わたしひとり

子育て終盤、子どもたちは家をでて時々わたしに当たり散らすモラハラ夫と愛するワンコとの生活を綴ります。

言葉の花束 

2020-09-28 20:21:00 | 日記
最近気持ちが下がり気味で元気が出ません

去年から腰痛や関節痛が長引いて体力に自信がなくなったせいもあります

今後の人生を楽しむための体力に不安がうまれてしまいました

どうしたら良いのかヒントをもらいました





自分がこうすべき、こうあるべきと思っているのに
夫や子どもがそのように行動してくれない

そこにいら立ちを感じ自分が蔑ろにされていると悲しんだり

怒りをつのらせたり

誰からも理解されず追い詰められた気持ちになったり

身体が思うように動かなくなり鏡を見てガッカリしたり

わたしくらいの年齢になれば不機嫌になる要素は山ほどあります

ですから自分がどうしたら機嫌よく1日を過ごせるか考えてみることです

機嫌よく生きるためにはまず少しいい加減になること

極端に走らず、それもいいけれどこんな考え方もあるというやわらかさをもつ

自分と違う選択をする人のことも認めることができるとラクになるはずです

そして、ありのまま、わたしらしくという思い込みを捨てて

自分のためだけでなく人や社会のために自分の力を役立てて学習し成長し続けることが

上機嫌への道です

他人を変えるのは難しいけれど努力によって自分の考えや行動を変えることはできます





探しもの

2020-09-15 10:28:00 | 日記
いまのわたしはそれなりに平和な暮らしをしています



かわいいワンコもいてくれるし

むすめ達の生活もあまりのぞかないようにして

心配もしないようにしているし



わたしくらいの年齢だと恋愛とか出産とかそういう舞い上がるような大きな幸せはないでしょうけれど

生活のなかに小さな幸せを見つけることはできると思っています



それなのに愚かなわたし

過去の不幸を反芻してしまったり

過去の怒りを引っ張り出してきたりしてしまいます

幸せさがしをしようと思っているのに不幸さがしをしています



夫がわたしに言った暴言の数々を思いきり吐き出したくなってしまいます

そんなことをしたって全然幸せな気持ちになれないのに

愚かなわたし




夫が以前のように暴言を吐けば

わたしは住むところをこっそり探して夫に黙ってこの家を出ていくことができます

いっそのこと夫に決定打を言ってほしいとさえ思ってしまいます




いまを楽しむって難しいことではないと思っていたけれど

意識して考えかたを変えないとできないのかもしれません



期待されて

2020-09-01 15:29:00 | 日記
むすめ達が小学生のとき

わたしはむすめ達の将来に勝手な幻想を描いていました

わたしは勝手でバカな親でした

わたしがむすめ達本人の気持ちを尊重するようになったのはむすめ達が12歳ごろになってからでした



夫はわたし以上に具体的に理想を描き

むすめ達をそれに近づけるように誘導していました

むすめ達が少しでも理想と異なる行動をしたら

夫は苛立ってわたしやむすめ達に当たり散らしました




こういう弊害があったせいかどうかわかりませんが

次女は高校生になると不登校になり家で暴れたりするようになりました




継続は力なり、という言葉を聞くと胸がチクリとします

不登校、転校、中退、転職、離婚、

何かを途中でやめることをよく思わない人は多いです
次女のことで不登校の子どもを持つ親の苦しみがわかりました
親として何がいけなかったのだろう、これからどうしたら良いのだろう

もちろん本人がいちばんつらいのでしょうけれど
親の苦しみというのも相当なものなのです



なにをやっても続かないのではと思われるのを怖れて

周囲の期待に沿った選択をする人も多くいます

すすめられて納得してそれを選ぶのなら自分の選択、決断と言えますが

親は進路が決まらないことが不安になります

その不安から逃れたくて親が誘導してしまうことがあります


周囲の期待にそむくのは勇気がいることです

期待どおりにしていれば大きな失敗はしないし無難に生きることができます



でも長女のように自由をもとめるひとは

親を心配させない無難な生きかたを期待されたら
重荷になるでしょう


わたしは長女に自由に生きてほしいと思いながら
あぶない目に遭わないかと心配してしまうのですが
わたしの価値観を押しつたくない、押しつけてはいけないという気持ちがあります



心配な気持ちに蓋をして

ときどき明るく声をかけるしか

わたしにできることは思いつきません


長女はもう大人なのですから

ひとりでなんとかするでしょう