80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

柏市五条谷 稲荷神社 その2

2012年07月23日 | 神社仏閣・石碑
 五条谷の稲荷神社は、石塔石仏その他が多くて後日追加撮影をしたが、県道沿いの馬頭観音等については、日を改めて再撮影を行った。

  

 県道沿いは破損した石塔が多く、馬頭観音塔の右隣にあった宝永五年の石塔は、何の石塔だったのかわからず、更に右隣の石塔に至っては、表面の剥離で十の数字以外さっばりわからなかった。



 

 安永七年十月吉日の石塔は、講中八人の文字と猿の彫り物(見ざる、聞かざる、言わざる、の三猿)で、やっと青面金剛が彫られた庚申塔とわかる程に表面が荒れていた。



  

 弘化四年十月十日の青面金剛の文字が彫られた庚申塔は、三猿の礎石がいささか埋もれているのが惜しいが、比較的良好な状態で、右大井,左大嶋田の文字が読める。



  

 正面から撮影できなかった寛政六年の庚申塔は上部左側と下部が剥離しており、更に右隣は、最早、何の石塔かわからなかった。







 この庚申塔に至っては、文■ 元 戌寅としか読めず、こよみのページにある、元号・西暦変換から、文政元年とわかったが、政の偏と旁が天地に並んだ、異体字というのか変わった字体だと、読むのに一苦労だ。
 手元にインターネットがあって、曖昧な手がかりからも調べる事ができるようになったおかげで、ただ撮影して画像をストックするだけに留まらず、新しい知識が増えて、より楽しめるようになったのはありがたい。





  

 文政元年庚申塔の右隣の不明石塔を経て、更に右隣にある天保十年の庚申塔は、三猿の一部が剥離し、安永七年の庚申塔程ではないものの無残な状態であった。





  

 享和二年の庚申塔は、特に見るべきものはなく、三猿の周囲の物体が岩か雲かその他かわからず、とてもモヤモヤする。



 

 ひとまず稲荷神社の撮影が終わり、この後、東へ移動して、柏市若白毛のとは別の庚申塔群を発見したが、撮影トラブルの連続で、またも手こずる事となった。


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