いつものように業平橋駅での定点撮影を済ませ、言問橋で東京スカイツリーの定点撮影をしようとしたが、画面に太陽が入ってしまうので、時間つぶしに周辺をぶらぶらした。
原付で走ってて最初に目についたのが、台東区今戸1丁目6番地の本龍寺の仁王像で、いつものように寺の正面を撮影しようとしたら、山門の脇に掲げている掲示板の言葉が私の心に響いた。
“沈んでも 希望の峰から 日は また昇る”
しばらく心の中でつぶやいて、正面の撮影に続いて仁王像を撮影しようとしたところ、千社札禁止の札が掲げられているのと、防犯カメラらしい装置があるのに気がついて思わず苦笑し、撮影を続けた。
近くを通りかかった女性が、わざわざ歩行者信号を渡ろうとする足を止めて、すぐ近くにある今戸神社を訪れたらどうかと勧めてくれた。
信号をひとつ飛ばしてまでわざわざ声をかけて下さった事にお礼をして、今戸神社に移動した。
ところで、本龍寺について調べたところ、寺の本堂にある鏝絵は長年作者不明とされてきたが、左官職人の田村恵稔(本名田村守雄)氏の手によるものである事がわかったという記事があった。後日改めて訪問する事にしよう。
さて、本龍寺の目と鼻の先にある今戸神社に移動すると、ここは招き猫発祥の地であるらしく、また、沖田総司終焉の地であるらしい事が、境内の石碑で知った次第である。
また、今戸焼発祥の地なる石碑が設置されていて、瓦から日用品まで幅広く生産していたのが今戸焼である事が、後でわかった。
更に、境内には縁結びと書かれた幟が掲げられていたが、内心は縁があって欲しいなと思いつつも、俺には関係あるまいと撮影を続けた。
春の息吹がいよいよそこまで来ている事を実感させられるが、境内には若い女性が沢山おり、後から後からやってくるではないか。やはり良い縁を求めて来るのであろうか?
塀のところから顔を出していた花が梅か桜かよくわからなかったが、河津桜である事が立て札でわかった。
そこに停めてあった日産シルビアの赤いボディに見とれていた時に、近くを走り回っていた幼児が転倒して声をかけたのがきっかけでその母親としばらく雑談してしまった。
このご時勢での子育ての苦労がしのばれる…なんて思ったら、別の車のボンネットを叩いて遊び始めた。
赤の他人なのに思わず口調が厳しくなってしまい、すぐに止めさせたけど、綺麗なボディに埃まみれの手形がくっきり。あーあ…。
それにしても子供はよく動き回って、なかなか帰ろうとしない。
一部の母親が、いつまでも言う事を聞かない子供に怒鳴り散らす背景が少しだけわかったような気がした。
ならばこそ、子育てを母親任せにせずに協力して、たまには子育てを忘れさせて羽を伸ばせるようにしなくてはならないなと思った。
この後、平賀源内の墓所とかを回って、言問橋から東京スカイツリーを撮影して引き上げた。
翌日、千葉市にある支社に書類を提出して自宅まで帰るついでに、デジ一眼の遭難で撮影できなかった椿森公園と旧陸軍鉄道連隊の石碑を撮影した。
お腹が空いたので、たまに立ち寄る雑貨屋でサンドイッチをつまもうと立ち寄ったのだが、シャッターが下りて閉店のお知らせが貼り付けてあった。
去年立ち寄って雑談した時には、閉店するとか閉店を匂わせるような事は話してなかったのに…。
残念無念ではあるが、戦争が終わって間もない時代から店をやってきたのだからと納得して、国道16号線に向けて原付を走らせた。
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