初めて佐藤商店を訪ねたのは、平成元年廃止のJR天北線を調査していた平成10年10月15日の15時過ぎだったと思う。
ただの集落となってしまった猿払村小石には、旭川から稚内を結ぶ宗谷本線のうち、幌延ルートに先んじて建設されて宗谷線を名乗った、音威子府からオホーツク海の浜頓別を経て稚内に至るルートが由来のJR天北線小石駅があり、昔はそこから炭鉱鉄道が分岐して石炭を採掘していた。
商店の店主である初老の女性に、昭和30年代の小石の市街地と藤田炭鉱の炭鉱鉄道の様子を伝える記事が掲載されていた雑誌“鉄道ファン”を片手に、当時の様子について訪ねたところ、当時を懐かしそうに振り返って、色々と話してくれた。
炭鉱労働者相手のパチンコ屋もある程賑わっていた当時の小石について話が弾んでしまって日没となってしまい、峠を越えるのが面倒になってしまったので、小石のバス停の待合室で野宿をする事にした。
翌日、早朝にパンを食べて出発する準備をしていたところ、07時頃に佐藤商店の店主が食事を差し入れして下さったので、ありがたく頂き、お世話になったお礼に次回訪問の際に雑誌を差し上げる事を約束して、小石を後にした。
佐藤商店の店主との約束である、藤田炭鉱の記事がある雑誌の譲渡をすぐに果たせないまま、数年の歳月が流れてしまったが、2003年05月に道北方面に立ち寄る機会があったので、強引に予定をつくって午前09時頃に訪ねてみた。
ところが、シャッターは1枚開いていただけで、店内からは商品がほとんどなくなっており、雑然と物が置いてあるだけであった。
店主を呼んだところ、見覚えのある初老の女性ではなく男性が出てきて、女性の親戚という男性に話を聞くと、女性は旭川方面に転居し、店は最近廃業したと告げられた。
訳を話すと、転居先を教えてくれたので、途中に予定していた天北線の小頓別付近の調査を中止して旭川方面へと急いで向かった。
ところが、目的の住宅に到着したものの、用務で今日は戻らないとの事だったので、理由を説明して雑誌を渡してもらうように頼んだところ、後日、便箋で丁寧な返事が届いた…。
以下、許可を頂いて撮影した店内の写真を掲載するが、棚に置いてあった紙細工の人形や、愛犬がとても気がかりである。
全景
北東側を望む
南東側を望む
愛犬
南西側を望む
西側 紙細工
北西側を望む
あれから幾年が過ぎたであろうか、一昨年の秋に小石の集落を再び訪ねたところ、まだ店舗が残っているのにとりあえず安心した。
ただの集落となってしまった猿払村小石には、旭川から稚内を結ぶ宗谷本線のうち、幌延ルートに先んじて建設されて宗谷線を名乗った、音威子府からオホーツク海の浜頓別を経て稚内に至るルートが由来のJR天北線小石駅があり、昔はそこから炭鉱鉄道が分岐して石炭を採掘していた。
商店の店主である初老の女性に、昭和30年代の小石の市街地と藤田炭鉱の炭鉱鉄道の様子を伝える記事が掲載されていた雑誌“鉄道ファン”を片手に、当時の様子について訪ねたところ、当時を懐かしそうに振り返って、色々と話してくれた。
炭鉱労働者相手のパチンコ屋もある程賑わっていた当時の小石について話が弾んでしまって日没となってしまい、峠を越えるのが面倒になってしまったので、小石のバス停の待合室で野宿をする事にした。
翌日、早朝にパンを食べて出発する準備をしていたところ、07時頃に佐藤商店の店主が食事を差し入れして下さったので、ありがたく頂き、お世話になったお礼に次回訪問の際に雑誌を差し上げる事を約束して、小石を後にした。
佐藤商店の店主との約束である、藤田炭鉱の記事がある雑誌の譲渡をすぐに果たせないまま、数年の歳月が流れてしまったが、2003年05月に道北方面に立ち寄る機会があったので、強引に予定をつくって午前09時頃に訪ねてみた。
ところが、シャッターは1枚開いていただけで、店内からは商品がほとんどなくなっており、雑然と物が置いてあるだけであった。
店主を呼んだところ、見覚えのある初老の女性ではなく男性が出てきて、女性の親戚という男性に話を聞くと、女性は旭川方面に転居し、店は最近廃業したと告げられた。
訳を話すと、転居先を教えてくれたので、途中に予定していた天北線の小頓別付近の調査を中止して旭川方面へと急いで向かった。
ところが、目的の住宅に到着したものの、用務で今日は戻らないとの事だったので、理由を説明して雑誌を渡してもらうように頼んだところ、後日、便箋で丁寧な返事が届いた…。
以下、許可を頂いて撮影した店内の写真を掲載するが、棚に置いてあった紙細工の人形や、愛犬がとても気がかりである。
全景
北東側を望む
南東側を望む
愛犬
南西側を望む
西側 紙細工
北西側を望む
あれから幾年が過ぎたであろうか、一昨年の秋に小石の集落を再び訪ねたところ、まだ店舗が残っているのにとりあえず安心した。
閉山で小石を離れたとの事で、色々と苦労があったでしょうが、拙い記事ながらも当時を懐かしんでいただき、この上なく嬉しく思います。
機会があれば、色々と伺いたいところです。
佐藤商店の奥に写っている建物は小石簡易郵便局で、平成10年当時、廃墟と化していた小学校は、平成15年には更地となっておりました。
藤田炭鉱に通じる道に水産関連施設があって、佐藤商店で雑談している時に、そこの従業員が来店していたのを思い出します。
店の写真も、とても懐かしく記事を拝見しました。
祖父が見たがっていた藤田炭鉱の記事がとても気になります。
コメントありがとうございます。
お祖父様とは全く面識がなかったにもかかわらず、旭川方面の親戚宅のご住所を教えて頂き、とても感謝しております。
譲渡の動機は、ネットでの売買が一般的ではなかった平成10年当時、本当に必要な方にとっては入手に難儀するであろうと思われる一方で、私が首都圏在住である限り、将来バックナンバーを入手できるだろうと思われた事から、手持ちの1冊を差し上げた次第で、私の手元には現在、当該雑誌はございません。
鉄道ファン1995年8月号(No.412)に、小石の町並みと藤田炭鉱専用線に関する記事が掲載されております。
私の記憶する内容は、2軒のパチンコ店が記載された町内案内図の写真と小石駅に隣接していると推測される場所で遊ぶ男児複数名の写真に添えて、昼下がりに小石駅に降り立った筆者が、その時間帯に炭鉱に向かう列車が走っていなかった事に落胆した思い出の記事と、藤田炭鉱所属の米国製機関車の来歴の記事の2本立てだったと思います。
道北は最近暑いようですが、ご自愛下さい。