80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

国鉄富内線 富内駅

2013年09月09日 | 鉄道―室蘭本線・日高本線周辺廃線調査
 この駅を初めて訪問したのは、平成07年02月の穏やかな天気の午後で、私の他に訪問する人は誰もいなかった。

 前日に乗車した石勝線と根室本線他が大幅に遅れる原因となった猛吹雪が嘘のような、本当に穏やかな天気で、待合室は時が止まったかのようであり、室蘭本線登別駅で買い込んでおいた、のぼりべつ洋寿し(登別駅構内立売商会 ※現在は駅前の店舗で販売)を食べて、うたたねしたくなるようなのんびりとした時間を過ごしてから、レンズ付フィルムで撮影を開始した。

 平成07年08月下旬に再訪問して以来、未だに訪問を果たせていないのだが、気になるのが、駅本屋に併設される形で存在していた、信号機を取り扱う小屋(?)の今の様子で、この小屋には、室内壁面に掲示されていたと思われる廃止当時の富内駅の時刻表が、剥がされた状態で放置されていた。



 この時刻表そのものの写真については、当時、窃盗の被害に遭う事を恐れて、公開する事をためらっていたが、てこ小屋内部にあった信号てこと、腕木式信号機が、映画“鉄道員”の撮影の為に貸し出された後に、てこ小屋内部に放置されていた物品がどうなったのか、ネット上に詳細な情報が流れてこない事から、公開に踏み切る事にした。





 ポスターの裏面(確か、後姿の女性が温泉につかっている観光のポスター)を利用した手書きの時刻表は、分単位ではなく秒単位の時刻が記載され、小屋内部のてこの後ろに放置されており、小屋の窓際に放置されていた業務用電話機を納める箱の存在を含めて、手厚く保護されない現状に悲しくなったものである。
(この後、窓際にポスターを置いて小屋内部を撮影してから、ポスターを元の位置に戻したが…)



 インクの退色の為、安全標語の判読がほぼ不可能になってしまった手書きによる時刻表が大切に保存されてこそ、富内駅に保存されている駅の無事故記録の表彰状が活きてくるであろう。

 私見では、鉄道跡地の保存は、ただ建築物が保存されていたり、当時の用品が揃えられているだけでは、郷土史の教材としては魂が込められているとは言い難く、地域に還元されているとは言い難い。
 鉄道利用者の生の声や鉄道関係者の生の声を集めて記録して、用品や建物に添えてもらいたいものである。


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