80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

旧国立柏病院職員宿舎(仮称)

2012年04月23日 | 建築物
最近、パソコンの調子が更に悪くなり、ネットの接続が億劫になるし、ブログに掲載する写真をリサイズするのも大仕事になって遅々として進まない。
おまけに何だか忙しくなってしまい、気がついたら写真が溜まり過ぎているではないか。
在庫整理をしなくてはって事で、かつての実家があった我孫子に3月に出かけた時に撮影してきたものを掲載します。

国立柏病院の職員宿舎跡

去年の5月に立ち寄って以来となるが、その時は、道を行く老婆から、何かあるんですかと質問されたので、我孫子に住んでいた頃に気になっていたのを思い出して来たと告げた。
すると、老婆が根戸の辺りの出身とわかり、色々と雑談をしたのを思い出す。
元々、この住居は陸軍病院を前身とする旧国立病院の看護師の宿舎だったらしく、今でも残っているが撤去しておらず、岩をはじめとして不法投棄の現場になっているらしい。
戦争でむちゃくちゃになったと嘆き、時間が止まったようだよとつぶやいていたのが印象的だった。
退廃した風景は好きだが、地元民が困っている以上は早く撤去して更地にするべきだろう。

我孫子の先まで電車が走るようになった昭和20年代後半の事を話し始めたので、事のついでに、近くにある送電鉄塔は国鉄が電車を走らせる時に建てたものじゃないかと訊ねたところ、やはり前身が国鉄送電線だったらしく、元々の低い鉄塔に代えて東京電力が高い鉄塔を新しく建てたらしい。
そこから後は辺りが畑ばかりであった頃の話になり、花野井のところの昔からの地主とデイケアでたまに会ったりするのよ、とか、戦争当時の思い出として、その人の自宅のところに元衛生兵がやってきて野菜を分けてほしいとお願いされ、兵隊に金を要求できる訳がないからそのまま分けてやったとか、老人の話があちこちに飛んで辺りがすっかり冷えてきた。

これから身内の家で風呂に入って夕食をする事を口にしていたので、せっかく身内の家に行くのに邪魔しちゃ悪いし、遅くなって冷えるとまずいから、続きはまたの機会にしましょうと別れた。
鉄道の跡地で聞き取りをしてまわるようになり一期一会という言葉をより深く認識するようになって、別れの際にはいつも次はないのだと後ろ髪を引かれる思いに駆られるが、あえてまた会える事を期待して手を振り続けた。

今回は再開する事はなかったが、しょっちゅう立ち寄る機会があるのだから、また会える事もあるだろうと密かに期待している…。


北側



南側



西側



玄関だろうか?
裸電球がそのまま残っている。



物干台が転がっている。



後方に見える送電線(東京電力我孫子線)の前身は、当時の日本国有鉄道の送電線だったらしい。



牛乳入れがあったようだ。



煙突のあるところが台所だったのだろうか?


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-05-16 20:25:45
いろいろ見ていてこちらにたどり着きました。柏駅近くからこちらに越してきてから、私も気になる場所でした。
寮だったとは驚きです!
あそこは…きちんと供養して綺麗にするべきな場所だと思いますね。
返信する
ようこそいらっしゃいました (ブログのヌシ)
2013-05-22 00:40:10
何某様、返事が遅くなって申し訳ありません。
県道からちょっと入ったところなのに、あそこは静まり返っていますよね。
返信する

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