もう四半世紀前のこと。
当時東京本社に勤務していた私は、仙台でのプロジェクトのため
上司とたった二人で仙台事務所開設に奔走し、そのまま仙台支店勤務となりました。
諸事情で1年間仙台で勤務した後退社しましたが・・・・
東北地方には沢山の思い出、思いいれがあります。
事務所開設直後にプロジェクトが始動したものだから、ドタバタと地元の業者の方々に大変お世話になりました。
業者の若者たちや、顧客のスタッフたち 25,6歳の同世代と知り合いになり、
いろんなとこ案内してもらったり、土地のもの食べに連れて行ってもらったり、
昔バイクに乗っていたって若者が実家にバイクを取りに行き、わざわざレストアし
ツーリングに付き合ってくれたり・・・
東北の人たちの暖かさに触れるにつけ、東京本社勤務から仙台に転勤が決まったとき
思い悩んだ自分が滑稽に見えるほど仙台勤務は快適でした。
仙台っ子は地元に対して誇りを持っているっていうのをひしひしと感じたり、
東北の方々、宮城、青森、秋田、岩手、山形、福島、出身の方々に
仕事上のみならず、公私共に大変お世話になりました。
のんびりと、損得なしにお付き合いしてくれる方ばかりでした。
退社してからはお付き合いも、連絡を取り合ったりも皆無ではありますが、
その時お付き合いのあった方々の顔が思い浮かびます。
松島、気仙沼、名取、大船渡、釜石、陸前高田、宮古
メディアから飛び込んでくる地名は覚えのある地名ばかり。
地方から仙台に勤務している方が多かった記憶があります。
そのときご縁のあった方々の安否が気がかりですし、被災された方々、亡くなられた方々
想像もつかないとてつもない被害だと感じています。
仕事で訪れたことがある街もあります。 ツーリングで訪れた街もあります。
一方、被災地に飛び込んでも何の役にも立たない自分がここにいます。
今、何が出来るか。
食料品や飲料水が足りないと聞きますが、輸送手段を持ちません。
出来ることいえば普段どおり経済活動に勤しみ、募金するくらいです。
後は、周波数が違うとはいえ少しでも節電することぐらいしか出来ません。
でも、今自分に出来る事を実行する。 今はこれ以外考えられません。
朝、目覚めたとき。 生きている事に感謝しなければならないと痛感しています。
今回の震災では知人縁者が現地にいないのですが、TVで流される映像を見ているだけで、体の底から現実離れした怖さがこみ上げてきます。
こんな安全地帯でただ状況を眺めるんじゃなく、むしろ現地に入って体を動かして支援できたら、気持ちが落ち着くのかもって思います。
みんなのために頑張るって事は、まわりまわって自分たちのためになりますもんね。
家が全壊してしまったらどうしたらいいのか。
路頭に迷います。
映像を見る度心が痛み、心苦しいです。
原子力発電所もどうなるのかすごく不安です。
馴染み深いところだったのですね、それだけに思い入れもあるでしょう。
原発、ほんとに気掛かりですね!
それが必ず被災地への一番の支援になると思います。
節電や募金など各個人単位で未来の日本の為にモーションを起こす必要を痛感しています。
現場では命の危険にさらされながら不眠不休で対処されているんでしょうが、
会社の国民への対応がどうなのか不安です。
まったくもって・・・
正にその通りだと思います。
日本経済全体がへこたれてしまったら支援に支障をきたすことになってしまいかねないので・・
うらやましくも思います。
ウチら自治会から「地震募金」が早速まわってきました。
なかなか素早い対応だと思いました。
原発を身近にかかえる身にとって、今は葛藤でしかありません。
「原発は安全」って・・・
何が安全だったのでしょうか?
今回の事が「想定外」だったから?
そんな一言では語られたくないです。
安全神話なんて幻だったのでしょうか。
一刻も早く事態が収拾し、この件をフィードバックし、
今、国民が抱えている不安を取り除いて欲しいものです。