今週末12月8日(日)
埴生美伽子劇的ライヴ
花いちもんめ〜青春の蹉跌
公演二日前の今日も
準備やらいろいろ。
お客様へお渡しするプログラム、
裏表紙恒例の、
演出瀑さんの〈一人言〉をブログでもご紹介!
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【瀑の一人言 ひとりごと】
ぼくの生まれ育った街は、当時西の釡ヶ崎と呼ばれ、身元明かせぬ人たちが、自然と集まる吹き溜まりの街でもあった。
早朝、数多くの日雇い労務者が仕事を求め集まり、立ち飲み屋で焼酎をぶっかけ、めしを食っていた。
4、5歳の幼かった僕には、それがめちゃめちゃ美味しいご馳走に 思えた。
その日の仕事にあぶれた者の中には、路上で石ころバクチをしたり、 日中から酒に溺れ、酔っ払う者もいた。
売血(当時は血を売ってお金になった)を食い扶持にせざるを得ない者もいた。 ホームレスの人も多く、寒い冬の朝、凍死していることも珍しくなかった。
ヤクザの出入りも目にした。多くの住人が、持たざる者、低所得者だった。
僕は四人きょうだいの三番目で、他の三人はだれ一人普通高校を卒業していない。
行きたくても行けなかったのだ。
僕だけが大学まで行かせてもらい、そして親不孝にもドロップアウトした。
幼い頃、好きでもないのに何故かひとりでいることが多かった。 本を読むこともなかった、家に一冊の本もなかった。
音楽と言えば、オヤジに怒られながら兄が聴いていた、新聞配達のバイトをして買った であろうドーナツ盤のプレスリーの「監獄ロック」が耳に残っている。
月に何度か祖母に連れられ、青線(非合法の売春地域)のど真ん中にあった芝居小屋で ドサ回りやチャンバラ映画をよく観た。だからドサ回りが、僕の演劇の原点と言える。 ドーラン・白粉・鬢付けの匂いは、今も鮮明に残る。
祖母のおかげで年寄りに囲まれ、いつも可愛がられて居心地が良かった。 年寄りと言っても今の感覚と違い、逆算してみると五十代後半から六十代だと思う。 それ故、同年の男の子と遊ぶことはほとんどなかった。 そして、内弁慶で束縛されることが我慢できない性格となってしまった。
何かに従うこと強制されることに耐えられない。
本意ではないのに結果として、いつもはみ出てしまう。就職したことがほとんどない。
そして今に至るも、「永遠の不良少年」であり続けたいと思っている。
今回の『花いちもんめ〜』は、こんな僕にとってリアルでコアなものがたりと言える。
兄妹のような幼馴染み三人の登場人物は、ある意味僕自身の一部分であり、僕の「青春の蹉跌」でもある。
ぼくの こころは ねじれ きしみ ます
みっちゃん あっくん ハーちゃん・・・・ ・・・あん時みたいに・・・また遊ぼうね!・・・
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『花いちもんめ』演っていて、、わたくし
とてもいい作品やなぁと…
こちらプログラム
あっくん・アルベルトさん
ハーちゃん・ハコさん
みっちゃん・わたし
三人でこの「花いちもんめ」の世界に身を置き生きられる、哀しくも優しい時間。
なんと幸せなことでしょう。
ぜひ、ご一緒ください!!
実はキャンセル重なり😢お席ございます😢😢
ひょっこりのご来場、どうぞよしなに…!🙏🙏
晩秋の京都で、心よりお待ちしております!!
ごきげんよう
埴生み伽子でした
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