親として何がいけなかったのだろう、これからどうしたら良いのだろう

もちろん本人がいちばんつらいのでしょうけれど
親の苦しみというのも相当なものなのです



なにをやっても続かないのではと思われるのを怖れて

周囲の期待に沿った選択をする人も多くいます

すすめられて納得してそれを選ぶのなら自分の選択、決断と言えますが

親は進路が決まらないことが不安になります

その不安から逃れたくて親が誘導してしまうことがあります


周囲の期待にそむくのは勇気がいることです

期待どおりにしていれば大きな失敗はしないし無難に生きることができます



でも長女のように自由をもとめるひとは

親を心配させない無難な生きかたを期待されたら
重荷になるでしょう


わたしは長女に自由に生きてほしいと思いながら
あぶない目に遭わないかと心配してしまうのですが
わたしの価値観を押しつたくない、押しつけてはいけないという気持ちがあります



心配な気持ちに蓋をして

ときどき明るく声をかけるしか

わたしにできることは思いつきません


長女はもう大人なのですから

ひとりでなんとかするでしょう

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