鳥寄せを造ってみた
と、言っても庭の木にミカンを差しただけ。
近所で目白が来ていたのでまねてみた。
①ミカンをさした状態
②近所に来ていた目白~近日中に①に来たらアップ
果たしてくるか??
鳥寄せを造ってみた
と、言っても庭の木にミカンを差しただけ。
近所で目白が来ていたのでまねてみた。
①ミカンをさした状態
②近所に来ていた目白~近日中に①に来たらアップ
果たしてくるか??
久隅 守景(くすみ もりかげ、生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師。
通称は半兵衛、号は無下斎、無礙斎、一陳斎。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者。
娘に閨秀画家として謳われた清原雪信がいる。
その画力や寛永から元禄のおよそ60年にも及ぶ活動期間、現存する作品数(約200点)に比べて、
人生の足跡をたどれる資料や手がかりが少なく謎が多い画家である。
夕顔が大きな実をつけた棚の下で、襦袢(じゅばん)姿の男が顎に片手をあてて寝ころんでいる。
腰巻き姿の女が傍らにいて、真ん中に愛らしい男の子の顔がのぞいている。夏の夕べ、
湯あみを楽しんだ後のひとときだろうか。
家族3人は空にうっすらと浮かぶ月の下で、どこやら同じ方向をみつめていた。
何をみているのか。3人ともなんというのどかな表情だろう。
男は父親の威厳などをかなぐり捨てて、のんびりと寝そべっている。顎に手をあてる格好は
観音や菩薩(ぼさつ)像で知られる「思惟(しい)」のポーズをほのめかしているともいう。
狩野派の四天王に数えられた画家自身の家族にも思えるが、傍らの女性は妻ではなく、
娘がモデルだ。
守景と狩野探幽のめい、国の間に生まれた娘、清原雪信は狩野派随一の女流画家として名を上げた。
しかし後年、同門の男と駆け落ち、続いて弟も狩野派から破門。父親の守景も金沢へ下ったという。
親子の幸せだった時代を回想した絵なのかと思うと切ない。
(江戸時代、紙本淡彩、149.1×165センチ、東京国立博物館蔵)